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父と兄と職場でのハラスメントについて - 未来を切り拓くための自己分析、過去を振り返ってみる

こんなことを書いて何の意味があるのかよくわからないが、32歳になる今の今まで、心身に不調を抱えている自分のことを「人に理解してもらう努力」を払った経験が本当に少ないので、少しずつ積み上げていこうと思って書いてみる。正直、書くことが本当に怖いが勇気を出してみる。

父親について

私は父に対する愛情が一切無い。
父はよく私に対して暴力を振るったし、無口でいつもイライラしていたし、私が楽しそうに何かをしているといつも「生意気だ」と言って理不尽に怒鳴られたりしたので、2歳の私はこう思った記憶がある。

「私は生まれてほしくなかった命なんだろうな」

同じく2歳のころ、みんなで市民プールに出かけた時のことだ。
珍しくみなご機嫌で、心から楽しいという気持ちになれたので、私は水面で浮き輪につかまって空を見上げながら、こう思った。

「この日楽しかったことだけは、絶対に忘れないようにしよう」

この2つのことは繰り返し繰り返し日記に書いて、現在の記憶まで引き継がれてきたが、それ以外のことは本当によく覚えていない。
思い出そうと著しく調子を崩すので、思い出したくないというのが正しいのかもしれない。

そういう経緯ゆえ、5歳で両親が離婚したが、そこに対して何の悲しみもなかった。17歳の時に家族で再会した時も不思議と何の感慨もわかず。
私の中で父への愛着が一縷ほども育たなかったのだろう。

兄について

私は5人兄弟で、今もなお兄弟たちとはおおむね親しくしている。

しかし、私は15歳のころ、心底殺してやりたいと思うほど長兄を恨んでいたことがある。

10歳~16歳くらいまで、私は兄に暴力・暴言を日常的に振るわれたり、稀に性的虐待を受けたりしていた。

私はおそらく幼少期からずっと鬱だったのだと思う。
強く抗う気力もなく、ただただ辛い状況が過ぎ去るのを待つことしかできなかった。母にも相談したが、「それくらい我慢しなさい」と言われ、そういうものなのかと思っていた。

しかし年齢を重ね、辛抱ならなかったのだと思う。
強く生きるためには自分を邪魔する相手を排除するしかないと考えた。

どうしたら自分の人生に汚点を残さずに相手を排除できるのか、真剣に考えを巡らせたり、黎明期のインターネットで情報を検索したりした。

しかし長年苦悩し続けた結果、小さい頃に兄が優しくしてくれた記憶があったので、どうしても殺したくはないという結論に至った。

では殺したいというほどの怒りや苦しみ、恨みをどう処理すればよいのかということの方が自分を苦しめ続けた。
「では自己洗脳をすればよいのではないか」などと思いつき、心理学や脳科学の本、啓発本などをさんざん読み漁った。

結果として、私は長兄への恨みを完全に手放すことができた。
同時に相手を牽制して虐待を受けないようにしながら、笑顔で接するという術を覚えたので、それは非常に人生の役に立っていると思う。

長兄に対しては愛情を維持することができたのだ。

ハラスメントについて

パワーハラスメント、セクシャルハラスメント、モラルハラスメント、ジェンダーハラスメント……、様々なハラスメントがあるが、要は「人を困らせること、嫌がらせをすること」だ。

であれば児童虐待も間違いなく重大なハラスメントであろうが、困ったことに可視化されにくい。
私の家庭には他にもネグレクトや兄弟間いじめ、ヤングケアラー、金銭トラブルのような数えきれない問題があったが、誰にも気づかれず、誰にも問題視されないまま私は成長し、問題を抱えたまま大人になった。

大人になってからの度重なる体調不良の末に、ようやく自分自身の心身や家族に問題があることに気づき、夫や友人、医師やカウンセラーや薬の力を借りて少しずつ、5年以上かけてようやく問題が棚卸しされた。

