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静かに、しかし痛いほどに情動が伝わる新作映画3本 【次に観るなら、この映画】8月21日編

 毎週土曜日にオススメ映画3本をレビュー。

①村上春樹の短編小説集を西島秀俊主演で映画化した「ドライブ・マイ・カー」(8月20日から映画館で公開)

②田島列島の人気コミックを上白石萌歌主演で映画化した「子供はわかってあげない」(8月20日から映画館で公開)

③フランス映画界の名匠フランソワ・オゾンが、若かりし頃に影響を受けたという小説を映画化した「Summer of 85」(8月20日から映画館で公開)

 劇場へ足を運ぶ際は、体調管理・感染予防を万全にしたうえでご鑑賞ください!

◇春樹ワールドを換骨奪胎し魂の救済を静かに謳い上げた、カンヌ脚本賞も納得の力作(文:フリーライター 佐藤久理子)

「ドライブ・マイ・カー」(8月20日から映画館で公開)

今年のカンヌ映画祭の授賞式で、脚本賞に「ドライブ・マイ・カー」の名前があがったとき、周りでいささか落胆を示す海外の批評家たちがいた。彼らは本作がもっと大きい賞を受賞することを期待していたのだ。それほどこの作品の評価は高かった。

だが、よく考えれば脚本賞というのは理にかなっている。村上春樹の原作は短編で、これを179分の映画にするにあたって、濱口監督と共同脚本家の大江祟允は大胆に物語に肉付けし、エンディングも加筆しているからだ。原作では案外あっさりと幕が閉じるのに引き換え、ここではふたりの人間の魂の触れ合いにより、仄かな希望を感じさせる。

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もちろん、春樹ワールドに共通している物静かなトーンや、淡々とした語り口は引き継がれている。「ハッピーアワー」などに見られる濱口監督の持ち味のひとつである、些細なディテールにキャラクターの人間性が浮き彫りになる演出はむしろ、表面的には穏やかでも水面下ではさまざまなことが起こるこの物語の味わいを、一層示唆に富んだ深いものにしている。

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物語は俳優である主人公、家福(かふく)を巡る3つの人間関係によって織り成される。自分を愛しながらも浮気を繰り返していた妻(霧島れいか)の不貞を知りながら、彼女の突然の死によりわだかまりを抱え続ける夫(西島秀俊)と、不倫相手だった高槻(岡田将生)との対峙。こだわりの愛車が運転できなくなった家福の代わりに雇われたドライバー、みさき(三浦透子)と彼の触れ合い。

さらにいつも妻がセリフを読んでいたテープを車中で聴くことで蘇る彼女の存在と、その思い出。これらを結びつける要素として、原作以上に趣が置かれているのが芝居のリハーサルのシーンだ(これを国際的な俳優たちにより、異なる言語のまま上演するところに、斬新な意匠を感じる)。

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家福が演出するチェーホフの「ワーニャ叔父さん」の主役に、あえて若すぎる高槻を抜擢する家福の真意や、その高槻を、よくキレる得体の知れない男に脚色したことで醸し出される不穏な空気が、複雑な人間関係にさらなる陰影を与える。そうして映画の物語と入れ子構造の演劇が呼応し合い、重層的な醍醐味を醸し出す。

俳優たちはそれぞれ素晴らしいが、特筆すべきは原作のなかで体現するのがもっとも困難と思われるキャラクター、みさきを演じた三浦だ。目立った魅力を発散しないニュートラルな存在でありながら、運転という行為を通して家福の心に誰にもできないやり方で影響を及ぼしていく、そんな人物を体現した三浦の特質とともに、独自のメソッドで役者たちから最良のものを引き出す濱口監督の手腕を感じずにはいられない。

題名に引用されているビートルズの軽快な曲、「ドライブ・マイ・カー」が使用できず、ベートーベンで音楽が統一されたことも、結果的に映画にとっては良かったのではないかと思える、ひたひたと心に沁み入る作品だ。

◇夏の思い出、家族への愛、初めての恋心が痛いほど伝わってくる青春映画(文:映画.com 和田隆)

「子供はわかってあげない」(8月20日から映画館で公開)

「モリのいる場所」「おらおらでひとりいぐも」とお年寄りが主人公の作品が続いた沖田修一監督が、10代の若者を主人公に、夏休みが舞台の青春映画を撮り上げた。最新作「子供はわかってあげない」は、田島列島の人気同名コミックを実写映画化したものだが、沖田監督にとって初めてのコミック原作の映画化で新境地を開拓した。

冒頭、主人公の女子高生が好きなアニメーションから始まり、前作「おらおらでひとりいぐも」の冒頭のアニメ同様にこれから始まる物語展開の布石を打ってきてニヤリとさせられる。ここから全編を通して、どこか不思議なおかしさが続いていくのだ。

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それは上白石萌歌演じる高校2年生、水泳部員の美波が、真面目に、真剣になればなるほど笑ってしまうという性質ともつながってくる。普通であればシリアスで「ワケあり」な状況や事情のはずなのだが、本作には飄々とした“肯定のまなざし”が通底していて、辛いことも優しく受け止め、ユーモアあふれるあたたかさで描かれていく。それは原作のまなざしに、沖田監督の人間やこの世界への独特なまなざしがプラスされているからなのだろう。

