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「バカラシイ」を超えてー2022年東大・京大現代文の芸術家の文章より・その1

個人的美しい文章ナンバーワン

今年の東大現代文の第4問のエッセーは、
20世紀の日本を代表する作曲家、
武満徹の文章でした。

大学時代、武満徹のエッセー集
「音、沈黙と測りあえるほどに」を
古本屋で発見し、
「こんな美しい文章は読んだことがない!」
と感動。
1日1エッセー読む!と
気合を入れて読み進めようと思ったのですが、
1週間ぐらいで挫折してしまいました。

そもそも武満徹の音楽も、
一番有名な「ノーヴェンバーステップス」の
小澤征爾のCDを持っていたくらいで、
しかも多分そんなに聴いてない。

クラシック音楽に自分を浸すより、
ゲームを攻略した方が楽しい。
酒を飲んだり、
女の子と
イチャイチャしていた方が(←見栄)楽しい。

そんな武満徹と大学生の自分の
バカラシイ思い出。

本もCDも、引っ越しを繰り返すうちに
どこかに行ってしまいました。

「ちょっとした振動」のダブルミーニング

では、東大の2022年第4問、
武満徹の「影絵(ワヤン・クリット)の鏡」より。

 八年程前、ハワイ島のキラウェア火山にのぼり、火口に臨むロッジの横長に切られた窓から、私は家族と友人たち、それに数人の泊り客らとぼんやりと外景を眺めていた。日没時の窓の下に見えるものはただ水蒸気に煙る巨大なクレーターであった。朱の太陽が、灰色の厚いフェルトを敷きつめた雲の涯(はて)に消えて闇がたちこめると、クレーターはいっそう深く黯(くら)い様相をあらわにしてきた。それは、陽のあるうちは気づかずにいた地の火が、クレーターの遥かな底で星のように輝きはじめたからであった。
 誰の仕業であろうか、この地表を穿ちあけられた巨大な火口は、私たちの空想や思考の一切を拒むもののようであった。それは、どのような形容をも排(しりぞ)けてしまう絶対の力をもっていた。今ふりかえって、あの沈黙に支配された時空とそのなかに在った自分を考えると、そこでは私のひととしての意識は少しも働きはしなかったのである。しかし私は言い知れぬ力によって突き動かされていた。あの時私の意識が働かなかったのではなく、意識は意識それ自体を超える大いなるものにとらえられていたのであろうと思う。私は意識の彼方からやってくるものに眼と耳を向けていた。私は何かを聴いたし、また見たかもしれないのだが、いまそれを記憶してはいない。
 その時、同行していた作曲家のジョン・ケージが私を呼び、かれは微笑しながらnonsense!と言った。そして日本語で歌うようにバカラシイと言うのだった。そこに居合せた人々はたぶんごく素直な気持でその言葉を受容れていたように思う。
 そうなのだ。これはバカラシイことだ。私たちの眼前にあるのは地表にぽかっと空いたひとつの穴にすぎない。それを気むずかしい表情で眺めている私たちはおかしい。人間もおかしければ穴だっておかしい。だが私を含めて人々はケージの言葉をかならずしも否定的な意味で受けとめたのではなかった。またケージはこの沈黙の劇に註解をくわえようとしたのでもない。周囲の空気にかれはただちょっとした振動をあたえたにすぎない。

問 傍線部「周囲の空気にかれはただちょっとした振動をあたえたにすぎない」とはどういうことか、説明せよ。


「どういうことか」
内容説明は基本イイカエですから、

周囲の空気=
私たち人間の意識(空想や思考、形容)を超越した火口の様子を眺める、人びとの沈黙。

かれ=ケージ

ちょっとした振動=
ケージの言葉「nonsense!」「バカラシイ」という言葉によって、

・眼前にあるのは穴にすぎない
・それを気むずかしい表情で眺める人々はおかしい
 →状況を言語化、メタ的に捉える、客観視、相対化

・人々はそれを否定的に受け止めていない
 →ケージの言葉(状況の言語化)に納得・共感
  「そうなのだ、これはバカラシイことだ」
 →沈黙が「振動」した→少し雰囲気が和らいだ

・ケージはこの沈黙の劇に註解をくわえようとしたのでもない
 →状況の本質や詳細を説明したものではない
  「バカラシイ」という言葉だけでは、
  この状況を  
  きちんと説明したことにはならない。
  ケージの言葉はあくまでも
  「ちょっとした振動をあたえたにすぎない」

100字以内ならまあなんとかまとめられるか…

火口の風景に圧倒され人々が沈黙する様子を
客観的に言語化した
ケージの「バカラシイ」という言葉は、
周囲の雰囲気を少し和らげたが、
それは状況の本質を
説明するものではなかったということ。
(90字)
タスクマン100字


でも東大はこのような情報を
60字程度でまとめないといけない…
ムズイなあ。

巨大な自然に対峙し沈黙する人々の状況を
客観的に言語化したケージの言葉は、
場を和らげたものの、
状況の本質を説明するものでは
なかったということ。(70字)
タスクマン解答例。ギリギリすぎる。


ちなみに

S台の解答例
ケージは、ただあるだけの世界に超越的なものを感じとり深刻な思いにとらわれている人々の状況を相対化してみせたということ。(59字)

K塾の解答例
人々が巨大な火口の風景に圧倒され重苦しく沈黙するなかで、それを相対化するかのようなケージの軽口は、わずかに場の雰囲気をほぐしたということ。(69字)

問題に取り組むと分かるのですが、 
「ちょっとした振動」とは

①沈黙に対する振動=場を少し和らげる
②「ちょっとした振動をあたえたにすぎない
 →「バカラシイ」という言葉は
  状況の本質を表現したものではない

の2点を盛り込まないといけないと
個人的には思います。

S台の解答例は振動を与えた
ケージの言葉の説明にとどまっていて、
振動そのものの説明がないし、
K塾の解答例は①の説明のみにとどまっています。
いやでも、字数制限が鬼ですな。東大は。

それにしても、
「ちょっとした振動をあたえたにすぎない」
という表現によって
重苦しい周囲の雰囲気が少し和らいだことと、
巨大な自然に圧倒される人間という状況は
客観的には「バカラシイ」にもかかわらず、
それで済まされない何かがあること、
という
2点を同時に表現している。

やはり卓越した文章というのは、
読んでいて「なるほどねー、すげえなあ」
と思わされます。

長い文章をお読みくださり
本当にありがとうございます。
続きはこちらです。


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