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汚れた血 (4)


          *

「逃げろ、バケモ……バケモノが大量に……」ノーマンは床に手をついて嘔吐した。しかし、すぐに立ちあがって歩きだす。足取りは覚束なく、両目は充血していた。「くそッ。おい、逃げろッ、逃げるんだよ!」
 通路の角から姿を現すなり、銃口を向けてきたノーマンが引き金を絞らなかったのは、彼が直後に嘔吐した所為だ。床に散乱したカラスの欠片と吐瀉物とが混じりあった悪臭の中で、私は硬直してしまって、声すらだせなかった。
「なにやってんだ、逃げろ! 早く逃げろって言ってんだろ」
 肩を叩かれてよろけてしまう。壁に手をついた。黒くて柔らかな物質が指と指の間からぬるりとでてきた。慌てて手を引き、服の裾で拭った。その間にノーマンが悪態をつきながら傍を通り過ぎていった。手を伸ばす。空を切る。息を吐くと、声がでた。
「な、なに……なにが」いたというのだろうか。通路の角を曲がった、その先に。問いたいけれども、ノーマンの背中は見る間にどんどん離れて行く。
 なにを見たのだろう、ノーマンは。
 ――バケモノ?
 バケモノって?
 薄気味悪い、表面のてらてらした異形のモンスターを思い浮かべてしまって、あわててかぶりを振り、ノーマンの背中を追った。エスターの姿が見えなくなっているが、わだちのように削られている黒い物質についたラインを見れば、どの方向へ向かったかは一目瞭然だ。
 足を動かした。振り返らず。置き忘れてしまった銃のことを悔やみながらも、私は必死に足を動かした。
「うわああああああぁッ!」
 叫び声が聞こえ、
「いやあああああ!」
 聞こえたかと思いきや、今度はエスターと思われる甲高い声が通路に響き渡り、
「ああああああああああああぁあああッ!」
 両者の叫び声とかぶさるかたちで、銃声による振動が全身をくまなく包んだ。
 耳を塞ぎ、足をとめる。手についていた黒い物質が耳元でねばついた音をたてる。
「開けろッ! 開けろぉおおッ!」
 ノーマンが叫んでいる。
 どうなっている? どうすればいい? どうすればいいかわからなくてその場に座り込んで顔を手で覆って、またべたべたした嫌な感触が唇に、頬にまとわりついてしまって、顎をあげて周囲を見回すと、聞こえる音は私の頭の中で鳴っている耳鳴りだけになっていた。
「…………」
 とまっている。
 取り囲むものすべてがとまっていた。
 宙を舞う埃すら眼前で静止していた。
 どこにいる? すぐそばになにかが潜んでいるはずなのに動きはなく、目に見える範囲に存在しているのは私ひとり。私だけだ。再び震えだした身体を抱きしめて、べとつく手のひらを肩口にこすりつけて拭き、上着の袖で頬についた黒い物質を拭い、顎を、唇を、前に垂れてきた髪にも物質は付着していて、怖くて、怖い以上に悲しくなってきて、口からもれる白い溜息も身体と同様に細かく震えていた。
 角を曲がった通路の先で、ノーマンはなにを見たのだろう。なにと出会したのだろう。生き物だろうか。映画で観たような。ギーガーデザインの〈エイリアン〉のような異形の生命体と対面したのだろうか。
 顔を伏せ、
 大きく息を吐き、
 どうにか立ちあがろうと力を入れたところへ、言い争う声が聞こえてきた。喋っている内容まではわからなかったが、ノーマンとジャック船長の声だった。続けざまに銃声が、なにかの壊れる音が、船長の叫び声が反響し、これまでと違う低くて重い音が鳴り響いて、再び静寂がおりてきた。
「…………」
 おそるおそる、私は立ちあがる。
 視界を遮っている前髪を手櫛で梳いて、目を凝らし、首からさげたネックレスを掴んで、気づけば祈りの言葉を口にしていた。
 折れ曲がった通路の先、操舵室の方へ。
 さほど進まないうちに血肉の臭いが鼻腔を刺激した。右へ折れる角を曲がると、髪を乱して仰向けに倒れているエスターの姿が目にとまった。エスターは沈黙し、身体を中心に血だまりができていた。
