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授業は、生徒をモヤモヤさせてナンボ

国語の授業中の風景です。

教科書の文章に
傍線部を引いて
「どういうことか、説明せよ」
という記述問題を出しました。

グループワークで
みんなでワイワイ考えている最中、
教室を巡回していると、

「先生!なんとなく、頭では
 わかっているんだけど、
 うまく言葉にできないよ」

「文章にするとなると難しい。
 自分のボキャ貧を痛感する・・」

そんなボヤキ節が見られました。
選択肢問題だったら、答えられるけど、
まっさらな白紙に
イチから答えを書くとなると、
生徒にとって、難易度はハネ上がります。

一人でやらせると
手も足も出なくて
ストレスを感じる生徒も出てくるのですが、

グループでやらせれば、

ああでもない、
こうでもない、
と議論が白熱し、

生徒たちは楽しそうに
でも苦悶の表情を浮かべながら(笑)
文章をひねり出そうとします。

こういうとき、
やっぱり「本を読んでいる生徒」は
強いなあ、と思います。

本は、さまざまな表現の
サンプル集みたいなもので、
読めば読むほど、

「そうそう、◯◯なことを表すのに、
この表現はピッタリだよ」という
経験ができるのですよね。

実際、自分の頭の中には
モヤモヤと
漠然としたイメージだけはあるのだけど、
雲の上をつかむみたいで、
なんだか曖昧。

そんなとき、
ズバーーーーっ!!と
的確に表現された文言を見ると、
(感動というと大げさですが)
嬉しくなってしまいます。

そういう経験値が多ければ多いほど、
国語の「書く力」は伸びていきます。

でも、そのためには
大前提があって、
「感じる」力が必要なんですよね。

とくに「表現」において必要なのは、

伝えたいのだけど、
これをなんというべきか??

というモヤモヤ。

モヤモヤはネガティブな感情だから
なるべく避けたいけれど、
このモヤモヤとした葛藤は
的確な表現のためのアンテナみたいなもので、
これが立っていないと、

宝石のように輝いている表現だって
見逃してしまいます。

このモヤモヤを
たくさん経験した人ほど、
表現者として巧みになるんです。


だから、場面を戻して、

「先生!なんとなく、頭では
 わかっているんだけど、
 うまく言葉にできないよ」

「文章にするとなると難しい。
 自分のボキャ貧を痛感する・・」

という生徒のボヤキ節に対して、
僕は絶対に助言を与えません。

モヤモヤするよなー、
難しいよなあ。

共感はするけど、ニヤニヤしているだけ。

たとえは違うかもしれないけど、
空腹は最高の調味料って
いうじゃないですか。
それに近いです。

生徒を
「わからない」
「モヤモヤする」
という飢餓状態にさせる。

その中で、
ある生徒が的確な模範解答を
ひらめいたら・・・・・

「おおーー!すげーー!」
とたちまちヒーローです。

砂漠でノドからからの人が
ペットボトルの水を
口に含むようなもので、

ひとくちの水の美味しさが
五感にしみわたるような感動が
教室中に広がる瞬間があるんです。

・・・これ、
教師の「道楽」の一つです。
本当に、この瞬間が愉悦のとき。

だから、
今日も生徒たちを
空腹に、ノドからからに
モヤモヤに追い込みます。

授業は
生徒に「負荷」をかけて成長させること

そのとき、
モヤモヤならいいけど、
イライラさせない程度に・・
ってところが
バランス感覚につながる
難しいところですけれど。

最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
これを読んでくださった
あなたの少しでも参考になれば嬉しいです。

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