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社会人になりました リアクションや返信くださると嬉しいです テーマは、災害または教育。 ぜひ気軽に覗いていってください。よろしくお願いします。

最近の記事

#いまコロナ禍の大学生は語る

ーーーーーーー まえがき ある日の朝、大学を卒業したばかりの主人公、佐藤美咲はコーヒーカップを手に、窓の外を見つめていました。彼女は新型コロナウイルスの影響で就活に苦戦している若者の一人でした。友人たちが次々と内定をもらっていく中、彼女はいつまでたっても希望の光を見つけられませんでした。 美咲: (ため息をつきながら) こんなに頑張っているのに、どうして私だけがダメなんだろう...? 突然、美咲のスマートフォンが鳴りました。画面には友人の名前が輝いています。 美咲:

    • 僕が防災教育に出会った日。

      よく「防災教育の人だ。」と言われる。 言われるたびになんだかソワソワする。 確かに僕が防災教育の面白さと奥深さに惚れ込んでいることは間違いない。自分の過去を振り返ると、すべてが必然のように思えてくる。 ・神戸出身。 ・かの有名な阪神淡路大震災の被災地。 ・母校は死体安置所だったらしい。 ・小学生のときの東日本大震災。 ・テレビの前で棒立ちになった。 ・初めて東北を訪ねた高校時代。 ・聞こえてくる現地の生々しい声。 ・何もない真っ平らな元住宅地。 そして、災害を通じ

      • 僕の通ってた高校ー勉強するとはー

        突然ですが、僕は関西のとある中高一貫の私立高校に通ってました。それも学年の半分が東大に行く超進学校です。「平均取れたら、東大に行けちゃう」と言いかえると、そのすごさに驚いちゃいますよね(他人事) 僕にとってその高校は、「誇り」でもあるし、「一生背負う十字架」でもあります。実際、高校を出て2年半がたちましたが、その肩書に助けられたこともあるし、心がちくちくすることもありました。これからもゆっくりと向き合って消化していく所存です。 まあそうやって日々消化中なのですが、今回のn

        • 学習支援が付け焼き刃にしか思えない件

          まず、九月入学について、友達がちょっとした議論する場を作ってくれた。感謝。その影響もあって、ぼーっと教育格差についてのテレビを見ていて、思ったことがあったから急いで書き残そうと思った。 えーと、まず、(忘れかけてる)、今回のコロナの問題で教育格差という言葉が世の中に溢れかえった。学校で負うはずの学力担保の責任が、家庭環境に委ねられて、格差が生まれている、というのがある一面での僕の認識。 確かにそれはかなり大きい問題だと思う。そしてこれに対する一つの対策として、挙げられてい

        #いまコロナ禍の大学生は語る

        • 僕が防災教育に出会った日。

        • 僕の通ってた高校ー勉強するとはー

        • 学習支援が付け焼き刃にしか思えない件

          教育の世界と行政の世界のすれ違いー歴史研究から考えるー

          「課題が多い」というより、「できることが勉強くらいしかないから、少し真面目にやるようになった」というのが本音な今日この頃。 就活も気が向かず、オンラインおしゃべりにもどことなく息苦しさを感じ、何を進めるにしてもテキストコミュニケーションの限界を突きつけられている。 そんな中で今惹かれているのは、教育方法学という世界。いわゆる"教育界"の歴史のお話。 キーワードは、最近なら、生きる力、道徳教育の教科化、英語の話す能力重視などなど。遡れば、修身から社会科へ、ゆとり教育、系統主

          教育の世界と行政の世界のすれ違いー歴史研究から考えるー

          褒める、褒める、褒める

          相手が成長してほしいと思うときに、褒めることは大切か。もちろん答えは、YES、大切である。 僕が関わる団体では、褒める文化が(特に最近)普及してきているように感じる。それは心地いいなと思うし、自分はしてこなかったなと反省するときもある。 でも。 その一方で、危うさも感じてならない。 どんな危うさか。褒めることの本来のパワーが薄れている気がするのだ。もしかしたら、そのパワーを小分けにして使ってしまっているとも言える。 そもそも僕は、褒められたい人がはっきりと心の中に浮

          褒める、褒める、褒める

          支援を"続ける"ということ。

          この1ヶ月弱、とあるオンライン学習支援に関わった。はじめは参加者が本当に来るのかもわからないまま、未知の世界を切り拓いていく進め方だった。 この事業を通して、学習支援そのものへの問いと、「続ける」ということの意義について考えさせられた。この投稿でなんとか少しでも、言語化できればいいが、、 まず一つ目。学習支援そのものへの問いについて。そもそも学習支援は一つの単語じゃない。学習することと支援することを融合させているものである。 それに対して、教育をテーマにしてきた僕にとって

          支援を"続ける"ということ。

          友人とその親とご飯

          「母さんが京都に来るんだけど、一緒にご飯食べない?」 彼の突然の誘いに驚いた。彼には、一回生から信頼を置いていて、彼との関係性はいつも心地よかった。僕の大学生活を彩ってくれる重要な人物である。そんな彼からの誘いには、もちろんOKと答えた。 そして当日。食事の中でたくさん聞き、話した。特に印象深いのは2つ。一つ目は、僕が自分自身に甘すぎること。そして二つ目は彼にとても甘えていたことに気付かされたことである。 一つ目については、アイデンティティの話をしていたときにふと感

          友人とその親とご飯

          生きる意味を問う

          今期のレポート本数、6本。合計文字数25,000字にのぼる。人生でこんなにパソコンをカタカタしたことはない気がする。 そのレポートの中の一つに、「生きる意味を問う」ことをテーマにしたものがある。 授業で学んだのはフランクルという人について。生きる意味を問うということに対して、アウシュビッツでの経験をもとに、フランクルが導き出したのはこのような内容だ。 「自分を中心に置いて、自分が人生を問うべきではない。そうではなく、人生から自分を問い、それにただ耳を傾けることが重要であ

          生きる意味を問う

          とある教育学研究者の生き様に感動した話

          今日、テスト前最後の授業を終えた。二回生ももう終わりかと少し感慨深い。 しかし、そんなことよりも、とある研究者がその授業で定年退職を迎えたことの方が僕にとっては一大事だった。最後へ向かう中での一言一言が、今も頭から離れない。 「不思議なんだよねぇ」と笑いながら、人間のさまざまな謎に立ち向かって、答えを出し続けるその人に、僕は憧れる。好奇心を持ち続けるということがどれだけ大変なことかを身に染みて理解しているからだろうか。 テスト前だから長くは述べない。落ち着いたらまとめよう

          とある教育学研究者の生き様に感動した話