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【絵本エッセイ】うちの絵本箱#6『「もぐらとずぼん」より~手仕事の楽しみ~』【絵本くんたちとの一期一会:絵本を真剣に読む大人による絵本本格評論】

手仕事の楽しみ~ズデネック・ミレル絵『もぐらとずぼん』より~


0.はじめに

 おかげさまをもちまして、ついに第六号となりました。第五号まで出したところで、いい感じで肩の力が抜けて、だいぶ楽になってきました。そこで今回は、名作かどうかは抜きにして、気楽に楽しめる本を選びました。

 ずばり、チェコの絵本兼アニメーション作家ズデネック・ミレル(一九二一-二〇一一)絵の『もぐらとずぼん』(一九六〇年刊、註:福音館書店発行の内田莉莎子訳日本語版は一九六七年刊。邦題ほぼ同名のチェコ・アニメーション映画も存在します)です。最初に娘にまとめて絵本を買い与えたときに、近所の本屋の絵本コーナーを回っていて、手に取って、即座にこれと決めた本の一冊です。私自身がどこかで見ていた記憶もありましたが、ほとんど予備知識なしに、絵の愛らしさに思わず負けてしまったのです。そして、家に持ち帰って読んでみると、まあ、字が細かくて長い。娘に読み聞かせるのは一苦労でしたが、そのストーリーのはっきりした特徴、また、予想外の発想の展開とともに、網羅されている膨大な知識には、ずいぶん感心させられました。こんなゆったりとした、のびやかな、そして、古き良き時代めいた本が、今時あるでしょうか。全部手作りで作ってしまうなんて、びっくりです。娘に説明するにしても、私自身が、糸をつむぐという工程すら知りませんでした。また、絵もとことんかわいいです。いかにもアニメらしくて、子供でなくとも、その魅力にはイチコロでしょう。

 いずれにせよ、この原稿を書く上で必要になって、いろいろ調べていくうちに、この本とクルテクとチェコ・アニメとチェコという国と文化の虜になってしまいました。一冊の絵本がつれていってくれる世界がこんなに奥深い世界だったとは、と今さらながら驚いています。そんなこんなで、この本を選んでよかったと思いますが、万分の一でも、その魅力と射程の広さを皆さんにお届けできたらと願っております。


1.チェコの絵本として

「職人の国」チェコ

 現在のチェコ共和国がまだチェコスロヴァキアと呼ばれていたころに書かれた専門書で読んだのですが(註:参考文献1参照)、ゆったりしているチェコの人たちは、サービスの悪い外注を当てにせず、なんでも器用に自分で作ってしまう傾向があるそうです。ポンコツの自動車が新品同様になったり、一枚の布が立派なドレスに早変わりしたり、といったことが、決して珍しくはないそうです。

 こうしたなんでも自分で作るチェコという国のことを「職人の国」と呼ぶ呼び方もあるそうです(註:参考文献2参照)。それはチェコという国が、中世以来工業国として発展してきた歴史があるからなのですが、その意味で、ズボンを一から手作りしてしまうというこの本は、歴史的にも文化的にも、大変チェコらしい一面を持っているといえるのです。

 それでは、この本で紹介されているズボンの作り方をおさらいしてみましょう。


ズボンの作り方のおさらい

宝物を入れるための大きなポケットのついた青いズボンがほしくなったもぐらが、あまのアドバイスで行った工程は次のようなものとまとめられるでしょう。

「あまを栽培・収穫する→水に浸ける→乾燥させる→たたく(折り曲げる)→梳く→糸に紡ぐ→コケモモで染色する→織る→切る→縫う」

このようにあまという植物で作った布をリネンというのですが、このよくシーツなどに使われるリネンもチェコでは生産が多い布なのだそうです。

先ほども言いましたが、中世以来の工業国としてのチェコです。特に、十九世紀のオーストリア=ハンガリー二重帝国支配における、熟練工としての職人を多数抱える近代工業国としての発展以来、当時の共産主義政権下においても組織化・合理化が推進され、スロヴァキアと比べた先進地域として、繊維工業も盛んだったのです。そして、そうした職人の国としての環境的体質があったからこそ、こうしたストーリーが思いつかれたのではないかと思われるのです。

