見出し画像

東京に住む龍 第九話 龍珠②

 抜けるような青空の下、麦の穂が豊かに実り収穫を迎えようとしていた。平和で豊かな村で、奴婢でさえこざっぱりした服に、まともな食事を与えられている村だった。村は収穫を迎えていた。

 その村の麦畑にも野菜畑にも百姓も奴婢も人間は一人もいなかった。流行り病がこの村を襲っていたのだった。

 野守は構わず異国の鬼の姿のまま、村中を歩き回り観察した。鬼の角と鉤爪を出し、美豆良に日本式の貫頭衣という大陸の人間には珍しい格好で彷徨いたが、生きた人間は既に居なかった。

 妻と娘を失った野守は大陸に渡った。大陸の東から西の果てまでを彷徨した。日本が天・地・地獄に分離しようしていた時期で、野守のみならず多くの神・妖しが、日本の進むべき方法を、大陸で学ぶため渡っていたのだ。インド・中国・エジプト・ギリシャの先進地域で冥界の運営法を探るため、そして亡き子と同じ悲劇を止めるべく、諸国の産科医療を知るため、黄泉の役人だった野守も渡ったのだった。野守は貪欲に学んだ、地獄の運営方法と医学の他に、現世の遊芸や文芸にも食指を伸ばし、大陸の妖と人間が交ざる地上にたびたび出没していたのだった。

 百姓でも小綺麗な家に住んでいる村の中心に、一段と清潔で一回り大きな村長の家がある。その寝室で女主人が、奴婢の名を呼び続けていた。喘ぎ苦しみなが寝台の上に横たわった中年女性は、のたうちながら奴婢の名を扉の方に向けて呼ぶ。彼女の鼻に肉が腐乱した匂いと、カサカサと小動物が蠢く音が聞こえた。奴婢の死肉を喰らう鼠だと、目が窪み果てた病身の女は悟った。

 鬼は数刻後最後の村人が亡くなったのを、集落の外から感じ取った。雲一つない抜けるような青空の下、木々は青々とし果樹は多くの小さな実を付け秋の豊作を約束する。村の多くを占める麦畑の穂は黄金に輝き、刈り入れを待つばかりになっている。ここで生を謳歌するはずの人間だけが死に絶えていた。

 黒い巨大な龍が突然出現した。野守の島ではあまり見ることがない、原色の青い空に不似合いな、不吉を纏う龍が低空で飛行する。黒い龍は一つの村一つの町そして中原の都城のホモサピエンスを死滅させると、勝利の雄叫びをあげに、滅多に見せぬ高貴な姿を見せた。

 野守は黒龍を睨みつけた。今頃脚下の中華地獄はこの村の亡者の受け入れで天手古舞の筈だ。龍のやる事は天国・地獄の冥界の秩序の破壊でしか無かった。この地球の理は龍の属する神獣が最上位だ。神だの妖だのが術と最先端科学を手にしていても、神獣の龍の後始末をするのは神仏そして地獄にいる妖達だ。地獄で働くキョンシー達をこの冥界の天帝以下の神々が宥めているのであろう。

 舐める様に飛行をする黒い龍は、隣村まで響く声で不気味な唸り声をあげる。

 人として幼くして惨殺された野守は、『人間には少しの憐憫の情はない』と公言していた。その野守でさえも、関わりのない人まで殺す黒龍には、抗議したい感情があった。

 地上の鬼が龍を睨んだ。家屋の屋根スレスレに飛ぶ黒龍は、一瞬まだ生き残りの人間がいると思ったのか怯んだ。その人影が日の本特有の細かな幾何学模様で装飾された貫頭衣に、美豆良に結った黒髪と傷がいくつもついた翡翠の勾玉を首にかける、大陸には見ない異装だった。その上額に一本角が生えているのを見て、野守が人でないと分かると、黒龍は悠々とこの村から遠ざかって行ったのだった。

 龍と入れ替わりに黒い雲が近づいてくるのが見えた。千里眼の使える鬼はイナゴの大群だと気付く。鼠やら小動物の群れもこちらに向かっている気配もした。

「そろそろお邪魔するか」

 独り言を言うと、異国の妖が手伝えることは限られている。『亡者の交通整理ぐらいは出来るだろう』と傍にある既に小さい実がついた桃の木の木陰から地獄へと戻って行った。

 大陸の中原を縄張りにする黒龍は、この頃人間の女性を龍珠にしていた。黒龍は青龍の異腹の兄弟だった。年は数億年上のようだ。

 黒龍もまた当時は現世に住んでいた。有名な娼妓と恋仲になって妻にしたのだった。ここで黒龍が妻を連れて天国にでも行っていればあの出来事は起こらなかった。

 父も母も兄弟も青龍を除く係累を全て屠った最強の龍の、龍珠となった女性だけあって女傑だった。遊郭を経営して、売られて来たり身寄りがなく流れて来た女性に、芸の他に、裁縫をはじめとした手工芸やら、字の読み書き、簡単な計算を教えた。小商いの方法も教えながら、他の遊郭より短い期間客を取らせた。妻は娼妓をやめた後の自活の道筋を付けたのだった。

