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イタリア語で聴く「イパネマの娘」:Ragazza D'Ipanema /Bruno Martino

紙上のリオデジャネイロに
ラジオで帰って再会した昔の友だち

私がイパネマの娘とお知り合いになったのは、たぶん2007年だったか2008年だったかのこと。当時の私は孤独なティーンエイジャー。彼女はもうかれこれ40歳に近い、20年前ほど若くはないはずだけど〈スタン・ゲッツのヴェルヴェットのごときテナー・サクソフォンの上では〉永遠の18歳。
父の本棚にあった村上春樹の短編集「カンガルー日和」の黄色い表紙を、私が初めてめくったとき、イパネマの娘はその80ページ目で、海を見つめながら歩いているところでした。

「すらりとして、日に焼けた
若くて綺麗なイパネマ娘が
歩いていく。
歩き方はサンバのリズム
クールに揺れて
やさしく振れる。
好きだと言いたいんだけれど
僕のハートをあげたいんだけれど
彼女は僕に気づきもしない。
ただ、海をみているだけ」
――1963/1982年のイパネマ娘:村上春樹

時は流れて、私もすっかり大人になり、薄暗くて人気のない寂しい高校図書館の書架のあいだで、ひとり村上春樹の作品に親しんでいたティーンエイジが遠い思い出になり果てたところで、思いがけずイパネマの娘と再会したのは、ぼんやり聞いていたイタリアのラジオ番組でのことでした。

本題はイタリア語版なのですが、ブラジル人ミュージシャンのアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲した、ボサノバの名曲「イパネマの娘」に日本人が触れるとなると、たぶん真っ先に出てくるのは小野リサさんのバージョンかなって思うので、とりあえず取っつきやすいように、そちらからリンクを張っておきますね。


ブルーノ・マルティーノの
「ラガッツァ ディ イパネマ」

イタリア語の格言に「翻訳者は裏切り者」というのがあるらしく、私はこれを〈ある言語から他の言語にコトバを移し替えようとしたら、そこに差異がある以上、どうしても取りこぼしが起きるよね〉くらいに理解して、この裏切り具合で遊ぶのを楽しんでいます。

この「イパネマの娘」もいろんな言語に翻訳されているので、そのバリエーションのひとつとして、今からイタリア語版の歌詞を和訳でご紹介するのも、そんな楽しみのひとつです。

Torneresti sui tuoi passi
Ragazza di Ipanema che passi

通り過ぎていくイパネマの女の子
きみが引き返してくれたらいいのになぁ
Se ti voltassi
Ad ogni singolo: Ah!

ひとつひとつの「あぁ!」に
もしきみが振り返ってくれたらなぁ

初っ端から条件法かよ…もう帰らせてもらいますわ…って、ちょっと身構えたくもなる出会いがしらの衝突事故。
最初の〈トールネレスティ〉は〈tornare/戻ってくる〉の条件法現在2人称単数形で、ちょっと先にある〈ティヴォルタッシ〉は〈voltarsi/振り返る〉の接続法半過去2人称単数形になっています。
条件法っていうのは基本的に「こんな条件下でのハナシなんだけどね」っていう前提を作る働きがあって、接続法は(超ざっくり言うと)非現実的なことを表現したいときに使えるアレですよね。

要するに、主人公は目の前を通り過ぎていくお嬢さんの姿を見つめて、そのステキさに「あぁ」と感嘆のため息を吐きながら、なすすべもなく恋愛に起因する認知欲求を拗らせているわけです。青いね。

Ma tu segui per la strada
でもきみは道をたどるんだ
Un lungo samba
Che si snoda

曲がりくねった
長いサンバ
Ovunque vada
Destando un coro di: Ah!