 また、工業というより、手工業的なゆったりとしたノリで話が進むのは、職人の国としてのチェコに独特の、合理化がなかなか進まず、良くも悪くも外注に頼まない熟練工頼みで、しかもノルマをこなすだけで満足してしまう社会主義体制によくあるような、のんびりとした労働風景が眼前にあったからではないか、などと想像をたくましくしてみたくもなるのです。


チェコ・アニメと「もぐらのクルテク」

 ここで突然ですが、この『もぐらとずぼん』を皮切りに作られていく、絵本とアニメーション映画の「もぐらのクルテク」シリーズについて調べたことを書いておきます(クルテクとは、チェコ語で「もぐら」の意)。

 まず、「もぐらのクルテク」シリーズは、日本での「ドラえもん」に相当するような、国民的アニメなのですが、なぜチェコではアニメーションが盛んなのでしょうか。

チェコでは、有名な絵本については、宗教改革時代に世界で最初に絵本を作ったとされる、コメニウス以来の伝統がありましたが、特に啓蒙主義の広まった十八世紀後半ヨーゼフ二世の時代に、十七世紀以来チェコを支配していたハプスブルク帝国の、ドイツ語だけを公用語とする言語統制政策が緩められ、プラハで演劇がチェコ語で上演可能になり、民族再生運動の一環として農村部にもそれが人形劇の形で伝わり、盛り上がったという、特別な事情がありました。そのため映画が席巻する二十世紀に入ってからは、そうした伝統と当時流行のアメリカのスラップスティック・アニメーションの影響を受けて、人形を使ったパペット・アニメーションが制作されるようになりました。特に、第二次大戦前後、パチャというオーダーメイドの靴メーカーが作った、チェコ南部のズリーンのスタジオでそうした試みがなされたのが有名ですが、当時の優秀なアーティスト集団は、ズリーンやプラハなどのスタジオで、クルテクのような、ディズニー映画を範とするドローイング・アニメーションも多数制作したのです。この時期のチェコ・アニメーションは特にこのパペット・アニメーションで有名なのですが、この時期のドローイング・アニメーションで唯一世界的に名を遺したのが、「もぐらのクルテク」シリーズだったのです。

また、第二次大戦後は、共産党政権の傾向として、諸々の芸術の統制には厳しかったのですが、良質な教育を求めて子供向けのアニメーションには比較的寛容で、そのためアニメーションの制作に、才能のはけ口を求めた当時のアーティストたちがこぞって力を傾けたという要因も関係しました。

さらに、一九六五年に始まって以来、今も続くヴェチェル・ニーチェク(「おやすみアニメ」と訳される)という、子供向けの毎晩のTVアニメーション番組が、子供に大いに人気で、ここで人気を博すことがアーティストとしての実力の試金石となるという認識から、アーティストたちがこぞってアニメーションの制作に携わるという傾向も現れました。クルテクもここで国民的キャラクターとしての人気を不動のものとしたのです。


ズデネック・ミレルについて

ここでその生みの親、絵本作家兼アニメーション作家であるミレルについてふれておきましょう。一九二一年にクラドノで生まれたミレルは、芸術家気質の祖母の影響を受けて育ち、プラハの国立グラフィックの学校で写真を学んだ後、プラハ工芸美術大学でグラフィックや絵画を学びます。一九四一年、戦争の影響で学業を中断せざるをえなくなり、パペット・アニメーションを始めた、ズリーンの大立者の一人、ヘルミーナ・ティールローヴァーのもとで、セル画アニメーターとして働き始めますが、戦後、プラハに戻り、これも有名なイジー・トルンカが所長を務めていたトリック兄弟スタジオに参加し、監督デビュー作となる『おひさまを盗んだ億万長者』がいきなりヴェネチア国際映画祭で特別賞を受賞します。そして、二〇〇二年までに数々の作品に携わり、特に代表作「もぐらのクルテク」シリーズは、全部で六十二本撮りました。これを含めたアニメーションの監督作品は、全部でなんと九五本にのぼるそうです。このもぐらくんのシリーズや「しりたがりやのこいぬ」のシリーズなどの多数の絵本にも深くかかわったミレルですが、やはりアニメーション作家が本業といえるかもしれません。そのミレルの絵本・アニメーションを通じての代表作であるクルテクについては、散歩していたときにもぐらの穴に躓いてひらめいたという話が伝わっています。