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そして、美波を演じた上白石の瑞々しさとまなざし、撮影時にしか撮れない輝きがこの映画を珠玉の青春映画にしている。歌手としても活躍し、これまでアニメ映画「未来のミライ」などの声優や、ドラマ「義母と娘のブルース」、映画「羊と鋼の森」などでの確かな演技で評価されているが、「子供はわかってあげない」は彼女の新たな代表作の一本となったと言っていい。

上白石の向日葵のような笑顔と、くりっとした瞳からこぼれ落ちる涙から、青春の尊さ、忘れられない夏休みの思い出、家族への愛情、発狂しそうなほどの初めての恋心が痛いほど伝わってくる。相手役のもじくんを演じた細田佳央太との告白シーンは秀逸だ。

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また、そんな美波を豊川悦司、千葉雄大、斉藤由貴、古舘寛治、きたろうといった個性派俳優たちが受け止め、支えている。特に、美波が幼い頃に別れた父親を演じた豊川の円熟味をもった軽やかな存在感が素晴らしい。何やら怪しげで、胡散臭くなってしまいそうな父親を時に軽妙に、リアルな哀愁をもって、別れていた娘との距離を縮めていく姿は、豊川にしか演じられなかったのではないか。不意に訪れた海辺の町での娘との夏休み。言葉にはしなくてもどこかで相通じる二人。ずっとは続かないとわかってはいても、もじくんと帰る娘を見送った後の父親の後姿は寂しく、豊川の背中は、まるで小津安二郎監督作品の笠智衆のように見えた。

この映画を見終わってすぐに、美波と父親の再会を願ってしまうに違いない。少女の通過儀礼を通し、人生いろいろあるけど、笑って、泣いて、明日も頑張ってみようという元気をもらえる作品だ。

◇オゾン監督の“35年越しの処女作” 狂おしい初恋を胸に、少年時代と別れを告げる物語(文:映画.com 飛松優歩)

「Summer of 85」(8月20日から映画館で公開)

フランソワ・オゾン監督が17歳で出合い、心を動かされたエイダン・チェンバーズの小説「Dance on My Grave」(おれの墓で踊れ)を、約35年の時を経て映画化した「Summer of 85」。自身の青春時代を投影し、「1985年の夏」をエモーショナルかつノスタルジックに描き出している。

舞台は仏ノルマンディーの海辺の町。16歳の少年アレックスは、運命的な出会いを果たした18歳のダヴィドと一瞬で恋に落ちる。しかし、ダヴィドは突然の事故でこの世を去ってしまう。悲しみに暮れるアレックスを突き動かしたのは、ダヴィドと交わした「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という奇妙な誓いだった。

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オゾン監督はこれまで「危険なプロット」「17歳」などでティーンの複雑な内面に迫ってきた。本作でその眼差しは、嵐のような初恋に溺れるも、永遠の別離に打ちひしがれるイノセントなアレックスに向けられる。

思春期の繊細な感情を丹念にとらえた原作にリスペクトを捧げており、映画でもふたりが交わす視線、くるくると変わる表情を照らし出す光、アレックスがダヴィドを思い出しながら綴る言葉のひとつひとつから、彼らの鮮烈な感情が溢れ出す。相手のほかにはもう何も見えないという熱狂、自分の心さえ思い通りにならない歯がゆさ、かつては惹かれていた“死”の残酷さと対峙し、体がばらばらになるほどの絶望、やがて訪れる無垢な少年時代との別れ。抗いがたく、狂おしい初恋の世界は、それを知った“あの頃”へと、見る者を否応なく導いていく。

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さらにオゾン監督の新境地ともいえるみずみずしいラブストーリーに仕上げつつも、“オゾン監督らしさ”も健在。冒頭では理由が明かされないまま、ある場所に佇むアレックスの姿が映し出され、ミステリアスに物語の幕が開く。またふたりが心を通わせるシーンや、激しく言葉をぶつけ合うシーンなどの重要なポイントでは、監督作にしばしば見られる鏡のモチーフが登場する。

「彼は秘密の女ともだち」の二面鏡のように、ふたりの内面の揺らぎが表現されているかのようだ。映画監督人生を通して胸に存在し続け、“35年越しの処女作”とも言える作品であるからこそ、オゾン監督の情熱や演出力が光る。一方で、異性装、霊安室、少年と教師の関係、墓地、作家など、原作の要素がこれまでの監督作に生かされていることにも気付く。オゾン監督の集大成であると同時に、原点を見出すこともできる作品なのだ。

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1982年に出版された原作は、同性愛を扱った最初のヤングアダルト小説のひとつ。オゾン監督は「少年ふたりの恋愛に皮肉なんか一切加えず、古典的な手法で撮って、世界共通のラブストーリーにした」と語る。その言葉通り、劇中では同性同士の恋愛に付きまとう周囲のいわれなき偏見や不寛容が、取り立てて描写されることはない。

アレックスとダヴィドは自然に惹かれ愛し合い、後に出会うイギリスの女の子ケイトはダヴィドの死後、ふたりの関係を知ってもなおアレックスに寄り添い、特別な絆を結ぶ。恐らく80年代に描くことは容易くはなかったであろう、誰もが自分自身を偽ることなく生きられる世界の形への、オゾン監督の強い意志が宿っている。


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