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NGと言われている政治と宗教の話

宗教との小さな接点

宗教とそれに類するもの
わたしにはそれらとの小さな接点がいくつかある。

両親の家系とも浄土真宗の門徒(佐賀・鹿児島)なのに、家族の中でわたしだけ中学時代を境に、次々と別の「新宗教」に触れる機会があった。仲の良い友人の影響で、カトリックでもプロテスタントでもない教会に通った時期もある。高校在学中、身近な先生から何がきっかけか宗教関連の書籍の「献本」を受け、読んだ感想を送るとさらに新しい本を送られた。あの頃のわたしは従順だった。

振り返ると、生活の中でいろんな宗教を受け容れてきたのだと思う。20代でゴスペルの音楽性に魅かれ、10年以上「Jesus!」とコールし続けた。母の仕事の関係で結婚式場のチャペルに行き「妹背をちぎる~」「Amen!」と賛美歌を歌うアルバイトをした高校時代。その流れで30代にも母の知人から演奏の仕事を時々受け、聖歌隊として歌った。

呼び醒まされたようにその頃のことを思い出すのは、宗教というものについて改めて考える機会が増えたから。7月のあの事件の影響もある。容疑者の動機とされている宗教団体とお金の問題が報道により浮かび上がった。

宗教と政治のあり方に思う

以前、わたしも知人からその教団の名前は出さずにいろんな催しに誘われていたことを思い出した。宗教は哲学や倫理学とも関係があり、わたしはその人の行動も密かに「研究対象」としていた。何が彼女を信仰へと導いているのか?何が熱心に活動する原動力となるのか?そこを知りたかった。

その人の行動をきっかけに、安倍元首相の動きに対しても少し注意深く見ていた。「美しい国」をつくる理想を掲げ、内閣総理大臣になった安倍氏のベースにあるのは、信仰を大事にする信心深さなのではないかと。それは山口県にいた幼少期からルーツとして持っていたものだと感じる。

日本のことを真剣に考える安倍氏のその信念、実行力が琴線にふれ支持する国民も多い。ただ、安倍氏には理想の国づくりのために「どんな手を使っても選挙で勝ち続ける」という執念もあった。教団は自民党の選挙に人手を貸すなど協力、安倍氏は教団の会合で祝辞を送るなど、お互いに利害関係を分かち合っていた。数年前、わりと堂々とそういうことが行われていると気づいた時には驚愕するとともに、政教分離を考える上で疑問を持たずにはいられなかった。

政治家を目指した頃からの理想、「美しい国」を達成するためには、国民の意思統一が必要。そういう思いで政治の道を突き進んできた安倍元首相。特定の宗教団体も同じように理想の国があって、それぞれの思いで活動していたはずなのに、いつの間にか両者が近づきすぎてしまった。

政治と宗教の発端は似ているが両者が近づきすぎてはいけない

無関心の土壌

一方で、世間がこの事件と団体の関係性を素直に結びつけて解釈し、今度はその団体を徹底的に批判する、という構図は単純に思える。問題に目を向けることはいい。ただ、100%何かの責任にするのではなく、社会のシステムにも根深い問題があり、そちらに目を向けることが必要。

新郎新婦はクリスチャンじゃなくても十字架の前で誓いを捧げ、参列者も賛美歌を歌い祝福する。大きな収益が得られるブライダル産業はこの半世紀ほどで成長し、多くの企業が参入。日本全国でさまざまな結婚式場が建てられた。
これも一つの「宗教と利益の結びつき」の形。そう考えると、何となく危うい土壌を日本人が放置してきたとも言える。

  • 儀式の意味を理解し異文化を受け入れること

  • どんな宗教ももっと複雑に扱うこと

大多数の日本人が、こうしたことに無関心で苦手意識があるんじゃないかと思う。今回の事件は宗教そのものに良くも悪くも深入りせず、日本人特有の無関心社会が影響した結果、引き起こされたものでもある。
信仰心のあるなしにかかわらず、宗教観や倫理観を持つ、ポリシーというものはおぼろげにでも持っていた方がよさそうだ。
そして、そういう内容について話すことをはばかられる社会の風潮があるけれど、積極的に会話レベルで取り上げた方がよさそうだ。

みんな同じ方向を向く必要はないし、国家統一の理想だって一つではない。違う考え方の人とも共存できたらいい。今の土壌を少しずつみんなで耕していく、そんなイメージを持つ政治家がいたら応援したい

優しげで響きのいい言葉にだまされない。国家を強引にまとめ上げようとする人は政治家でも宗教者でも支持できない

今日は国葬が行われている。日本国民としてではなく個人として安倍晋三元首相のご冥福をお祈りします。


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