 

さて、いかがだったでしょうか。チェコについて、チェコ・アニメについて、クルテクについて、ミレルについて、等々調べたことを書いてきましたが、予備知識はもう十分なのではないでしょうか。それでは、次にようやくテクストの分析に入っていきたいと思います。


2.テクスト分析:無償の労働と諦めないことの大切さ

 まず、登場する動物や鳥や虫や植物の多さに驚いてしまいます。ざっと、ねずみ、ちょうちょう、えびがに、かたつむり、よしきり、あま、かえる、はえ、こうのとり、はりねずみ、くも、こけもも、くわがたむし、あり、こがねむし、といった具合ですが、普通の絵本なら、繰り返しのパターンで、多くても七・八種類ほどの登場で終わるものですが、リネンを織り、ズボンを作るという工程的な展開のために、何工程も必要になって、必然的に登場人物も多くなるのです。

 さて、この本の特徴ですが、このように多数の動物が出てきて、ゼロから手作りで布を織り、ズボンを作ってしまうというメインのプロットから、派生的にいくつかの主題が浮かび上がってきます。第一に、出てくる動物たちが、みな無償で手伝ってくれるという、無償の労働です。第二に、みな、適材適所で分業して作るという、手工業の理想としての労働のあり方です。第三に、決して諦めないからこそ、夢はかなうという、諦めないことの大切さです。


無償の労働とサービス精神

まず、無償の労働とそれを可能にする、尊いサービス精神についてです。

 この本に出てくる動物たちは、すぐ眠ってしまうハリネズミなど、それぞれに応じた自然な登場の仕方をしますが、いずれも、もぐらの求めに応じて、快く仕事をしてくれるというところが共通しています。

 一つは、誰もが基本的に怠け者ではなく、体を動かして働くことに倦怠を覚えない、働き者であることが、その理由として挙げられるでしょう。特に、あまから害虫を追い払い、雑草を抜き、水をやるもぐらと、機織り機を作り、布を織ってしまうありたちの姿に、そうした姿勢を垣間見ることができます。

 もう一つは、みながフレンドリーでサービス精神にあふれているからという理由が挙げられるでしょう。これは、古き良き時代の伝統であり、おそらく当時のチェコには、まだ残っていた風潮なのです。今の日本人の感覚ではありえないことのような気がするのですが、いかがでしょうか。頼んだら気安く求めに応じてくれる。そんな親切で寛容なサービス精神が、そうしたものを失ってしまったかもしれない現代の日本人である私には、非常に尊くありがたく思えるのです。

 さあ、どちらについても、当時のチェコの人たちの生き方が投影されている気がします。この本を読んでいて、とても懐かしく、心地よく思えてくる理由であると思います。

 最後に、主人公もぐらに対する好意と友情が挙げられると思います。もぐら自身が頑張り屋なのです。自らあまを一生懸命育て、収穫し、採れたあまや布をもって運び、次々に友達を訪れる労をいといません。そうしたもぐらの頑張りを認め、好意を持つからこそ、みんなが応えてくれるのでしょう。

 こうした三つの理由で、みなが無償で手伝ってくれるのだと思われます。なんとも愉快で、尊い世界です。こんな豊かな心の世界だからこそ、ズボンが実際に出来上がり、もぐらの大喜びする姿が実現するのであり、読むほうも楽しめるのでしょうね。


完全分業の理想的労働

この本を読んでいて、ふと面白いと感じた理由の第二に、それぞれの動物がそれぞれの役目しか果たさないのに、全体として一つのゴールにたどりつき、しかも、無理がない一連の流れになっている、というところがあります。

 個々の個所をよく見てみると、確かにあまのアドバイスがあったればこその目標達成であり、もぐら自身が懸命に頼んでいるからでもあるのですが、それぞれの動物が自分のできることをしているだけだということに気づきます(ある虫などは、ただ周囲で応援の音楽を演奏しているだけなんです!)。にもかかわらず、ただの植物が繊維に変わり、糸に変わり、布に変わり、最終的にはズボンになるのです。適材適所の完全な分業体制です。私はこうしたあり方は、ある意味で、労働の理想的な状態だと思うのです。

