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猛獣が人の心を取り戻すとき~中島敦『山月記』について思うこと

みなさんは、
高校国語の定番小説というと
何を思い浮かべますか?

代表的なところでいうと、

【高校1年生】  
芥川龍之介『羅生門』 
志賀直哉『城の崎にて』
太宰治『富嶽百景』

【高校2年生】
中島敦『山月記』
夏目漱石『こころ』

【高校3年生】
森鴎外『舞姫』 

あたりが定番で、
みなさんも一度は読んだ
あるいは名前を聞いたことがあるかもしれません。

村上春樹の小説も
教科書に多く採用されていて、
授業で扱うと反応が良いです。
『鏡』とか『沈黙』とか。

それぞれの教材には
それぞれの魅力があって、
どれも後日、書いてみようと思うのですが、

今回のコラムで特に触れたいのは
中島敦の『山月記』です。

↓ ↓ ↓

博学才穎(はくがくさいえい)で
若くして科挙に合格するほどの
秀才で通った主人公の李徴(りちょう)は、
詩人として名を後世に残すことを志します。

が、
文名は容易に上がらず、
貧窮する生活に耐えかね
一地方官の職に就くことになる。

しかし、そこでは、
かつて蔑んでいた
同僚たちが出世を遂げており、
その命を受ける屈辱に耐えられなくなって
ある日、発狂。

虎になってしまった

という冒頭部分からはじまります。

その後、李徴が、
虎になってしまった理不尽さ、悲しみを、
かつての同僚 袁傪(えんさん)に
独白、懺悔するという構成で語られる
この小説は、

ファンタジー要素あり、
荒唐無稽な「おかしみ」あり
意識高い系男子の挫折というポイントあり、

漢文訓読調の文体と
相まって

独特の雰囲気を醸し出す小説で
高校生は、前のめりに反応してくれます。
人気の高い教材ですね。

詳しくは、
本文に触れたほうがいいと思いますで、
興味があればぜひお読みください。

高校の国語の授業では、
語句の意味や、あらすじの確認は
ほどほどに済ませて
(あるいは自習課題にして)

メインディッシュは、
「答えのない発問」について
グループで話し合ったうえで、
自分の考えを
レポートにまとめることになります。

単元や教材によっては、
「発問」そのものも
高校生自身に考えさせることがあるのですが、

この『山月記』については、
発問は教員指定にさせてもらっていて、

僕が毎年投げかけるのは、

なぜ李徴は虎になったのか?

です。

この質問に対する答えを
時間をかけて、
自分たちなりに考えてもらいます。

盛り上がりますよ!
生徒たちは楽しそうに議論をはじめます。

もちろん、
答えは生徒の思考の数だけあるし、
ここは客観的な正解を論ずるコラムでもないので、
堅苦しい「山月記」論みたいなものは、
割愛させていただきます。


・・・
さて、


最近、
通勤や隙間時間は
Audibleをはじめ
情報教材を耳学習することが多く、
めったにTVのニュース番組を見なくなったのですが、
たまたまワイドショーなどを見ると、

暗く重いニュースばかり

目につきます。

個別具体の事例は避けますが、
政治も、経済も、
国際情勢も、芸能も、
どのジャンルのニュースも暗鬱な気分になるものばかり。

昔からニュースってそういうものだったのか、

あるいは、
自分がアラフォーになって
ものの見方が変わったのか、
そこらへん、わからないのですけど、

人間のやっていることなのか?
あるいは
猛獣(虎)の所業なのか?

と思うことばかり。

人の心を失った(失っている)
猛獣たちは、自分をコントロールできず、
悲しみや怒りを、
他に発散し、
周りのエネルギーも奪っていきます。
結果、猛獣を中心に
悲しみの連鎖が大きくなる。

もちろん、
僕も高見の見物というわけにはいかず
何度も何度も猛獣になった経験があります。
イヤな思いを、いっぱいしましたし、
たくさんの人を、不快な思いにさせました。

でも、それはたぶん、
誰だって同じだと思います。

人は、
「人間モード」と
「猛獣モード」を
いったりきたりしながら
成熟していくんですよね、きっと。

だとしたら、
僕が「猛獣モード」だったとき、
なにがきっかけで
「人間」に回復できたのかな、って
考えてみたんです。

そしたら、

「猛獣」のときでも
「人間」扱いしてもらったとき


が変わる(変われる)きっかけだったと
気づいたんですね。

もちろん、
「猛獣モード」のときは、
身も心も猛獣ですから、
大多数の人は、
僕のことを
「猛獣だ!」という目で見て、
猛獣扱いします。

それは、仕方のないことです。

でも、ごくたまに
「猛獣」の状態でも
人間扱いしてくださる人がいて、
そういう人の態度と言葉に
僕は何度も救われてきました。

「猛獣」を「人間」扱いするって、
口でいうほど、簡単ではありません。
相当な鍛錬と経験が必要だと思います。

でも、
何度も何度も
「人間モード」「猛獣モード」の
サイクルを経験して
成熟していった人間は、
「猛獣モード」に
手を差し伸べる義務があると思うのですね。


中島敦『山月記』の授業の終わり、
僕はいつも

袁傪

という人物の魅力を語ります。

彼は虎になった同僚のことを
最後の最後まで「人間」扱いしていました。

傾聴と共感あふれる
名カウンセラーそのものなんだよ、
と。

とりとめのない思考の
メモ書きみたいなものですみません。

そんな気づきでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。
これを読んでくださった
あなたの少しでもお役に立てたらうれしいです。

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