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賛否両論の映画と現代アートのはなし

(※このノートには『君たちはどう生きるか』のネタバレは含みませんが『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』のネタバレをほんの少しだけ含みます)

昨日、私は宮崎駿氏の最新作『君たちはどう生きるか』を見た。
映画館に足を運ぶのは、ちょうど昨年の今頃に『すずめの戸締まり』を見に行った以来だったかもしれない。

映画館は私にとって魅力的な場所である反面、そこにいる間は砂漠の中に野ざらしでいるような気分にもなる不思議な場所だ。現代人にとっては決して短くない2時間や3時間の間、作品以外の知覚からは逃げることも隠れることも出来ず、暗闇の中で重厚な音圧と燦然たる光の束が生身の私を襲うのである。その体験は、時に私に処理の追いつかない負荷を与えることがある。

中学2年生くらいまで、私は映画館に行くと決まって体調を悪くしていた。当時は、ただ単に画面酔いや貧血などのせいかと思っていたが、よく考えたらこの高密度の知覚へのストレスによるものだったのかもしれない。


さて、この『君たちはどう生きるか』という映画であるが、予てより見たいと思っていた作品だった。
どうやら事前に周りの評判を聞くに、かなり抽象的な内容で評価も真っ二つに割れる、と聞いていたからだ。私はこうした類の作品について、大抵は私は肯定的な感想を抱き、他の人が感じ取ることの出来なかった作品の良さに気がつけたことへ、優越感を抱くことができるからである。


例えば、『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』。
おそらく『君の名は。』と公開期間が被ってしまったがゆえに日の目を見ることがなかった、知る人ぞ知る不運な傑作である。

タイムリープものとして内容が完成されていることはさながら、この作品は感情描写が劇的に上手なのだ。

主人公の既存の日常を壊したいという反抗心、新しい景色を見たいという好奇心、それすらも嘲笑って飲み込むような、大人びた少女なずなへの憧れ。でも、自分とは住む環境が違いすぎるがゆえに、決して一緒になることはありえないと気がついたときの絶望。お互いにこれが最後の夜になると分かっていても、この時間だけはすべてをまやかして二人だけの時間に染まっていたいという甘酸っぱさ。どこまでも、なずなに追いつくことは出来ないという快感にも似た非支配感。

これらを、真夏の花火大会の夜という美しい情景とともに描くのである。
ああ、振り返るだけで胸が縮こまりそうになるほど、儚くて切なくて、綺麗な物語だ。

けれど、世間一般の反応はそこまで芳しくなかったようだ。
「分かりづらい。結局何が起こってるのか全く分からなかった」
「最後はなんであんなに唐突に終わっちゃったの?」
「『君の名は。』の流行りに乗ろうとした失敗作」

自分の好きな作品のアンチコメントを読むことほど不快なことは無い。できれば無視をするに越したことはない。
ただ書いてて、こんな反応って現代アート似てるな、と思う。

私は現代アートが好きだ。
現代アートは、言わば芸術家と見ている人の間の対話によって成り立つ作品。作者は自分の表現したい概念をできる限り余韻を残しつつリアルに表現し、観衆はそこに自ら解釈を加えることで、共同で新しい世界観を作っていくという過程である。

だから見ている者にとっては、正解や不正解など気にせず、自由に解釈をしてもいい。分からないのであれば、それだって一つの解釈だ。とにかく、その作品を見ることを通して自分の中でなにか新しいことを考えられたのであれば、それだけでもはや自分の中に新たな作品を生み出すことに成功している、と言える。

現代アートは、このような敏感かつ寛容な心さえあれば、どんなアートよりも自由で楽しみやすいものなのである。
きっと、『打ち上げ花火 下から見るか? 横から見るか?』に批判をした人は、どこまでもストーリーに正解を求める人達だったのだろう。一度敷かれたレールから外れて思考の隘路に踏み入れる経験をした人ならば、きっと違った感想が生まれたに違いないのにな、と思う。


さて、ようやく『君たちはどう生きるか』の話に戻ってくる。
結論、この映画の感想を言うと、恐ろしく強烈な映画だった。これほどまでに胸に刺す映画が存在するのだろうか、と私は思う。

ただ、同時に賛否両論である理由は明確ではあったと思う。この映画はあまりにも現代アートなのである。
つまり、この映画を見るには少しばかり思考のレールから足を踏み外す勇気が必要なのだ。

この映画の情報量はあまりにも大きい。解釈可能性の大きい情報も、どす黒い感情も、人間の醜い部分もきれいな部分も、全てがあまりにも克明なのだ。

映画館が明転した直後、私はあまりの感情の渦に面食らって、しばらく立つことも出来なかった。頭の中がくぐもって、熱に浮かされているかのような極度の疲労。エネルギーを放出し尽くして、力が抜けたまま自分の身体がハーネスで吊られているような感覚。

異次元の強烈さを残して嵐のように過ぎ去った映画だったが、まるで悪夢を見ているかのような2時間を経験した後に、私は思った。
ああ、これは今までに経験したことがある。
おそらく……刺激的な現代アートを長い時間ぶっ通しで見続けた後の、気味の悪い浮遊感だった。

翌日まで頭にずっと何かが引っかかり続ける。
これほどまでに人の感情に刺激を与える作品を作れる宮崎駿氏は、やはり天才なのだと思う。


これを読んだ人にもぜひ見に行ってほしいので、私はこの物語の多くは語るまい。
でも、これは宮崎駿からの挑戦状であり、現代アートである。だからこそ、『君たちはどう生きるか』と我々に問いかけているのである。

人々が賛否両論の意見を各々抱いてはじめて、この作品は完成するのだ。

その意味では、意見が両極端に分かれている状況は、むしろ究極のアートと言えるのかもしれない。

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