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#いまコロナ禍の大学生は語る

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まえがき

ある日の朝、大学を卒業したばかりの主人公、佐藤美咲はコーヒーカップを手に、窓の外を見つめていました。彼女は新型コロナウイルスの影響で就活に苦戦している若者の一人でした。友人たちが次々と内定をもらっていく中、彼女はいつまでたっても希望の光を見つけられませんでした。

美咲: (ため息をつきながら) こんなに頑張っているのに、どうして私だけがダメなんだろう...?

突然、美咲のスマートフォンが鳴りました。画面には友人の名前が輝いています。

美咲: もしもし、何か用かな?

友人の声: おはよう、美咲!聞いたことある会社が新たな採用枠を出したみたいだよ。すごく大変だったけれど、やっと内定をもらえそうな予感がするんだ。

美咲: そんなこと...本当に?でも、私にもチャンスがあるのかな?

友人の声: 美咲、自信を持って挑んでみて。きっと君なら乗り越えられるよ。頑張って!

美咲は友人の言葉に励まされ、再び希望の光を感じることができました。彼女は勇気を振り絞って、その会社への応募書類を準備し始めました。しかし、数日後、新たな打撃が美咲を襲いました。

美咲: (絶望的な声で) なんてことなんだ...この会社もすでに定員に達したって言うのか...

落胆しながらも、美咲はあきらめずに次の就活先を探しました。そして、ある日、美咲は一つの企業に目を留めます。

美咲: この会社、どうかな...?応募してみる価値はありそうだし、何とかなるかもしれない。

彼女はその企業に向けて熱心に自己PRを書き、面接の準備を進めました。面接当日、緊張と期待が入り混じった心情で美咲は会社へ向かいました。

面接官: はい、佐藤美咲さんですね。よろしくお願いします。

美咲: はい、よろしくお願いします。

面接官: さて、美咲さん。新型コロナウイルスの影響で就活は大変だと思いますが、その中で自分が頑張ってきたことや克服した困難などを教えてください。

美咲は深呼吸をして、自分の経験や努力について語りました。彼女の情熱と困難を乗り越える強い意志が、面接官に伝わりました。

面接官: 美咲さん、お話を聞いて私たちはあなたの頑張りと成長を感じました。採用の連絡は数日後にさせていただきますが、自信を持って待っていてください。

美咲は希望の光が再び心を満たすのを感じました。数日後、彼女は待ちに待った電話を受け取りました。

美咲: もしもし、佐藤です。

面接官の声: おめでとうございます、佐藤さん!当社から内定のお知らせです。あなたの頑張りが評価されました。

美咲は電話口で涙をこらえながら、内定の喜びを感じました。彼女はコロナ禍の中で苦労し、挫けそうになった時もありましたが、最終的には自分自身の力で克服することができたのです。

美咲: 本当にありがとうございます!このチャンスを大切にして、一生懸命頑張ります!

このようにして、佐藤美咲は困難を乗り越え、内定を手に入れることができました。彼女の物語は、コロナで就活に困っている多くの若者たちに希望と勇気を与えるものとなりました。
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本文

長いまえがきは置いといて、Twitterを見ていたらふと目に止まった企画があった。

#いまコロナ禍の大学生は語る

という名前がついていた。

単純に興味を持った。みんな何を考えていたんだろうと思った。僕は、大学2回生の終わりからコロナ禍で生活が変わった年代だ。本当にまるごと変わってしまった。
当時、居場所は3つあった。全部元ある形は無くなってしまった。

東北へ行くこと
祭に浸ること
白球を追いかけること

全部なくなったわけではない。もちろん引き継いでくれた人たちにはとても感謝している。

でも、やりきれない。書いてて思い出してきた。やりきれない。コロナ禍初期、就活を始めた。3月ごろだった。軒並みオンライン面接とオンラインインターンへと変わっていった。
後輩が団体運営を困っていた。同じくらい将来どうするかに迷っていた。自分には何が向いているのか、何がしたいのか。

はやくコロナが収束してほしいなと思っていた。zoom飲み会もした。ただただ空虚で疲れるようになった。頼みの綱は、エマソンという哲学者の文献を読むゼミだった。意地で読んだ。あと、オンラインの通信制のTAもした。彼らの素朴な声が少しだけ楽にしてくれた。