まだ未解決だったり現在進行形の問題はあるが、「問題を認識する」という行為をやり切った、という達成感は感じている。

私は身体にも様々な疾患を持っているが、心の問題は体調と深く結びついており、多くの疾患が心の問題からきていたことも、気づけたことで改善に大きく役に立った。

一つだけ、残り続ける問題がある。
そうしてハラスメントを蓄積してきた私は、そうでない人と比べるとハラスメントの許容量が少ないのだ。

特に男性の暴力や暴言、女性の陰口に対して身が強張ってしまい、吐き気を催し、立っていられない程のストレスを感じる。

まるでアナフィラキシーショックのようだと思う。アレルギー物質を蓄えすぎて、許容量を超えてしまっているのだと。

職場でのハラスメントについて

私が発作を起こしたいくつかのシチュエーションを挙げてみる。
ものを体に投げつけられる、ストーキングされる、仕事と無関係の人格否定の言葉を言い続けられる、もしくは私の横で別の人を叱責し続ける……等。

世の中にはもっとひどいハラスメントがあり、もっと苦労している人がいることを考えると、こうして言葉にしてみると大したことがない。そう感じる。

「そんなのマシなほうだよ」
「メンタルが弱い、メンヘラなんだね」
「優しすぎるんだね」
「考えすぎなんだよ」
「メンタル/体調の管理ができない人なんだね」

これは特に周囲にハラスメントを訴えて助けを求める度に、いったい何度言われたかわからない言葉たちだ。
普段は全面的に味方してくれる夫ですら、時々同じことを言うことがある。

初めのうちは真に受けていたが、冷静の自分の人生背景を考えると、適切に私を言い表してはいないし、正当性のある言葉ではないと思うに至った。
ラベリングした方が相手が、自分にとってわかりやすい言葉で事実を矮小化したくなったのもやむを得ないことだと思う。
ごくごく自然なことだ。知らなければ無理解になるのは当然だ。差別も相手との差分が自覚されなければ無くならない。

少なくとも、今までの職場においては私の病気をすべてオープンにして生計を立てることは難しかったので、それ以上彼らに何も伝えることはしなかった。

ささいなハラスメントが起こる度に、体の大きな男が自分に向かって大きく手を振りかざしたり、自分を後ろから蹴とばしたり、逆さに吊るしあげたり、投げ飛ばしたりする記憶が蘇る気持ちが、経験していない人にわかるわけもないだろう。

一方で多くを語らずとも手を差し伸べてくれた人、理解を示そうとしてくれた人もたくさんおり、それは不完全であっても本当に「有難い」ことで、「有って当たり前ではない」ことだった。
心から感謝している。本当にありがとう。

未来に繋げていく

では、こんな悲しい日記を書いてどうしたいのか。
私は自分を哀れむ心に浸り続けることほど、人生において無駄な時間は無いと思っている。

確かに自分の辛さを認めること自体は大切なことだし、自己陶酔は甘美なものでもある。
しかし、永遠にその場所にとどまり続けても何も生み出さない。
同情してほしくて書いたわけでもない。他人に理解を求めすぎるのも時間の無駄だ。

だからこそ、私はこのノートを書くことで「アナフィラキシーショックを起こしている」という自分の状態を言語化して明らかにし、これまでの自分のことを責めず、これから「強くなる」という次のステップに進みたいと思った。

人間は潜在的に醜い。
しかし、その醜さを克服して理性でコントロールできる存在であってほしいと思い続けている。

理性的で綺麗な未来で合ってほしい、綺麗ごとを言わせてくれる社会であってほしい。すでにそういう世界へと一歩目くらいは足を踏み出しているような気がしている。まずは自分が強くなって、その一助になりたいと思っている。それが私の夢だ。

この悲しい記事も、少しでもハラスメントの経験を持つ人の力になればよいと切に願っている。


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