 現代の一般企業のサラリーマンの状況として、上から指示のあった仕事は、本人の意思と能力にかかわりなくやり遂げなくてはならない、という困難な労働環境があると思われます。ところが、ここでは、個々人の職能がいかされ、限界と守備範囲とのバランスが、本当によく保たれています。これは、すばらしいことではないでしょうか。

 本人の意思を尊重し、しかも、できることをしてもらう。もっとも効率の良い、上にも下にも損にならない働き方ではないでしょうか。

 これが当時の社会主義の働き方のユニークさだとしたら、社会主義も捨てたものではないと思われるのです。あるいは、当時のチェコの工業国としての伝統と、労働環境でしょうか。非常にのんびりゆったりと、自由な感じがします。私もこんな場所で働いてみたいと思いました。

 偶然かもしれませんが、この本に表れている、こうした労働のあり方を、一つの労働環境の理想的モデルとして考えてみたいと思った次第です。

 

諦めないことの大切さ

 この節の締めくくりとしてもう一点特筆しておきたいのが、もぐらの目標実現に至るまでの惜しみない努力についてです。

よく見てみると、さすがのもぐらも、実は一旦諦めて泣いているのです。さすがの楽天的なもぐらにも、ゼロから布を作るという発想は、最初はなかったのです。ところが、ここは、あまという天の助けに恵まれて、あわやの挫折の機会も乗り越えるのです。ここがこの物語の一番美しいところなのですが、一旦手立てを教えてもらった後は、もぐら自身も不撓不屈の精神で努力しますし、そんなもぐらに対して、どの動物も決して嫌とは言わず、喜んで助けの手を差し伸べてくれるのです。もぐらは、一心不乱に働き、一気に目標達成までひた走ります。

私は、ここで言われているのは、単純な発想かもしれませんが、諦めずに工夫し、努力し、労を惜しまず自分で作れば何でも手に入るというスローライフ的な手仕事の薦めであり、もっと簡単に言えば、「諦めるな!」というメッセージだと思うのです。

 手仕事の薦めについては、後で触れるのでここであえて触れませんが、後者のメッセージについては、子供たちがこの本を読んで学ぶ内容として、最善のものだと思うのです。もぐらが一旦涙しながら、さまざまな過程を経て、最後にほしくてたまらなかったズボンを手に入れて大喜びする姿は、一人前としての労働、あるいは、いわば一つの冒険を経験した主人公の成長した姿であり、読者の子供たちは、一緒になってはらはらどきどきしながら、最後に大喜びするのだと思われます。子供も働くことに喜びを覚えるでしょうし、働いて何かを得ることに達成感を見出すかもしれませんし、それを冒険と考えれば、楽しさ十分な生き方を見出したともいえるのかもしれません。この意味で、もぐらの一連の行動は、子供に一つの働き方のスタイルを提示してくれているといえる気がします。また、何事にも最後まで諦めない姿勢は、何をするにあたっても大事な態度であるでしょう。働き方だけでなく、生き方そのものの指針でもあるのです。

 単純なアニメ、あるいは絵本の、楽天的な子供っぽい主人公でありながら、もぐら、すなわちもぐらのクルテクは、子供たちを勇気づけ、また、子供たちにとっての大事な見本となってくれているのです。

 

このように、『もぐらとずぼん』のテクストを分析して、三つの主題にまとめましたが、いかがでしたでしょうか。あまりにも社会主義よりの考え方をしていると思われたかもしれませんが、私自身には特にそうした考え方の持ち主である自覚はありません。それでも、この話に色濃く出ている当時のチェコの人たちの生活ののんびりとした雰囲気に、非常に共感を覚えたのも事実です。今ではチェコスロヴァキアという名称も過去のものになってしまいましたが、現在のチェコ共和国の雰囲気も知ってみたいものです。

 

3.結語:手仕事の楽しみ

 最後に、これまでの流れに即して、『もぐらとずぼん』を簡単にまとめようと思います。

 調べたことについてはもう十分でしょう。チェコの文化について、クルテクについては、かなり予備知識も増えました。それでは、この本を読んで一番伝わってくるメッセージとは何でしょうか。

