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耐えて耐えて耐え続けたら搾取される?

どうも、逃走中のはやしです。

今日はここ数日ぐるぐると考えてしまっていた、自分の中の気持ちを書き出してみたいと思います。

最近暗い自分と穏やかな自分が2人いる感じなので、思いのまま書き出したらなんだか会話のようになってしまいましたが、まぁいっかってことでそのまま載っけておきます笑

いつの間にか刷り込まれた「耐えることが正しい」という考え

「新卒で入社したら最低3年は頑張らないと、忍耐力ないと思われて再就職も難しくなる」

就活中にいたるところで聞いた話。

ふーん、そんなもんか。とぼんやり聞いていたけど、素直に頭の中に刷り込まれていたんだな、とこの歳になって実感します。

「簡単に逃げたらいけない」「続けることに意味がある」「辛い時にも逃げないで頑張るからこそ見える世界がある」

わかるよ、どれも正しいよ。

でも、頑張って頑張って耐えて耐えて、その結果壊れてまともに生活もできなくなったら、元も子もないよね?

「簡単に」逃げたわけじゃない。

限界まで頑張って、根本的に無理ゲーだなって思いながらも、言い訳しないで頑張ったんだよ。

「できない」って言わない。人のせいにしない。

そう思いながら這いつくばってなんとか進んで辿り着いた先は責任を押し付けられて搾取される世界って、残酷すぎだろ。

残酷な世界が悲しくて悔しくて、情けない。

そんな気持ちが正直ずっと自分の中にあります。

世界を恨んだって仕方がない。わかってるけど、真面目に、いつの間にか刷り込まれた「忍耐は美徳」の価値観を後生大事に生きてきて、その結果壊れちゃった。

やりきれない。

バカ真面目に生きてきた自分はやっぱりバカみたいだ。

人を出し抜いて人のせいにして生きられる人間だっているのに、どうして自分は…

でも、私はそんな人間にはなりたくない。自分で自分を誇れる生き方をしたい。

だから、これで良いんだよ。

ボロボロになりながらも守った自分のポリシーは、これからも自分が自分らしくいられる原動力になるから。これを守れただけでも逃げ出したことに価値はある。

自分の思いだけは誰も搾取できない。

そう思ったら気持ちが楽になりました。

苦しいときこそ気付けるもの

大変なときに人の本質は見えるから、周りの人が本当はどんな人なのか。

自分が苦しい、と感じているときには自分の中に何か守りたいものがあるから。一体それは何なのか。

この状況になったからこそ気付けることがたくさんあったから、これはこれで良かったのかも。

自分の軸を見直すチャンスになったし、これからのまだまだ長い人生を他の誰でもない、「自分にとって」素晴らしいものにするための転換期なのだと思う。

何事も捉え方次第だから、悔しさの中で身を燃やすか、悔しさを消化して次に進むかも全部自分で決められる。急がなくて大丈夫だから、自分の気持ちが整ったときにゆっくり進んでいけばいいよ。

大丈夫大丈夫。

というわけで明日も元気に逃走しようと思います!ではまた!

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