野球している夢を見た。あー草野球したい!

昨日、野球をしている夢を見ました。


私は、野球が好きなんです。下手ですけど。

母が近鉄ファンで、幼い頃に藤井寺球場によく行った(と思います)。

私が3歳か4歳か5歳くらいの時から母がバッティングを教えてくれました。その時から左打ちの練習をさせられていて、気がつけば右投げ左打ちになっていました。

小学校の時は子ども会のソフトボールチームに所属していて(その時はなぜか右で打っていましたが・・・)、とっても楽しかったので、中学校でも準硬式野球部に入りました。先輩らは結構凄かったと思います。外野球と掛け持ちしていた先輩が多かったので。

準硬式ってなんやねんと思われる人もいるかもしれません。中身はカチカチの硬式、外は軟式と同じようなラバーになっているボールのことです。危険性は硬式球と同じなので、頭に当たると本当に危険です。よくテニス部や陸上部の女の子に当たって冷や冷やしていました。

私が中2の時にキャプテンを任されました。なぜかというと、同じ学年に4人しかいなかったのと、そのうち2人は不良グループに所属していて練習にあんまりこなかったというのと、あと1人は家がクソ遠くてバスで帰るのに早めに学校を出ないと行けなかったから。

先輩たちは強かったんですけど、私の代から弱小チームになりました。後輩もなめた奴が多くて、休日練習は私1人しかいないなんてこともありました。公式戦0勝。練習試合は2試合しかした記憶がないです。もちろん2試合とも負けました。それでも顧問の先生が苦慮して練習試合組んでくれたんだなと、今でもずっと感謝しています。練習試合の帰り道で、特に悔しさもないし落ち込んでもないのに慰めてくれる先生、優しかったな。実はこれが私が「先生」を志すきっかけ。

高校は甲子園出場経験も何度かある強豪校に進学。ここからが悪夢の始まり。一般入部組と推薦入部組の壁。一年生の新入部員70人くらいが3年生になる頃には15人くらいに絞られる夜遅くまでの鬼メニュー。1年生の夏前には部内暴力事象が高野連にバレて対外試合禁止。3年生は事実上の引退。いいタイミングだと思って辞めてやりました。グローブもスパイクも部室に置いたまま・・・

自分が監督だったらもっと野球を楽しめるチームを作るのに・・・


大学で教職課程を取って、卒業と同時に公立中学校に赴任。4月1日いきなり校長先生から「野球部の顧問がいないので顧問をして欲しい」と打診があり、もちろんOK。あっさり自分の夢を叶えてしまった。

そこから11年間公立中学校の野球部の顧問をして、良かったことも良くなかったこともありました。最初は野球を楽しんでもらおうと思って始めたのに、いつの間にか勝利至上主義になっていて、子どもたちにも自分にもイライラして、最低な監督でした。中学校が途中で合併して、顧問が増えて、監督ではなく部長になった時から少しずつ冷静さを取り戻せましたが。

今はもう野球部の顧問も学校の先生も辞めましたが、今でも野球に携わっています。というのも、顧問をしている時から試合で審判を良くしていて、審判についてちゃんと勉強したかったので、高校野球の審判員の方とお話をしていたら、いつの間にか高校野球や大学野球の審判もやることになっていました。

審判をしながら野球を頑張っている生徒・学生を見るのは気持ちがいいです。やっぱり野球は楽しい。

あー、草野球したい!



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