メールを見ると、また会社説明会のお知らせが届いていた。

毎日のニュースには、その日の赤字と黒字のような死者数と重症者数。査定されている気分。病院が逼迫していた。ケアワーカーにリスペクトの拍手を送った。グラフの傾きが上がるたびに、まるで自分が悪いことをしてる気分だった。芸能人も亡くなった。クローゼットを見つめてみたりもした。

夏、オンラインでインターンに出た。休み時間、ブツっと画面を真っ黒にした。休み時間にこそこそ近づくタイプのコミュニケーションを取る僕には、何も生き延びる権利がなかった。関西人特有の「かぶせ」は、ただのノイズへと変化した。

そのときの哲学ゼミで書いたのは、今年はこの世で一番自分の顔を見る一年間だと書いて、コメントとして授業中に取り上げてもらった。

僕は、誰かと話してるようで、ずっと自分の表情を気にしていた。幼児は鏡を見て初めて自己を認識するらしい。青年期の僕は、何か自己像が変わったのだろうか。もしzoomが自分の顔を映さない初期設定なら何か変わっていただろうか。

周りが続々と進路を決めていった。あなたは院進だからまだこれからだねと言われた。そうだけど、そうじゃないと思ってた。面接が思うようにいかず、研究者で食っていける場所はどこかと真剣に考えていた。とある研究室は就職が強い、そう聞いた。導かれていった。

人と会うようになった。マスクで表情がわからなかった。一方で、祭という大学の文化を取り戻したかった。カメラで写真を撮る部署のリーダーをしていた。苦しかった。四年生になればしたいなと思っていたことがたくさんあった。そのための3年間の下積みだった。意味がなかったとは書けない。でも意味が変わってしまったとは書ける。

コロナにかかった。1人で家でアクエリアスを握りしめ、寝ていた。親が来てくれた。友達がお見舞いを持ってきてくれた。とても助けられた。何より他人を頼れることができた。頼ったら、頼ってくれてありがとうと言ってくれた。そんなにも独りよがりだと感じさせていたのかと知った。自分だけでは生きられないことを肌身で感じた。僕はこのリスクのために、抑圧されていたのかと知った。

一回生のとき、ほぼ一日も休みがなかった。毎日毎日走り続けていた。充実感でいっぱいだった。地に足がついていた。

コロナ禍を超えた今、語ることはなんだろうか。僕は何かを得ただろうか、失ったのだろうか。前に進んでいるのか、その場で立ち止まっているのだろうか。

友達にあなたほどコロナ禍に文句を言っている人はあんまり見ないと言われた。

逆にみんなに聞く。1人で家にいて楽しかった?別にたいして変わらなかったと答えられる。あぁそうか、僕は1人での時間の過ごし方を知らないのだと理解した。昔から自分の部屋を持ったことがなくて、暇の楽しみ方を知らない。周りに流してもらって生きてきた。流されて、じゃなくて、流してもらっていた。

そんな自分には限界が来てるのかもしれない。
でも、自分から始めるモノゴトは心配と責任感ばかりで楽しめない。でも自分から誘わないと始まらない時代になってしまったのかもしれない。

あと被災者目線を知りたいと思っていた。僕は被災者なのだろうか。語り継ぐとは何を残せばいいのだろうか。教訓なんてキレイなハウツーなんて語れるのだろうか。

言えることなんて、愚痴ぐらいしか思いつかないかもしれないけどな。どっかの災害学者が喪に服すという言葉を使っていた。その意味が今ならわかるのかもしれない。

さて、まえがきの短い小説もどきは、ChatGPTに書かせた。僕の書き殴った文章とどちらが読み応えがあっただろうか。ちなみに、プロンプトはこうだ。

コロナで就活に困っている人の小説を書いて。ちゃんとキャラクターのセリフもある形で。

ものの数秒で物語が紡ぎ出された。恐ろしいものだ。いつもハッピーエンドに書いてくれる。でも現実はハッピーエンドなのだろうか?

人間に人間らしさが問われる時代になった。コロナ禍の影響だろうか、生きているという根本的な感覚が問われるようになった。

生きるということはアイデンティティの問題であり、それぞれの物語の問題である。就活とコロナ禍を混ぜ合わせて、ぐちゃぐちゃになったのが僕のストーリー。

確かに、未来は不確かで、柔軟な姿勢が大事ってどこかの文科省の誰にも伝える気のない資料に書いてあったけど、ウイルスで誰とも会えなくなるなんて聞いてないよ。

いつか笑って思い出す日が来ると期待して。

#いまコロナ禍の大学生は語る

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