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人間みな依存して当たり前 〜 『しらふで生きる 大酒飲みの決断』(町田康)を読んで〜

こんなときにオススメ→
酒、SNS、恋愛など、依存しているものから自由になりたい
「世間的な幸せ」を追ってしまう

町田康氏の新作エッセイ『しらふで生きる』を読みました。30数年間、1日たりとも休まずに酒を飲んでいた小説家が酒をどうやってやめたのか、酒をやめた先に見えてきたものは…なんてことが219ページにわたり熱く語られているわけですが、最初から最後まで町田康ワールド全開! 炸裂!なので、彼の文章に触れたことがない人が読むと滅茶苦茶に揉まれて飲まれてできあがってしまうかも…。二日酔いに苦しむ人も出てきそう。私は彼の文体に慣れていますが、それでもだいぶ酔った気がします。文章のことはさておき、これは単なる断酒エッセイではなく「自己とは? 他者とは? 幸せとは?」を問う名著です。一読の価値あり。

読んですぐに気づいたのだが、これは「どうやったら酒をやめられるか」に解を与える薄っぺらなハウツーものではないということ。彼はこの本で酒だけの話をしているのではなく、クスリ、ギャンブル、恋愛、夫婦•親子関係、セックス、SNSなど、アディクションとなりうるものに対して私たちはどう向き合えばいいのか、その解をあくまでも提案として読者に優しく示そうとしているのだと思う。

人生なんてそもそも寂しいもので、だから酒を飲むのだ。酒をやめるなんてのは狂気で、酒を飲むのが正気である、と彼は語る。

確かに。生きづらい世の中を生きていると、なにかに依存してしまうほうが当たり前だ。しかし、依存した先に幸せが待っているわけではない。というか、絶対そこに幸せはない。酒のもたらす高揚、快楽が一瞬で過ぎ去るのと同じく、あらゆる依存は一瞬の幸福らしきものをもたらすが、それは長続きしないのではないか。

じゃあどうすればいいのか。

著者はそこで「自分をアホと認識すること」を提案する。このアホというのは、自分を卑下して過小評価することではない。
過大評価はしない。過小評価もしない。ただ、自己を適正に認識することだ。

「自分をアホと認識すること」というと、言葉がいき過ぎているような気がするので、私はこの言葉を「身の丈の評価をすること」に変換して、今後自身に応用するつもりだ。高くしすぎず、低くしすぎず、今の自身を見る。
身の丈評価をした上で、例えば勉学など向上させていきたいことがあれば、着々と進めていけばいいのだし。その途中でSNSなんかでいちいち他者の生活に目を向けてしまうと、この身の丈の評価ができなくなるのだと思う。田例えば、華々しい学歴•職歴に恵まれた友人の投稿を見て「きぃーーーー、私だって」と思うことは、「自分だってそれくらいは到達できるはず」などと根拠なく判断し、その時点で自分を過剰評価していることになる。

他人と自分を比べることによって自分の価値を計ることの無意味を知る

という強烈な著者の言葉から分かるように、著者は雑音を気にせずに自己と向き合うべきと説いている。

果たして「自分をアホと認識すること」の先に何が見えるのか。著者は著者なりの幸せを発見したようだ。

幸せとは主観的なものなので、著者のやり方を参考にして実践した先に、著者と同じ幸せの感覚が待っているわけではない。著者はそこにもしっかり触れている。そういう意味で、本書は「これやれば、てっとり早く、幸せが、絶対に、手に入るよ」と訴えかけるハウツー本とは一線を画している。





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