 その数メートル先に、きちんと閉められていない操舵室の扉が見える。扉下方にノーマンがうずくまっていて――いや、違う。ノーマンは扉に挟まっているようだった。少し離れたところにエナジーガンが転がり、まわりにはエスターと同様、血だまりができている。
「おいッ、とまれ! 動くなッ!」
 突然、扉の陰から飛びだしてきた船長に銃口を向けられた。驚きのあまり転倒しそうになったが、足を踏ん張ってどうにか留まり、両手をあげつつ指示に従った。
「ちくしょうッ! どうなってんだ! なにがあった?」船長が問う。私も同じことを尋ねたいのに。「そいつは? そいつはどうしたんだ? 死んでるのか?」銃口が振られて、床に倒れたエスターへと向く。「死んでるのかッ?」
「……わかりません」
 どうしてエスターが血を流して倒れているのか。操舵室前の通路でなにが起こったのか。この場に到着したばかりの私よりも、船長の方が詳しく知っていると思うのだが、問い返すよりも早く、船長が愚痴りはじめて、目に見える唾を大量に撒き散らす。
「ちくしょう、なんなんだ、一体ッ。通信機器まで滅茶苦茶にしやがって! これじゃあどうやって、ハイニュート社と話を……いや……あぁ。あぁあ、そうだ。そうか、その手があったか……おい、お前ッ!」
 指差された。私は二度頷いて返した。
 船長は床に転がったエナジーガンを蹴り、私の足元近くまで転がした。ややあって顎で指し示す。拾えということらしい。私は両手をおろして、エナジーガンを拾い、両手で握りしめた。
「シャトルルームまで先導しろ。間違っても、銃口をおれに向けたりするなよ」
「シャトルルーム、ですか? え? どうして……」
「この馬鹿が銃をぶっ放して通信機器を壊しちまったからだよ!」船長は顔をしかめて、ノーマンの腰を思いっきり蹴りあげた。うずくまった状態の身体が傾ぎ、床のうえに仰向けに倒れる……ノーマンの顔は醜く歪み、左目があった場所には、大きな穴が空いていた。
「行け! 歩けッ」
「は、はい。でも……」どうして?「どうしてシャトルルームに?」
「いま言っただろうが! こいつが通信機器を壊したから、代わりが必要なんだよ! ほら、早く行けッ。シャトルにも機器が積んであるだろうが」
「……あ、あぁ」
 船長は取引相手であるハイニュート社の船と連絡をとるために、小型シャトルの置かれた場所へ行きたいようだ。
「さっさと歩け!」
 私は無言で頷き、右手でエナジーガンを、左手でネックレスを触りつつ、血生臭くて焦げ臭い通路をすり足で進んだ。幸いにもシャトルルームは数歩進んだ先にある扉を開けて、階下へと移動すればすぐだ。
「注意しろ。注意して扉を開けるんだぞ」
 操舵室の中から船長が指示した。横目に様子を窺うと、顔の左半分と手に持ったソニックショットガンの銃身を除いて、船長の身体は扉の陰に隠れていた。
「見たのか?」
 問われたけれどもなんのことかわからなくて、顔は向けずに扉を操作する。
「見たのか? なにがいた?」
 船内に潜む生命体のことについて尋ねているようだ。なにも見てはいない。しかしノーマンは口にだして言った。
 バケモノ、と。
「なにがいたんだ? どんなヤツだった?」
 ようやく通路にでてきた船長が、銃口を左右に揺らしながら距離を詰めてきた。私は首を振り、扉を塞ぐようにして立った。通路は静まり返っていて、照度の低いシャトルルームへ通じる扉の中も、触れれば体温を奪われそうな静寂に包まれている。
「中は安全そうだな……もういい。どけ、邪魔だ」
 船長に押しのけられて壁に触れてしまう。黒く醜い壁に。抗議しようと振り返ったときにはすでに、船長は扉の中へと姿を消していた。
 両手で銃を抱くように持って、私も扉の中へ。しかし、すぐに足をとめて、通路の奥へ目を向けてみた。変わらず動くものはない。音も。気配すら。ただ不快な臭いだけが私を刺激し続けていた。
 なにがいた? どのような生命体が船内に?
 知りたい。なにが起こったのかを。この船でなにが起こっているのかを。
 顎をあげて目を凝らす。
 私は無意識に言葉を発していた。小声で。私を見ているとは到底思えない、神に問いかけるように。「この船の中に……一体、なにが?」


