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【2000字のドラマ】あの夏と河と曖昧な思い出

#2000字のドラマ

――あの夏、彼女がいなくなってからもう10年がたっていた。そのたびにあの美しい森に囲まれた冷たい川のことを思い出す。

 鈴内斗真(すずうちとうま)は24歳。一浪一留したため2年遅れで就職する。
 いまは季節としては8月。就職活動も真っ盛りだ。彼は就職活動のために髪をこざっぱりと切りそろえ、慣れないスーツを着て汗だくで歩き回っていた。
 斗真は地元には帰らず、このまま東京で就職するつもりだった。

 高校などの同期は大卒にしろ高卒にしろとっくに働いている。
 同級生も内定をとって喜んでいる連中も多い。

 8月の陽光は強く、じりじりと照り付けてくる。
 斗真は信号待ちの間に街路樹の木陰に入って何とかしのいでいた。
 
 そんな折、中学校の同級生だった嶋雄吾(しまゆうご)……ユウゴからメールが入っていた。

『久々に会わないか?』

 ユウゴとはもう何年も会っていない。たしか最後に会ったのは地元の……
 
 しかし、記憶は曖昧だ。
 あまり思い出せない。

 メールを何度かやりとりしたところ、ユウゴはもう就職しており、地元の市の水道局で働いているとのことだった。出張がてら上京するので久々に会わないかとのことだった。

 ユウゴはあまり土地勘がないとのことだったので、斗真は大学の先輩に連れて行ってもらった居酒屋を予約した。酔って騒ぐためだけにある乾き物が並ぶようなところではなく、そこそこかかるがそれなりに洒落てみえ、学生に限らず社会人にもウケの良い居酒屋だ。

 時間になるときょろきょろと周囲を見回しながらユウゴがやってきた。
 中学時代、線の細い印象だったが、そのまんまだ。
 パーマなのか天然なのか分かりづらいぼさぼさの髪の毛に眼鏡、背だけはひょろりと高くなっていた。ただスーツは何となく着慣れている感じがした。

「ひさびさ……」
 ユウゴはうつむき加減だった。
 昔はもっと明るかった気がするが、10年のうちに色々と変わったのだろうか。

「とりあえず席予約しているから……」
 個室に入ってビールを2つ頼む。

 ほどなくして冷たいビールが運ばれてきた。
「仕事はどう?」
「あぁ……ちょっと慣れてきたかな……」

 ユウゴはいまの水道局での仕事内容を語り始めた。
 もともと理系だった彼は大学の学部卒業後に市の水道局に就職、いまは水道のマッピングなどの仕事をしているそうだった。

「暑い中歩き回って大変で……」
「俺も就職活動で、全然決まらないよ……」

 しかしそれでも懐かしい顔と飲んでいると楽しくなってくるものだ。
 しばし時間を忘れて語り合った。

 何杯目か忘れたが、ふとユウゴがウーロンハイを片手にぽつりとつぶやいた。
「結衣(ゆい)のことだけど……」
「……」

 坂木結衣(さかきゆい)。
 彼女も中学校の同級生だった。
 セミロングストレートの、やや茶色がかった髪の彼女の顔を思い浮かべた。
 しかし彼女はもう年をとることはない。
 いつまでも15歳のままだ。

「ちょうど10年だね」
 ユウゴは目をあわさずにウーロンハイをグイっと飲み干した。
「あぁ……」

 あの日。
 10年前。
 斗真、ユウゴ、結衣の3人は上水道に遊びにでかけていた。
 
 暑い夏の日だ。
 地元の上水道は散歩道のようになっていて、小さな川の傍には街路樹が生い茂り、ジョギングをしている人も見かけるスポットだった。
 
 最初から川遊びをしようとしていたのではない。
 上水道で集合して近くのカラオケやボーリング場にでも行こうかという話になっていた。
「この上水道ってさ、もっと下流にいったらどうなるのかな?」
 
 誰が言いだしたかは忘れた。
 しかし3人はその日は若さに任せてもっと下流に向かった。
 
 散歩道はどこまでも続いていた。
 途中、コンビニエンスストアによって水分補給をしたりしながら自転車でどこまでも走った。ちょうど今日の昼間のように陽光が強く光と闇のコントラストがきらきらと輝いて見えた。

 結衣もはしゃいでいたと思う。
 もともと小学校も一緒の3人はよく遊んでいた……と思う。
 やはりどころどころ記憶が曖昧だ。

 しかしユウゴの思い出話で記憶が鮮明によみがえってきていた。
 
 下流の川は広く深かった。
「すごいねぇ!」
 結衣が笑った。
 
 いつしか川は立派になり、鉄橋から見えた川は涼しそうで水面はきらきらと輝いていた。
「ちょっと遊んでいこうぜ」
「えぇー……危なくないかな」

 誰からともなく言い出し、結局3人は川遊びを始めた。
 靴を脱ぎ棄てて川に入ると冷たく気持ちよかった。ここまで自転車できたためにかいた汗が一気に蒸発していくかのような感覚だ。

「もっと真ん中にいってみよう……」ユウゴが言い出したと思う。
 そして3人は川の深みに向かって進み……気が付いたら結衣がいなかったのだ。

 2人は必死に探した。
 しかし結衣の姿はなかった。無限のように感じる時間がすぎてから慌てて警察に連絡をすることを思い出した。……数日後、やや下流の取水口で遺体が発見されたというニュースが流れた。

「それもあってボクは水道局に入ったんだと思う……川の事故の啓発をしていきたいんだ」ユウゴは泣き笑いのような表情を見せた。

「わかるよ……」
「お待たせ―、あれ、どしたの?」
 相変わらずセミロングの髪は黒く染められ、カジュアルスマートな服装の結衣が現れた。
「遅いよ……」「ごめんごめん」斗真は結衣の横顔にどきりとした。
「仕事が忙しくって。いまベンチャーで広報の仕事してるんだ」結衣が笑う。

「ユウゴ、トラウマになってたんだぞあの川の事件……」
「あぁー私泳げないから勝手に帰った事件ね。しかもあの後、川の下流でアザラシだっけ?の遺体が見つかったんだよね。可哀そうだったよねぇ」

 結衣はあの日の後、中学校のサッカー部の先輩と付き合いはじめ、すっかり垢抜けて一足先に上京してきていたのだった。就職も去年決めている。そして薬指できらりと銀色の指輪が光った。

「結婚するんだっけ?」
「そ、仕事が落ち着いたら。来年」
「良かったなぁ。俺も来年にはちゃんと就職したいよ……」

――あの日、あの場所の川の水は冷たかった。あの日のことを思い出すと今でも胸が痛い。斗真は想念を打ち切ると酔っ払ったユウゴをタクシーに詰め込んで家路につくのだった。

 

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