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「当たり前」の意味を考察してみました。

「当たり前」の意味を考察してみました。
「意味」と「意図」の違いは殆ど無いと思っていましたが、インターネットで調べてみると、前者は「内容」とか「価値」を見出すことで、後者は「思惑」や「考え」等を持っているかどうかだそうです。(日本語の難しいところです。。。)

プロ野球で阪神タイガースが38年ぶりの日本一になった。指揮官をとった岡田監督は就任時より「アレ」とか「アレのアレ」「そらそうよ」「当たり前」など、これらの言葉が持つ真の意味の言語に言及することなく、その意図となる目的の「達成」を果たした。
(「意味」と「意図」の使い方があっているのかどうか。。。)

使われた言葉は「関西弁」特有の表現ではあるが、関西人以外の人には恐らくふざけた言葉とか理解しがたい曖昧な表現にみえていたことでしょう。「アレ」については、今年度の流行語大賞の候補にも選出されているとか。(優勝という目的の達成を果たしたので、大賞を取るとの噂も飛び交っていますね)

でもまぁ「アレ」については「優勝」という目的がキチンと表明されたので大丈夫でしょうか。「そらそうよ」というのも、理解して頂けるでしょうか。では「当たり前」ですね。何を持って「当たり前」なのか、その真意となる意図は?意味合いはなんでしょうか?私は学者ではないので詳細まではわかりませんが、結論から推察すれば「わかりきったことであるから、言うまでもないでしょう」と捉えています。

例えば「マナー」などが当てはまるかも知れませんね。社会的な規範や仕事上での自分の役割や責任、義務とか遂行能力の事を意味することでしょう。ところが多様性を求める時代では、人それぞれによって解釈は異なり、捉え方も様々でしょう。

私は他のコラムでも書いていますが、人それぞれに「解釈」が必ず異なるので、「考え方」「捉え方」「向き合い方」の3つのベクトルが、一つのGO!サインであることを強調して来ましたし、実践して来ました。一つでもずれていたり不明慮な部分があれば、必ず理解を得るまで実行することの判断を自らがストップしていました。

今年の夏の選抜高校野球では「慶応義塾高校」が優勝しました。「慶応」と言えば聞かずとも知れている超名門高のエリートで敷居が高いことで有名ですね。彼ら野球部の練習風景が報道されていました。ところが「キャッチボール」が普通では無いのです。個人個人によって「投げ方」や「取り方」が異なるようで、自分の不得手を解消する練習のために工夫されているのです。100人の部員を要する大所帯なのに、統一感よりも自主性を重んじて個々の選手任せで、あの手この手と自分の不得手を解消する為に工夫された練習方法を取り入れているのです。傍から見れば、統一感の無いバラバラでだらしないキャッチボールの姿にみえるでしょう。
しかしながら、彼らは自分の役割や責任を自覚し、少しでも弱点となる不得手な部分を、周りを巻き込んで克服しているのです。しかも、メンタル面では「致知」が行っている「木鶏会」を取り入れて「人間性」を高めています。これらは甲子園での試合中にも行われたいたようです。試合に出ようが出まいが、応援するメンバーや駆け付けたOBも含め、各々が「チーム」一丸となって、優勝を勝ち取っていました。

みんなが一丸となれるような企業。事業単位でも良いから「チーム」一丸として取り組む姿勢は、必ずお客様へ届くと思いますし、周りに「感動」という「共感」をもたらせてくれます。「当たり前」とは「わかりきったことで、言わなくてもわかるでしょう。」という意味合いの土台となるものは、「基礎」となる「基本」の積み重ねでしょうか。特に人間性を高める「徳」を蔑ろにしないよう努力を続けたいものです。