          *

「――五人の乗員のうち、アガサさんを含めた三人は、数あわせで集められただけのようですから、責任を負う必要はありませんよ」
 タケウチの発した言葉に引っかかりを覚えて、私はいましがた眠りから目覚めたように、あわてて顔をあげた。実際のところ眠っていたようなものかもしれない。投与された薬の影響で、思考が鈍くなっていたと思うからだ。だけどスイッチが切り替わったように、いまは違っている。霧が晴れたように視界が広がり、音がこもることなく、クリアに聞こえている。
「〈キャロ〉サイズの宇宙貨物船であれば、最低乗員数は五人と定められていますからね。船長はルールに則って、仕様がなく三人を雇ったのでしょう。しかし、アガサさんもアガサさんですよ? なにを積んでいるのかわからない貨物船に乗船するなんて無謀すぎます。死の責任を負う必要はない、と、さっきはそう言いましたが、自身が招いた結果であることを理解して、きちんと受けとめてくださいね。さて、話を戻して、真相に到達するために不可欠な〈疑問〉と〈正答〉を導きだす作業をはじめましょうか。まずは……そうですね……」
 横を向いたタケウチの視線を追うと、端末機器を操作しているナミ中佐の姿が目にとまった。そういえばナミ中佐は、タケウチから検索を頼まれていた。しばらくナミ中佐の声を聞いていないのは、検索作業に没頭していたからのようだ。扉の前に立つ副長のリンカーン中佐とジュノのふたりは、相変わらず静止したままで、私を睨むジュノの目もまた変わらず冷たかった。前と違っている点は、太ももに手をあてて、苛立たしげに擦っていることくらいだ。ばい菌などと同列、という概念であるに違いない。指で触れた私のネックレス――シンラ派の証は。
「一連の話を聞いて、はじめに疑問を覚えたのは、貨物船〈キャロ〉の航行についてです。〈キャロ〉は希少な船であり、長距離航行には向いていません。そもそも〈キャロ〉の推進力で三〇ケ月もかかる輸送プランに、ゴーサインをだすクライアントなど皆無でしょう。それなのに、ハイニュート社は、初期段階から〈キャロ〉一本に絞って輸送計画を立てていたふしがあります。長期航行に際し、複数の業者や貨物船と交渉した記録が惑星連邦のデータに残っていないことからしても、この読みはあたっているでしょう」そこまで話すと、タケウチはおもむろに腰を浮かして、椅子に深く座り直した。「なぜ〈キャロ〉である必要があったのか。その解答はまず間違いなく、輸送した品に関係していますね」
「エイリアンなんでしょう?」ここで――「貨物船に積まれていた荷物の中身は、人を襲うエイリアンみたいな生物だったんでしょう?」眉間にしわを寄せたジュノが、気だるげな声で口を挟んだ。「そんなに驚いた顔をしないでくださいよ。映画は観てませんが、知ってますよ、エイリアンくらい。ハイニュート社はボロい船を使って生物兵器の輸送を計画したんですよね? さっきから聞いていると、ドクターはもったいぶった言い方ばかりしてますけど、つまりはそういうことなんでしょう? ねぇ、ドクター?」
「可能性は否定できませんが、ダメですね。決め手が欠けています」
「……は? 決め手?」
「欠けていますね。六人目の乗客がいたとは断言できません」
「いやいや、え? なに言ってるんですか。ちゃんと聞いてました? アガサさんが話した、貨物船内で起こった出来事を。壁面に謎の物質が付着していて、乗員のほとんどが死んでるっていうのに、ほかに〝なに〟も、いや〝なに〟というか、生物兵器が乗っていなかったなんてことは――」
「あぁあ、すみません。失礼。少し待ってください」
 タケウチは断りを入れて、ナミ中佐の手から端末を受け取った。検索作業は終了していたようである。
「はあ? ったく……なんですか、話の途中で……いや、いいですよ。それよりも、副長」ジュノは副長のリンカーン中佐へと向き直って、背筋を伸ばした。「生物兵器の輸送は由々しき問題です。すぐに惑星連邦本部へ連絡して、姿を消したハイニュート社の船の捜索をはじめるべきだと思います。それに――」私へ目を向けて唇を歪める。嫌な予感がした。切り裂かれてひどく傷を負いそうな、嫌な予感が。「彼女は連邦の安全治安機関に引き渡し、厳正な処罰を受けさせるべきです。荷物の中身を知らなかったとはいえ、輸送に関与したことは事実なのですから当然でしょう。連邦IDを取得できていないことも問題です。そういった輩だから、目先の金に惑わされて、犯罪行為とも気づかず〝こと〟に関与してしまうんですよ。まぁ、仕様がないといえば仕様がないかもしれませんがね。なにしろ――」
 視線をそらして顔を伏せる。
 続く言葉は想像がつく。わかっている。何度も、何度も何度も面と向かって言われ続けてきた愚弄の言葉があとに続くのだ。
 私、
 私の、身体に流れる――
「これだ! これですよ、ナミさん。これで間違いないでしょう! あぁあ、アガサさん、起きあがらないで。無理しないでください。心配せずとも、すぐわかると思います。疑問に思っていたことの答えがすべて、余すところなくね。副長、さきほどジュノ保安員が言ったようにハイニュート社の船を捜索するよう、惑星連邦本部に連絡してください。すぐに。いますぐにです。ただし、生物兵器に関する事柄は話す必要はありません」
「あ? お、おい。ドクター? あんた、なに言ってんだ?」嬉々とした表情で語るタケウチへと、ジュノが困惑の目を向けた。
 私も同じだ。同じ目を向けていた。
 突然、どうしたというのか。タケウチは、なにを言っている?
 もうすぐわかる?
 余すところなくとは?
「そういえばナミさん、お願いしていた成分分析の結果がそろそろでているころではないですか? アガサさんの外耳道から採取した物質の分析結果です。あぁあ……でてますね。ありがとう……なるほど。やっぱりだ。やっぱりそうか」
「ドクター? ドクタータケウチ?」険しい表情で呼びかたリンカーン中佐が、大股でタケウチに歩み寄る。
 タケウチは、ナミ中佐から受け取った分析結果の表示された端末の画面を掲げて、リンカーン中佐と正対した。
「ご覧の通りです。ハイニュート社の目的これだったんですよ。貨物船キャロに乗っていたのは五人の乗員だけでありエイリアンのような生物兵器などは乗って――いえ載っていなかったんです」そう断言してタケウチは微笑み、白い歯を見せた。
「……?」
 なに?
 なにを言っているんだろう?
 私はなにがなんだかわからなくて、ベッドのうえに力なく座り、口をぽかんと開けてしまっていた。


〈つづく〉


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