 野守は覚えている。ここ出身の元遊女達が、人形芝居の旅回りをはじめて、行く先々で人気があっこと。

 当時の中原は国というものが萌芽してきたころで、勢力争いの戦が多かった。人間の中には神と同化することで力を得ようという思想があり、龍について研究する者がいた。その中には、龍の夫婦がお互いの体内の珠を交換していることに注目する者もいた。

 野守はホモサピエンスの男は、しょうもない奴らだと思う。

 日本の神妖の世界は、軽く女尊男卑だ。無論天下を握り動かしていく男に、女ども尊敬の念を持つ。しかし男女関係や家族という小さな関りでは、女性が主導権を握り、男どもを気持ちよく動かしていく。その理由の一つは脳内が人間と違うこともある。特に鬼のような妖の男は、恋心が長く続く、数十年も渡るものだ。伴侶をお産で亡くした男はそれこそ数千年、熾火のように恋慕が続いていく。

 だが人間の男は女より上であろうとする下等な者たちだ。

 戦乱続く時代、一頭地に抜けた頭目がいた。それに知恵する者に、龍の研究をする術者もいた。龍と同化し取り込むことを妄想した。(同時に身売りされる最下層の女性に教育を与え自活させる、龍の妻に憎しみを向けた。)

 野守はかつて十歳児の人間にやつした青龍に聞いたことがあった。「龍珠とは何か」江戸時代公家出身の寺小姓に扮していた青龍は、高価な絹の振袖を翻して、

「シャボン玉」

 と答え、昭和に龍神社で遊ぶ庶民の小学生にやつしていた青龍は、

「風船ガム」

 と答え、ガムを口で膨らませて飛ばし、小憎らしく駆けていった。龍珠の交換を目撃した妖怪の話などを合わせて、あれは気体だと野守は認識している。体内に球体はない。

 誤解と蔑みにより、黒龍の妻は捕らわれた。そして体内の龍珠を探索するために、体を切り刻まれた。龍の高い探査能力により妻はすぐさま奪還されたが。切り刻まれた身体は治癒の見込みもなく、妻の身体は黒龍が屠ることにより死んだのだった。黒龍は龍珠を喰い魂を消滅させた龍となった。龍達はそれを悪龍と呼んだ。

 野守は目撃した。龍は龍珠である伴侶を傷つけると、躊躇なくその種を滅ばす。ありとあらゆる妖怪を眷属として、その国の民を殲滅し始めた。疫病・飢餓・戦争。ある村は狼に襲われ村民が全滅、ある街道の宿場町は、蛮族の地から来た流行り病で死に絶え、町に毛が生えて程度ではあるが都は飢餓とクーデターで滅ぼされた。一つの町が死に絶えると、黒龍は姿を現しその上空で不気味に飛行した。数日のうちに、不埒な将軍の居る国を亡ぼすと、同じ民族の国々を次々と、死滅させた。

 野守はその様子を逐一目撃していた。多くの下等な妖怪達が、黒龍に命ぜられるまま眷属として殺戮に手を貸していた。殺戮の不気味な渦が大陸を覆いつくし、東岸に辿り着きそうなとき異変が起こった。

 大陸から分離した日本にいる青龍が、凶暴な黒龍をどう説得したか、想像も出来ないが、青龍が止めさせた。人口が十分の一まで減った中原は、周囲から多民族が雪崩れ込み、瞬き間に殺戮前より人口が増えたのだった。このことについて、文字が発達する前で記録がなく伝承しようにも民族が異なり連続しなかったので、現世の人類は知りもしない事実だ。

 野守は水神小手毬を人間が害することがあれば、青龍は躊躇なく全人類を滅ぼすと思っている。龍とはそういうものかも知れない。

 獣道と畑との境の結界が見える。人がこの道に迷い込むこと、興味を引くことを防止するために張っている。胎児で亡くなった娘には角が生えていた。鬼の胎児の角は柔らかく、暴かれても角が消えている可能性が高いが、もし人間の考古学者が、角の痕跡を発見するとも限らない。夫婦は結界を厳重に貼り直し、近くの木陰から、地獄に戻って行った。

つづき 第九話 龍珠③


前話 第九話 龍珠①


東京に住む龍 マガジン


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?