サービスとは
バスに乗った際にウトウトしてしまって、文庫本を忘れてしまった。JR線に乗り換えるために、Suicaで改札を通りホームで乗車待ちの時に気づいたのである。乗車までに後3分だった。戻ることも出来たが、階段の昇り降りや改札出口で説明したり、バス停まで走る時間など面倒くさいと思った、何よりも天候が怪しく今にも水滴が落ちてきそうだった。
翌日、バス会社に拾得物の問い合わせを行ったが、とにかく不愛想な応対なのである。連休日という事と大雨が降っており、何よりも気温が低いので寒いのである。(11月中旬以降の寒さということだ)祭日という事もあり応対する人数も少ないのであろう。ずーと、専用の固定電話は話し中ばかりで繋がらないくらい忙しいのだろう。特にバス会社では、運転手不足など、人手不足が深刻だという報道が頭を過った。
文庫本は「禁断のパンダ」上巻(拓未 司)です。ブックカバーはsheepsleep製の犬の模様を施したもの。保留中の案内が終わり「該当するものを預かっています」と。私がホッとしたり歓喜するのはしょうがないとしても、その人も喜んでくれたのです。受付時の問い合わせはでは不愛想だったけど、該当するモノが在った時からは一変した態度で対応してくれたのです。後日に受け取りに行くので営業所の場所の案内とか、その後の手続き案内も、とても気持ちが良かったです。落とした私が悪かったのですが、本当に「ありがとうございました。」
さて、拾得物。。。私は自慢では無いが結構な数で拾得物を問い合わせしています。長く生きているから、、、ではなく、恐らく性格として注意散漫なだけなのでしょう。JRや私鉄などの電車系、タクシー、バスなどの交通系から、会議場などの施設含め、交番にも良くお世話になりました。それこそ、電子カルテか何かで共有されていたら、間違いなくブラックリストに記載されているでしょう。「また、こいつか、、、」なんてね。
モノには寿命があるのだろうが、最後の最後まで使い倒す精神、もったいない、まだ使えるという「貧乏精神」は日本人の美徳とも言われる根幹の精神論と思う。一歩間違えれば根性論となってしまうかもしれない。確かに使い捨ても悪くない無いと思うが、そもそも素材が使いまわし出来ない、他の用途に転換できないのであれば始末が悪い。その代表格が「化繊」である。化繊のシャツは、雑巾に転換できない。仮に雑巾になったとしても、床を磨く雑巾がけの耐久性にはほど遠い素材である。恐らく摩耗・摩擦熱で溶けてしまうだろう。では、ゴミとして廃棄した場合、分別すると燃えるモノになるのだろうが、黒煙を巻き散らす有害物資入りである。大地にも返ることが出来ず、排水口を塞ぎ、太平洋ゴミベルト地帯にプカプカ漂流して、海洋ゴミとして地球環境を汚し生物の生態系にも危害を加えるのである。
モップ?あるにはあったけど、数本しかないので、基本は全て「雑巾がけ」のオンパレードである。不要になった?服やタオルなどは、全て雑巾仕様に縫製され、年がら年中において学校で使用され、洗っては教室の一角に必ず干しているのである。もちろん〇年〇組〇〇と名前入りである。しかもなぜか「白」である。(もちろん使用するほど白という原型の色は見たことないが、、、)雑巾というのは万能の掃除用具であり、学校だけでなく家庭でも重宝されており、その大半が下着やタオルからの転用である。今では刃物や針を学校で使用することが危険とされており、雑巾などもホームセンターや通販などで販売されているのである。100均に行けば便利な掃除グッズが所狭しと一角のコーナーを占めており、好調な売れ行きだそうだ。それでも昔の人間なのだろうか、雑巾が一番掃除がしやすいのである。しかしながら、メリット・デメリットをあげるとするならば、我々の時代のモノというのは、全てが自然素材が当たり前だった。学校の床も壁も、家の壁も床も、全てが自然素材だったから、油分も静電気も起こらなかったので、清掃するには「水」を含ませることで十分だった。洗剤など必要とせず「水」だけだったのが、化繊素材に変わって行く時代でもあったので「油分」などは水だけでは汚れを落とすことが出来ず、マジックリンなど「界面活性剤」入りの洗剤が登場したのである。界面活性剤は魔法の洗剤と称するモノの成分で、家庭の食品洗剤から衣類用、工業系含めあらゆる「洗剤」の頭角して君臨しているのであるが、やはり人体にも地球にも余り良い影響を与えてはいない、天然系であることを進めたいのだが、便利なモノには勝てず、自然素材や天然素材というのは、「取り扱い」お手入れという、維持・管理が簡便でないらしい。私たち昔の人間からして見れば当たり前が、現代では使い勝手が悪いのである。しかしながら、命や健康に関わることは無視できない。現代においても少人数となっても高齢者を中心に支持はされているも、若者にとっても見直されている現状があり、自然素材がホンモノとして急激に支持が高まっているのである。
これらは自然素材を取り扱う企業や事業によって、追い風のように需要は高まり人気の素材ではあるが、高価な買い物となっているのである。例えば「木材」。日本は国土の70%近くも森林で覆われているので、木材は豊富にあるのだが、やはり石油系新建材の材料を輸入して加工する方がコストが安いのである。また、ホンモノの職人を要する必要も無いので、技量が未熟でも容易に施工ができる。つまり、需要に対する供給量の価格には勝てないのである。
しかしながら「サービス」には価格が無いのである。もちろん「有料」「無料」の物理的で有形のサービスは存在するが、ここで言う「サービス」の大半は「無形」であり、お金が掛からないのである。掛ける必要もないだろう。それは「想い」だからである。「気遣い」だからである。挨拶などは、心有る気持ちなのである。街路樹も防風林なども、目的があるのです。植物も生き物です。心無い企業のサービスは、相手に向けられるものではなく、自分への私利私欲のためとしか思えない。類は類を呼ぶというが、道理に背いたサービスに導かれないようにしたいものである。
躾という文字は、女性が身重、身ごもった姿を表しているそうです。新しい命を授かった身体が美しい、身なりが美しい、だからこそ心が美しい姿ということです。サービスの原点というべきは、この躾が行き届いているか、これは教育という理念として企業の姿勢でもあるのです。
ビジネスには様々な法則や心理的や物理的なノウハウが存在するが、〇〇の法則を問う前に、自分が信頼できる、信用のある人間になりたいものです。信頼ある信用できる人にこそ、人は話を聴き、付いて来るのです。お客様も同じ。類は友を呼び、福をもたらせてくれると信じています。