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第9話 大沢の街 御茶清水

 水のきれいな田舎町に住んでたことがあるって、ちょっと前に話したことあったよね。蛍の飛ぶ底なしの池のお話。
 私、基本的にシティガールだからさ。あの街に移り住むまで、歩いて行けるところで蛍を見られる生活があるなんて、想像したこともなかったの。だからさ、地元の子に大興奮で報告したのね。そしたらみんな大笑いするんだもん、むっとしちゃった。蛍の一匹や二匹でどうしたのって。私にしてみたら、奇跡が起きたみたいな重大ニュースだったのに、ひぃひぃ笑うことないじゃん。
 みんな、笑いながらね、蛍ならおんちゃしみずじゃなきゃって言うの。おんちゃしみず。御茶に清い水で、御茶清水。
 あの街の地理関係なんだけど、まず扇子を開くでしょ。それをぽんと机の上に置いた、要のほうが南。両方の親骨に沿うみたいにして山が連なってて、その間に人が暮らしてるっていう感じだった。
 街の両脇にある山は、伸し掛かってきそうなほど深い、南の連山に続いてた。南に行くにしたがって、地面がちょっとずつ坂になっていって、緑も濃くなっていって、街のどこからでも見上げられる峰のいくつかには、お殿様たちの築いたお城の跡が残ってて、そのあたりが昔の国境だった。反対に、北を向いた扇のヘリは、海に向かって続く広大な平野に開けてた。扇の西側の親骨を越えると、幾度となく氾濫したことのある大きな川があってね。どんな小さな流れも、農業用水路から公園のせせらぎまで、街の水はみんなその川と同じように、南から北に向かって流れてた。
 川とほとんど並行に、街の扇の要から天までを貫くみたいにして、南北に通された街道があってね。かつてあの街は、山を越えた旅人が骨を休める宿場町だったんだってさ。昔の街道は狭いから、今は旧国道って呼ばれて裏道扱いになってるけど、隣の県からのトラックがびゅんびゅん通り過ぎるまっすぐな国道と違って、ちょっと風情があるような気がしたな。まぁ基本的には農村なんだけれど。豊かな水を活かした、米作りの村々が集まってできた共同体だもん、あの街。でも、特にこの旧街道と国道のそばに住んでいた、友人たちと私にとっては、あそこは道の街だった。小さいなりに交通の要衝だったから、昔はそれなりの船着き場もあったらしくってね、御茶清水はその時代の名残りなんだって。
 地図を拡大して、小学生だった私たちの行動範囲にフォーカスすると、扇の要よりはちょっと北側くらいのところに、北から順番に図書館、小学校、運動公園、桜並木と田んぼと用水路、澄んだ水が必要な精密機器を扱う工場、それから私たちの家があった住宅街があって、南の山が近づいてきて、道が傾斜しだしたあたりからは、とくに古い家が点在する界隈があった。その西側に単線鉄道の終着駅があって、鄙びた駅前商店街の痕跡は、まるでもう地名しか残ってない船着き場の幽霊みたいだった。まだ水上交通が生きてた時代には、ここで背負子や荷車から船へ、船から列車へ、いろんな荷の積み替えが行われて、隣国に繋がる南の山と遙か北にある海辺の都市部のあいだを物資が往来したらしいんだけど、私が引っ越してきたころには、そんな昔話が残ってるだけだった。
 たしか御茶清水は、その商店街に入る前のどこかで、右手に折れたところにあったと思う。
 子どもだけで遊んでいていいのは、もちろんお日さまのあるうちだけだった。だから蛍はさておき、場所だけでも教えておいてやろうっていう、得意げな地元っ子の背中を追いかけて、学校が終わるなりランドセルを放り出して、自転車に飛び乗ったの。傾斜は緩いんだけど、どこまでも続く坂道がキツかった。帰りはブレーキしか使わなかったのも覚えてる。あの頃は、一生懸命にペダルを踏むだけで楽しかった。空はまぶしくて、真っすぐに見上げられないくらいだった。木漏れ日が用水路にぎらぎらしてた。用水路の水はどこでも澄んでいて、暗緑色や赤褐色の水草のうえを、小魚が泳いでいる影や鱗の反射が、通り過ぎざまの横眼にもちらちらと見えるくらいだった。
 着いたところにあったのは、土地のちょっと小高くなっているところを、のっぺりした石垣で崩れないように補強してあるような、なんだか地味な印象の丘だった。でも、その石垣に突き立てられた青竹からね、湧水が迸ってたの。それが御茶清水だった。私は水が流しっぱなしなのに驚いて、とっさに蛇口を締めなきゃって思ったけど、もちろんそんなものなかった。
 みんな、竹筒の傍に吊るしてある柄杓でもって、その湧き出たばかりの水をごくごく飲んで、都会育ちのお上品な私にいいでしょって顔するの。私も柄杓で水を受けたんだけど、すごい勢いだから、手から吹っ飛んじゃいそうだった。美味しかったな。驚くほど冷たくて、まだアイスキャンディ―に噛り付いてもびくともしなかった若い歯が、こめかみと一緒にキーンと痛んだくらいだった。夏、もちろん汗だくで、贅沢だった。
 まだお武家さんっていう人たちがいた物騒な時代にね、そこの街道だか、船着き場だかを使ったお殿様が、ここの水でお茶を立てて、そのお陰でずーっと病気をしなかったっていう故事を言い伝えて、この水を御茶清水って呼んでるんだって。近くに薬師堂があったから、まぁそういうご利益なんだろうな。あと、藤棚があった。記憶が混乱してるだけだとは思うんだけど、これがどうもさ、咲いてたような気がするんだよね。季節じゃなかったはずなんだけど。でも、蝉は鳴いてなかったし、御茶清水のあたりは日陰になってて、鳥肌が立つくらい寒かったから、あながち間違いじゃないのかもって、期待しちゃうよね。溌剌とした藤だったものだからさ、なんだか記憶にすごく説得力がある気がしちゃうのよ。
 その夏のある夜、父に頼み込んでね、蛍狩りに連れて行ってもらったの。地元の子たちに教えてもらった通り、御茶清水の前に自転車を停めて、薬師堂の裏にある階段から丘を登った。登り切ったところは、すぐに小さな谷に向かって、すとんと切り立った崖になってた。道の側から見ただけじゃ想像もできないような、小さいなりに深い谷だった。その底に細い流れがあったの。笹が茂ってて、お昼間でも水はちらりとしか見えなかった。なにかに引っ張り込まれちゃいそうな、じわっとした怖さのある谷だった。
 その谷が蛍でいっぱいだった。光ったり消えたり、どれも大きな蛍だった。瞬きしても、まぶたの裏にはっきりと蛍色が残るくらいだった。それが無警戒にすぐそこを通り過ぎていくものだから、うっかり両手でふわっと掴み取っちゃってね。あたりまえだけど、手のひらを虫が這いまわる感触がして、ぞっとして投げ捨てたんだけど、てんとう虫も怖がるような子どもだった私が、そんなことを当然みたいにしちゃうくらい幻想的な夜だった。
 あれからいろんな夜景を見たし、評判のいいイルミネーションなんかにもいろいろ出かけてみたけれど、あの蛍の谷に勝るほどゴージャスな光は、今でも見たことがないな。
 そういえば、懐かしいんだけどね。初めて東京に出てきたとき、ひとりぼっちで夜の銀座をうろついてみたのよ。そしたら、なんだか御茶清水の蛍狩りを思い出しちゃった。あの蛍狩りの夜、私、父に手を引いてもらいながら、なんだかここって銀座みたいだなって思ってた気がしたの。
 そんなわけないのにね。

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