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この子たちが私の元に生まれた意味

スローペースで成長する息子と娘を育てていると、親として勝手に焦ること、先を悲観することがある。

しかし、ふと思うのだ。この子たちが私の元に生まれてきてくれたのは、私自身が「違いを尊重し、ありのままの姿を認め愛すること」を学ぶためなのではないかと。

父側の祖父母と3世帯同居で育った私。祖父母や両親はとても愛情深く、何不自由なく育ててもらった。しかし幼い頃の私は、家族の中にどこか息苦しさを感じていた。今振り返って考えると、それは「常識」や「世間の目や評価」を重要視する空気感にあったように思う。

20代までの私は何事も他人軸。世間にどうみられるか、親にどう思われるかがすべての判断・評価基準だった。いつも周りの目が気になって、周りとズレていない自分、標準的な人間であることを自分自身に課してきた。無意識に判断の軸は親や常識(と言われるもの)にあるため、自分の心に従って物事を考えたり、好きなものにとことんはまった経験がとても少ないと自覚している。

こんな私は、結婚して多くの壁にぶつかった。自由人で、ある意味とても自分軸で生きている夫との異文化コミュニケーションがうまくいかず、互いに相当疲弊した時期があった。その際、自分がいかに親の価値観の中で生きているか、常識という形のないものに縛られた考え方をしているかを実感させられた。

そのことを自覚し自分軸を意識するようになってから、随分と生きやすくなってきたと思う。私の中にたくさんあった「〇〇すべき」を少しずつ手放し、枠を外し、柔軟に自由になっている実感がある。ただ、長年染みついた価値観・思考癖はそう簡単に変わるものではなく、「普通は~」という刃で自分を責める思考がひょっこり顔を出しては、自らを傷つけることがいまだに沢山ある。思考を変化させるには、日々の意識と積み重ねが必要だと感じている。

その手助けをしに来てくれたのが、冒頭述べたように我が子たちなのではないか、なんてふと思うのだ。ちょっとスピリチュアル的な感じだけれど。

ちょっと「普通」からはみ出がちな彼らは、私の悩みの種ではあるけれど、同時にそれぞれに違うからこその良さや輝きがあって、そこが面白くて愛おしく、私の中の枠を押し広げてくれているように思う。

彼らを通して、自分自身の色んな部分を否定せずそのまま受け入れることが以前より容易になり、夫や家族、友人、周りの人など向ける視線も、個々の違いをより尊重できるようになってきたと感じていたりする。

目の前のことにいっぱいになるとネガティブな方向に引っ張られがちな毎日。しかし俯瞰してみると、この日常は私に与えられた素晴らしいギフトなのかもしれない。

この子たちが私の元に生まれた意味。

その答え探しもこれからの楽しみの一つにしよう。


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