 それは、一言でいえば、「手仕事の楽しみ」であると思います。

 最近、スローライフということが言われるようになって、特に手仕事の楽しさは強調されている気がしますが、私は、六十年以上前に作られたこの本ですでに、その発想は表れていると思うのです。

 主人公のもぐらも、現代人の常として、すでにあるべき加工品が手元にないといって、泣いて諦めようとしますが、すべてを手作りすることによって、代替品を自ら作ってしまいます。代替品というより、すべてを手工業的に生産していた近世にたち戻ったとみるほうが的確かもしれませんが、そこには、あまから布ができるという予備知識さえあれば、自分で作ってしまえるのだという、古来の知恵というべき力が働いているのです。また、そのような知恵を活かせば、先進工業国の加工生産品目の輸入に頼らなくても生きていけるという職人気質のチェコ人らしい自負が非常に強く表れているのです。

 私は、危機管理に弱いといわれている(かな?)現代日本の私たちにとって、こうした考え方は、大いに啓発されるところがある気がします。確かに、あまという植物は日本には生えていないかもしれません。それでも、その他にも手工業的な生産品の例はいくらでも挙げられると思います。たとえば、もう一冊の福音館書店のもぐら絵本、『もぐらとじどうしゃ』では、壊れたぜんまいじかけの自動車が新品になるところが描かれていますが、繊維工業でなくとも構わないということがわかります。いずれにせよ、手仕事は生きる知恵なのです。災害や燃料の枯渇などの問題で、生活物資がストップしても、こうした生き方なら、細々とでもしぶとく生き残っていけるでしょう。消費社会の住人である現代に生きる私たちにとって大事な観点ですし、それを六十年以上先取りしていた本書はすごいというしかありません。

 しかし、手仕事は、生きる知恵である前に、楽しみとしての側面ももっています。特に、この手仕事についての話が、絵本で、アニメで描かれているという点が重要です。決して声高に押しつけがましく言われているわけではないのです。手仕事の重要性は、あくまで楽しみとでもいうべきレベルにとどめられ、すべては絵本の、あるいはアニメの、愉快な世界の一装置として機能しているだけなのです。そこがまたいいところではないでしょうか。

 こうした重要ながら愉快な話題が子供のアニメになり、国民的人気を博しているところがチェコののんびりとしたお国柄であり、ひいては、非暴力の一九六八年のプラハの春、一九八九年のビロード革命を可能にした、奥ゆかしい国民性であると思うのです。私は、そうしたチェコを、もぐらのクルテクを、チェコのアニメと絵本を心から称揚したいと思います。

 冒頭でも述べましたが、この本を読んでいろいろ調べたり、考えたりして、これまでの考え方を試される部分もあって、大変勉強になりました。この本を選んで、チェコの文化に触れることができて、本当によかったと思っています。皆様にもお伝えできればよいのですが、私もそのうち、阿佐ヶ谷辺りのチェコ・アニメーションや映画の上映会にでも行ってみようと思っています。実は学生時代に一日だけプラハに足を踏み入れたことがあり、そこで見た美しい古風な街並みと民芸品の屋台や大道芸人でごった返すカレル橋などを懐かしく思い出すのですが、この希望が口だけで終わらないことを願っております。チェコ万歳!(笑)。

 

参考文献

1)石川晃弘『くらしのなかの社会主義:チェコスロヴァキアの市民生活』青木書店、一九七七年

2)チェコ・チェコランドのホームページ (http://a-a-agallery.org/

3)田上早利恵『チェコ人形劇―チェコ民族形成と支配の歴史と共に―』神戸大学国際文化学部卒業論文 (http://web.cla.kobe-u.ac.jp/staff/ti/Tanoue.pdf)

4)『東欧アニメをめぐる旅:ポーランド・チェコ・クロアチア』求龍堂、二〇一四年

5)『チェコ絵本とアニメーションの世界』求龍堂、二〇〇六年

6)海野弘解説・監修『チェコの挿絵とおとぎ話の世界』パイインターナショナル、二〇一四年

7)ズデネック・ミレル『クルテクの生みの親ズデネック・ミレル原画集』プチグラパブリシング、二〇〇五年

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