行くところどこででも
「あぁ!」って合唱を巻き起こす

このパートで意外とモヤついたのが、基本単語のひとつでもある〈lungo/長い〉でした。私、サンバってよく分からないので、なにかこう…ロング・サンバみたいなジャンルがあるとか…そういうわけでもないのかな?
従属文のなかにある〈snodarsi〉に、ここで採用した〈曲がりくねる〉っていう意味のほかに〈ほどける〉とか〈身体を伸ばす〉っていう意味も持っているので、次のセンテンスで主語が2人称の「きみ」から3人称の「彼女」に変わっているのもあり、ちょっと混乱しました。
もうね、イパネマの娘=軽快なサンバみたいなところがありますし、混乱すらも恍惚の材料っていうことでいいじゃんねって思います。

Oh! Se per me ti fermassi!
Oh! Se per me ti voltassi!
Se la mia voce ascoltassi!

あぁ!きみが僕のために立ち止まってくれたら!
あぁ!きみが僕のために振り返ってくれたら!
もしも僕の声を聴いてくれたら!
Ma per te d'importante non c'è
Nient'altro all'infuori di te

でもきみには大事なことなんてないんだよね
きみ自身の外側にはさ

私、こういう女の子めっちゃ好きです。
主人公くんにめちゃくちゃ共感しちゃいますわ。
周りのことは歯牙にも引っ掛けず、じぶん自身のことに集中して、軽快な足取りでどこかへ去って行く、颯爽とした女の子が目の前を通り過ぎて行ったら、そらぁもう心が「置き去りにされた」って叫び始めちゃいます。

Basterebbe ti voltassi
Ragazza di Ipanema che passi

僕に振り返ってくれるだけで十分なのにな
通り過ぎていくイパネマの女の子
Ma non consideri mai
Nient'altro che te

でもきみは絶対に気に掛けない
きみ自身のことのほかにはね

ここの〈バステレッベ〉というのは〈bastare/十分である〉っていう単語なんですけど、よく「いい加減にしてよ!」っていう意味で「Basta!(バスタ!)」と命令法の活用で使うんですよね。
以前、東京のバスターミナルの名前が「バスタ新宿」に決定した頃には、イタリア語界隈は「いい加減にしてよ、新宿…かぁ…」と盛り上がっていたような覚えがあります。
皆さんも、イタリアでしつこく声をかけてくる人に遭遇してしまった場合には、毅然とした態度で「バスタ」と言ってみると、断れるかも知れません。

同じ単語でも、文脈によってロマンチックになったり、喧嘩ワードになったり、おもしろいですよね。
ほかにも〈bastare〉にはいろんな使い方があるので、気が向いたら調べてみると興味深いかも知れません。

海外ウケがよかったイタリア人ミュージシャン
ブルーノ・マルティーノさん

このイタリア語版を歌っていらっしゃったのは、ブルーノ・マルティーノさんというミュージシャンです。
ローマで生まれたのが1925年ということは、ちょうどムッソリーニが独裁を宣言した年ですね。ピアニストとしてデビューしたのは、第二次世界大戦の末期だとのこと。海外でキャリアを積まれたようなのですが、この聞き取りやすくて朗らかな歌いっぷりは、イタリア語学習者にとって親しみやすい感じがしますし、海外ウケするのも分かります。

代表作は「Estate(エスターテ)/夏」。

やっぱり聞き取りやすい。
初級のイタリア語学習者さん、いきなりオペラとか最近のポップスとかに挑戦するより、ブルーノさんからスタートする方がいいと思います。

まぁ、好きなものを楽しむのが一番ですけれども。
孔子さんも「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず(なにかを知っているっていう人は、それを好きな人には勝てないし、それを好きだっていう人は、それを楽しんでいる人には勝てないもんだよ)」って仰ってます。

かく云う私は、イタリア語を気軽に楽しんでくださる同好の士を、ひとりでも多く獲得するべく活動中です。
気が向いたときにイタリア語の周りのことを、徒然なるままに note に書き散らしているので、気が向いたらほかの記事にも遊びにいらしてくださいね。

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