友人とその親とご飯

「母さんが京都に来るんだけど、一緒にご飯食べない?」

彼の突然の誘いに驚いた。彼には、一回生から信頼を置いていて、彼との関係性はいつも心地よかった。僕の大学生活を彩ってくれる重要な人物である。そんな彼からの誘いには、もちろんOKと答えた。

そして当日。食事の中でたくさん聞き、話した。特に印象深いのは2つ。一つ目は、僕が自分自身に甘すぎること。そして二つ目は彼にとても甘えていたことに気付かされたことである。

一つ目については、アイデンティティの話をしていたときにふと感じた。「きっと僕を僕たらしめるのは、それでいいんだといえる自信だと思う」
自分に言い聞かせるように一生懸命話した。でもどこかに違和感は残り続けている。

二つ目は、結局、僕は自分が傷つくことが極端に怖いということである。彼はいつも穏やかで自分の話をあまりしない。その彼との関係性が心地よいというのは、なんだか独りよがりな言い分だなぁと思う。僕は、一見、「人」が好きなようにみえて、実は自分の中に入り込んでくる「人」を拒絶しているのだろう。そして、入り込んでこない彼を友達と呼ぶ。
友達って、、、

人と話すときには、良くも悪くも自分を出してしまう。そしてその「自分」にもっとも敏感なのは、いつも自分自身だと思う。

教育と人は絶対に切り離せない。そして僕が進みたい道にも、常に立ち現れてくる。どうすれば、もっと楽しく人と関われるだろうか。そしてどうすれば「自分」と、折り合いをつけて生きていけるだろうか。

とりあえず春休みの目標を立てなきゃなぁ


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