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「バカラシイ」を超えてー2022年東大・京大現代文の芸術家の文章より・その2

前回の記事

の続きです。

お読みくださり本当にありがとうございます。

「ただのイシ」から見える近代

同じく今年、京都大学でも芸術家の文章が出題。
岡本太郎の『日本の伝統』という
昭和31年の文章だそうで。

視覚的な芸術のセンスも鑑賞の習慣も
まるでない僕にとっては
本当に岡本太郎は
「太陽の塔」ぐらいしか知らない。

この文章は平易ですが、問題としては
「『自分が法隆寺になればよいのです』
とはどういうことか、説明せよ」など、
いかにも京大らしい問題が出題されていました。

そしてこの文章にも「バカバカしい」
とあったので、
その部分を抜粋してみます。

 先日、竜安寺をおとずれたときのこと。石庭を眺めていますと、ドヤドヤと数名の人がはいってきました。方丈(注:禅宗寺院で、住職の居室を言う)の縁に立つなり、
 「イシダ、イシダ」
 と大きな声で言うのです。そのとっぴょうしのなさ。むきつけな(注:無遠慮なさま)口ぶり。さすがの私もあっけにとられました。
 彼らは縁を歩きまわりながら、
 「イシだけだ」
 「なんだ、タカイ」
 なるほど、わざわざ車代を払って、こんな京都のはずれまでやって来て、ただの石がころがしてあるだけだったとしたら、高いにちがいない。
 シンとはりつめ、凝固した名園の空気が、この単純素朴な価値判断でバラバラにほどけてしまった。私もほがらかな笑いが腹の底からこみあげてきました。
 私自身もかつて大きな期待を持って、はじめてこの庭を見にいって、がっかりしたことがあります。ヘンに観念的なポーズが鼻について、期待した芸術の厳しさが見られなかった。
 だがこのあいだから、日本のまちがった伝統意識をくつがえすために、いろいろの古典を見あるき、中世の庭園をしばしばおとずれているうちに、どうも、神妙に石を凝視しすぎるくせがついたらしい。用心していながら、逆に、うっかり敵の手に乗りかかっていたんじゃないか。どうもアブナイ。
 『裸の王様』という物語をご存じでしょう。あの中で、「なんだ、王様はハダカで歩いてらぁ」と叫んだ子どもの透明な目。あれを失ったらたいへんです。
石はただの石であるというバカバカしいこと。だがそのまったく即物的な再発見によって、権威やものものしい伝統的価値をたたきわった。そこに近代という空前の人間文化の伝統がはじまったこともたしかです。
 なんだ、イシダ、と言った彼らは文化的に根こぎにされてしまった人間の空しさと、みじめさを露呈しているかもしれません。が、そのくらい平気で、むぞうさな気分でぶつかって、しかもなお、もし打ってくるものがあるとしたら、ビリビリつたわってくるとしたら、これは本ものだ。それこそ芸術の力であり、伝統の本質なのです。


すごいのは、
これが昭和三十一年の文章だということ。
最近まで、いや令和の現代でも
入試や教科書に載っている
「近代」の内実を端的に記述している。

「近代」という考え方は、
普遍的、つまり全ての人間に通用すること
を求める考え方。
だから科学的、客観的、合理的であることに
価値がある。

だからこの竜安寺の石も、
客観的に誰が見ても「イシ」だし、
誰にでも通用する「金額タカイ」という
物差しで捉えることになります。

逆に、全ての人間に通用しない、
「伝統」や「文化」に価値を求めない

竜安寺の文脈、歴史、芸術性、
そんなものは石の客観的、合理的な
見方ではない。

だから、近代科学的な見方は、
物事をバカバカしくする
のです。
ただの石だし、ハワイの穴もただの穴。

もちろん、岡本太郎は、既存の伝統や権威に
盲従するつもりはありません。
若者たちが「伝統を叩き割った」ことに
笑いが込み上げてくる。

しかし、若者たちの見方に関しては、
「文化的に根こぎにされてしまった」
と表現されています。
これはゴッホよりラッセン、とか、
竜安寺よりハウステンボス、のように
既存の伝統や文化に対して
自分達の文化、芸術的価値を主張する
というよりは、むしろ、
そもそも文化、伝統、芸術に価値を置くよりも、
客観的、合理的という
近代的な価値観が優先された事態

表しています。

「バカラシイ」近代的な人間観

この「近代的」な考え方は、
人間観にも影響を与えます。

人間なんて、客観的に考えたら、
宇宙の中の卑小な生物だし、
ましてや自分一人の存在なんて、
代わりなんていくらでもいるし、
いなくなっても世界に大きな影響を与えない。
自分の存在なんか「バカバカしい」

