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今週のオススメ新作3本 良作映画を紹介【次に見るなら、この映画】3月13日編

 毎週土曜日にオススメ映画をレビュー。

 今週は、映画館や自宅で鑑賞できる新作から、熱狂的に勧めたいトム・ハンクス主演の人間ドラマ故チャドウィック・ボーズマンさんの遺作説明不要の「シン・エヴァ」の3本を選んでみました。

①南北戦争後のアメリカを舞台に、各地を旅する退役軍人の男が、孤独な少女との旅路を通じて心を通わせていく姿を描いたトム・ハンクス主演作「この茫漠たる荒野で」(Netflixで配信中)

②1920年代のシカゴを舞台に、「ブルースの母」と称される実在の歌手マ・レイニーと彼女を取り巻く人々を描いたチャドウィック・ボーズマンさん主演作「マ・レイニーのブラックボトム」(Netflixで配信中)

③庵野秀明監督による大ヒットアニメ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズの第4部で完結編「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(公開中)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

◇南北戦争終結後のアメリカを旅する「インフルエンサー」の物語は、現代人の心に響く(文:インフルエンサー オスカーノユクエ)

「この茫漠たる荒野で」(Netflixで配信中)

 南北戦争終結からほどなく、心に傷を負った元軍人が偶然出会った孤児の少女を肉親のもとへ送り届ける旅に出るー。今から150年も前の時代を舞台にしたごくシンプルな話の中に、現代に通じるいろんな要素が詰まっているから驚きだ。

 情報網が整っていない「分断されたアメリカ」で、新聞読み聞かせ屋の主人公が「自ら選択した情報」を各地に伝えながら、「言葉の通じない」少女と「心をかよわせ」ながら旅をする。こうしたワードだけ切り取っても、なぜ本作が現代人の心を打つのかが見えてくる。

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 個人的にグッときたのは、現代のインフルエンサーとも言える主人公が、それぞれの土地でどんな情報や物語を伝えるべきかをキュレーションし、自分の言葉に置き換えて話し聞かせるという設定だ。

 疫病の実態を伝えて注意を喚起することもあれば、奇跡の生還劇を希望の物語として聞かせて人々の心を揺さぶることもある。

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 この主人公が選択する情報、そしてストーリーテリングの手法は社会に多大な影響力をおよぼす可能性がある。だからこそ、その力をもった人間の責任は重大だ。一国の代表たる者が良識を欠いた発言をすれば、世界中が大混乱に陥ることは誰もが身にしみている。

 戦争に傷つき、妻を亡くし、世の中に半ば絶望した主人公だが、少女と出会ったことでこれからどんな物語を伝えていくことになるのか。その未来に思いを馳せると、茫漠たる荒野に希望の光がさすようで、思わず目頭が熱くなった。

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 さて最後に、この映画の邦題について。原題「News of the World(世界のニュース)」にも込められている作品のテーマが置き去りにされている感がないでもないが、何より「茫漠」という単語のチョイスがすごい。映画.comで検索しても他に出てこないので、この単語がついた映画はもしかして史上初なのでは。

 なるべく万人にわかりやすく届ける必要がある従来の映画宣伝からすると、この邦題はこれまでありえない選択肢だった。受け手のリテラシーを信じた画期的で大胆な邦題に拍手を贈りたい。


◇ブルースのうねりと若き俳優が遺した名演とが絡み合う濃密な情景(文:映画ライター 牛津厚信)

「マ・レイニーのブラックボトム」(Netflixで配信中)

 昨年8月、チャドウィック・ボーズマンが逝去した。彼の演じた数々のレジェンドに比べると本作の役どころは小さな存在に思える。だが「Black Lives Matter」を経て大きなうねりの渦中にある今、ボーズマンが病を押して挑んだ最後の役柄“トランペット吹きのレヴィ”がアフリカ系アメリカ人文化を代表するキャラクターとして記憶に刻まれるのは確実だろう。

