人生について考える②-人生とは、引き算-
「人生とは、登山ではなく、死というゴールに向かう下山。」
先日のnoteでは、
人生は、問うではなく、問われるコトである。
と、書かせていただきました。
そして、昨日に引き続き
人生とは、足し算ではなく、引き算である。
そんなお話をさせていただきたいと思います。
読者のみなさんが、自分の人生を見つめなおしてみる。
そんなきっかけになれば幸いです。
■【人生=足し算】の生き方
「足し算が生むのは、他者との比較。」
大人になるにつれて、僕ら他人との比較に苛まれることが増える。
仕事では、やれ昇格だ、年収だ。
プライベートでは、やれ結婚だ、マイホームだ。
SNSでは、やれフォロワー数だ、View数だ。
と、いろんな切り口で僕らは、他人との比較にさらされる。
グローバル化、テクノロジー化で新しい世界に放り込まれた僕たちは、
自分のチャンスを広げる機会を得たと同時に、
他人とのグローバル競争にさらされ、現実を突きつけられる機会も増えた。
成功者は言う。
「目標を持ち続けろ。」
「目標に向かって努力し続けろ。」
どんどん努力して積み上げる。
年収も、名誉も、フォロワーも努力して足し算式に積み上げろ。
足し算競争に晒される僕らは、いつも周りを気にしてしまう。
同期が、自分より先に昇格した。
大学時代の友人が、年収2千万を超えた。
そこにあるのは、
より高く、より多くを積み上げた人が、勝ち。
という世界観。
そして、自分とその成功者を比較した時に、
自分に対する自信を失い、歩みを止めてしまう人がいる。
また、自分が優位に立てる相手と自分を比較し、
自分に対する自己満足を、なんとか保とうとする人がいる。
これは自分も含めてだが、そんな足し算式の人生に悩まれている方に、伝えたい。
どんなに積み上げても、誰もがいつか死ぬ。
つまり、人生におけるゴールはみんな一緒だ。
😯
■引き算式、人生論。
人生は、私に何を期待しているのか。
と、問う。
その問いに答えることが、生きること。
と、先日のnoteで述べさせていただいた。
つまり、
人生は、誰に対しても所与のもの。
と、考えることができる。
生まれてきたこと自体がラッキーだ。
人生を、
スタート地点を100とした、死という0に向かう旅。
と、考えてみてはどうだろう。
足し算式の人生観とは以下のようなイメージだ。
どんどん積み上げていき、死ぬときにより多く積み上げてきた人が成功者という考え方。
だからこそ、他人との比較。
どれくらい自分は積みあげてきたのか、獲得してきたのかが価値になる。
一方、引き算式の人生観とは以下のイメージ。
生(人生)は所与のものとして、与えられたものであり、最後は死=ゼロに向かう。
つまり、ゴールは一緒になる。
あなたは、死ぬ時に、
年収あと1000万あげてから死にたかった。
フォロワー数あと1000人増やして死にたかった。
なんて、果たして考えるだろうか。
死というゴールに全員が向かい、そこでの差は全員ゼロになる。であるならば、
あの人との比較に、意味はあるのか。
僕は、それよりも人生において考えるべきことがあると信じる。
人生における、歩みだ。
🥺
■あなたは、どんな人生を歩むのか。
人生は、問うではなく、問われることである。
そうであるならば、僕が、あなたが死ぬ時に考えることは、
その問いに対し、自分はどんな選択をしたのか。
年収よりも、フォロワー数よりも、何よりも、
死ぬときに考えることは、そこだと思う。
人生が問いかけてきた問いに対して、自分は一つ一つ全うしてきただろうか。
そう自問すると、僕は思う。
“おこさんと大喧嘩した時に、プライドが邪魔して謝れなかった自分”
“奥さんが体調を崩したが、仕事を優先した自分”
“助けて欲しいと訴えられたのに、周りに流され手を差し伸べなかった自分”
そういったあらゆる人生の局面で、問われてきた問いに対し、
あなたは、どんな歩みを進めてきたのか。
易きに流れて、既に舗装された道を選んだのか。
それとも、
自分を信じて、茨の道を切り開いてきたのか。
死というゴールに到達し、あなたが自分の人生を振り返った時に、
充実した人生だった
と、感じられるかどうかは、
あなたの歩んできた、道のり。
だと、僕は信じる。
😭
■まとめ
本日は、先日に続き人生について考えました。
本noteで僕が伝えたかったこと、それは
人生とは、足し算ではなく、引き算である。
ということ。
誰しもが、死というゴールに向かって、歩む旅。
僕は、人生というものを、そう捉えています。
であるならば、僕らが人生においても最も重要視すべきことは、
他人との、比較。
ではなく、
人生における自らの、歩み。
だと、僕は信じます。
人生には困難がつきものです。
うまくいくことよりもうまくいかないことの方が多い。
成功よりも、当然失敗の方が多い。
ただ、人生の一つ一つの局面における問いかけに対して、
自分は、どんな答えを出したのか。
それが、死というゴールで人生を終えたときに、
僕ら人類が自らに問う、最後の問いである。
と、僕は考えます。
正直、この2日間くらい頭痛がひどい上に、かつ仕事も夜遅くまで立て込み、気持ちが本当にダウンしていました。
それでも、尚。
Noteを書くことを続ける。
それが、この局面で出した答えでした。
その選択が、死ぬときに良かったと思える選択になるように、
僕は、noteを書き続けたい。
このnoteが、少しでも読者のみなさんの人生を考えるきっかけになれば、幸いです。
誰かにとっては小さな一歩でも、あなたにとっては大きな一歩。
そんなふううに考えてみは、いかがでしょうか。
ではでは、本日はここまでです。
また、明日のnoteでお逢いしましょう。
P.S: ジャスティン・ビーバーが新曲リリースしましたね。『Holy』PV、最高に泣けます。日曜夕方の癒しに、この曲と共に人生に思いを馳せてはどうでしょうか。
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