2012年の東大現代文、
河野哲也の「意識は存在しない」から
引用します。

 近代の人間観は原子論的であり、近代的な自然観と同型である。近代社会は、個人を伝統的共同体の桎梏から脱出させ、それまでの地域性や歴史性から自由な主体として約束した。つまり、人間個人から特殊な諸特徴を取り除き、原子のように単独の存在として遊離させ、規則や法に従って働く存在として捉えるのだ。こうした個人概念は、確かに近代的な個人の自由をもたらし、人権の概念を準備した
 しかし、近代社会に出現した自由で解放された個人は、同時に、ある意味でアイデンティティーを失った根無し草であり、誰とも区別のつかない個性を喪失しがちな存在である。そうした誰とも交換可能な、個性のない個人(政治哲学の文脈では「負荷なき個人」と呼ばれる)を基礎として形成された政治理論についても、現在、さまざまな立場から批判が集まっている。物理学の微粒子のように相互に区別できない個人観は、その人の持つ具体的な特徴、歴史的背景、文化的・社会的アイデンティティー、特殊な諸条件を排除することで成り立っている。

法則にしたがう原子のように
等しく法にしたがう、替えのきく存在の人間。
確かに全ての人間は自由で平等なのだけれど、
文化や歴史という、
アイデンティティのよりどころを
失わせてしまう「近代」という時代。

岡本太郎の文章では、
「文化的に根こぎになってしまった人間」
という表現の後に、
「空しさとみじめさを露呈している」
と続きます。
それは「竜安寺のすばらしさが理解されない」
ことの空しさではなく、
近代的な価値観によって、
文化や伝統、
そして芸術の存在意義が危機にあること

そしてその先には、
自分の、人間の存在意義までも
「バカバカしく」なってしまうこと

空しさとみじめさが
表現されているような気がします。

「バカラシイ」「バカバカしい」を超えて

しかし、岡本太郎の文章は
そこで終わっていない。


普遍的に通用する、
最強の価値観である近代科学に
挑戦状を叩きつける。

近代的価値観のなかであっても、
「しかもなお、もし打ってくるものがあるとしたら、ビリビリつたわってくるとしたら、これは本ものだ。それこそ芸術の力であり、伝統の本質なのです。」

と、力強く述べられています。

伝統や文化、そして芸術を
「バカバカしい」と切り捨ててしまう
近代的な価値観の中でも絶望せずに、

その価値観の中でさえも
人の心を打つような
「本もの」の作品をつくり、
自らが芸術を通して新たな伝統になるのだ、
という覚悟
のようなものを、
この一文から感じることができます。

ここで再び今年の東大現代文の
武満徹の文章の続きから引用します。

(夜、インドネシアの寺院の隣の庭で、ワヤン・クリット(人形を用いた影絵芝居)が演じられるのを見た。奇異なことに一本の蠟燭すら照らされていない。無論、何も見えはしない。私は通訳を通して演ずる老人に「何のために、また誰のために行っているのか」を尋ねた。)

(通訳の)ワヤンの口を経て老人は、自分自身のためにそして多くの精霊のために星の光を通して宇宙と会話(コレスポンデンス)しているのだと応えた。そして何かを、宇宙からこの世界(ユニヴァース)へ返すのだと言ったらしいのだ。たぶん、これもまたバカラシイことかもしれない。だがその時、私は意識の彼方からやってくるものがあるのを感じた。私は何も現われはしない小さなスクリーンを眺めつづけた。そして、やがて何かをそこに見出したように思った

当たり前の話ですが、何も見えない影絵なんて
これほどバカラシイことはない。
老人の話なんて、近代的、科学的に見たら
笑ってしまうほどバカバカしい。

でも、そのバカラシイことの向こう側に、
彼が見出したもの、
そして彼が求める芸術がある
のでしょう。

近代的に、科学的に、客観的に考えたら
バカラシイ。バカバカしい。

その「バカラシイ」を超えて、
人の心を打つものを創造することに取り組む
20世紀の芸術家の文章が、
令和の東大・京大両方の入試問題として
出題されたこと
は、
個人的にはとても興味深いことでした。

近代的価値観だけでは、
人間の生きる意味やアイデンティティは
失われてしまいます。

今の日本の子どもたちは、
「自己肯定感、自己有用感が低い」
ということが、
さまざまなデータによって示され、
また課題として挙げられています。

だからこそ、
国語に関わったことがあるものとして、
「なぜ国語を学ぶのか」
「なぜ小説/古典を学ぶのか」

を語るヒントが
今年の東大、京大の出題には
あるような気がするのです。

まあ、これまでも、似たようなことを
入試問題の勉強を通して
漠然と考えてはきましたが、

それを言語化して、
生徒の心を打つように伝えることは
今までの国語講師としての経験の中で
できたためしがない。

まあ、それを「バカラシイ」ことと
切り捨ててしまわないように、
考え続け、伝え続けることが
ライフワークになればよいな、

と思っています。

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