 原作はオーガスト・ウィルソンによる戯曲シリーズのひとつ。かつてデンゼル・ワシントンが主演、監督を務めた「フェンス」(16)もこの中の一作にあたるが、今回は彼がプロデュースに徹し、ブルースの女王がシカゴのスタジオに招かれ、依頼主やバックバンドとすったもんだを繰り返しながらレコーディングを行う“たった数時間の人間模様”を濃密に描く。

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 なぜこれがアフリカ系アメリカ人文化にとって重要なのか。それを理解する上では、こちら側から率先して彼らの目線へと飛び込んでいく必要がある。そうやって初めて、バンドメンバーが交わすリズミカルな言葉の中に、彼らのルーツや人生観、日常的な差別、搾取、暴力、さらには「我々は何者で、どこへ向かうのか」という精神性までもが星屑の如く散りばめられていることに気づくはず。

 そこへ“マ・レイニー”が到着すると緊張とうねりは最高潮に達する。彼女の威厳たっぷり、いや、威圧的で高慢とも言える要求の数々はかなり強烈だ。かと思えば、なぜ自分がそのように振る舞うのかという心境が赤裸々に語られ、彼女の一側面ばかりを見つめていた我々の固定観念は大きく揺さぶられる。

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 一方の“レヴィ”も複雑なキャラクターだ。彼は天下を取るという野心を抱きつつ、しかし過去の記憶が心に影をもたらしている。その上、“靴”や“扉”というメタファーを挟み込むことで他のメンバーとの生き方や考え方の違いは際立ち、一見するとシンプルな本作は、多様性と多面性を伴って奥深さを増していく。

 こういったリアルな声によって織りなされた映画が生まれること自体がマイノリティにとって一つの大きな達成であるし、彼らの目線に寄り添うことは観る側にとっても意義深い機会となろう。

 そしてエンドクレジットで胸をよぎるのはやはりボーズマンのことだ。キャリアを通じての影響力、ひいては本作に注目が集まることによって、映画界は多様性と尊厳を持って進化していくはず。その意味で、彼は文化的なヒーローでもあったことをいま改めて強く噛みしめたい。


◇人の心のありようを描き続けてきた「エヴァ」3度目の結末(文:映画.com「アニメハック」 五所光太郎)

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」(公開中)

 「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズは企画当初、テレビシリーズの総集編を3部作でつくり、最後だけ少し変えて「パート2」に繋げるような内容が考えられていた。そこには、「ガンダム」のように色々な人が「エヴァ」をつくることができるように、自分たちで露払い的な作品をつくっておこうという考えもあったそうだ。

 それが「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」では新キャラクターが登場して物語も大きく路線を変え、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」では見る人を突き落とすような衝撃の展開でファンを驚かせた。

 そして、完結編となる本作のコピーは、「さらば、全てのエヴァンゲリオン。」という只事ではすまなそうな文言。テレビシリーズ、「THE END OF EVANGELION 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に」に続く3度目の「エヴァ」の結末はいったいどうなるのか、一抹の寂しさと大きな期待を胸に公開初日に劇場へ足を運んだ。

 本作でもっとも心に残ったのは、序盤、碇シンジたちがある共同体ですごす日常のシーンだった。ニアサードインパクトによる被災のなかでたくましく生きる市井の人々の姿は、庵野秀明監督が「Q」のあとに手がけた「シン・ゴジラ」を連想させ、「破」で新しい「エヴァ」だと話題になった“ポカポカする”エピソードをアップデートさせたもののように見えた。長めに尺が割かれているこの日常の場面は、終盤の展開に大きな影響をあたえているはずだ。

 「エヴァ」は、これまで一貫して人の心のありようを描いてきた。外枠はロボットアニメとしてエンターテインメントの限りをつくしながら、世界の捉え方や他者とどのように関係を結ぶべきかが物語の大きなテーマでもあった。

 本作では共同体まで射程にいれた心のありようを描くことでこれまでの「エヴァ」を開放し、閉じているのに開いているというアクロバティックで見事な大団円をむかえていると感じた。

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