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体を張ったFX取引と音痴な私の大逆転

人生で一度だけのリアルFXに挑戦

私は人生で一度だけFXをやったことがある。大学卒業が迫る4年生の冬、私は友人と共に2週間ドイツへ旅行に行った。その帰り道、友人と別れた後、飛行機の乗り換えのためにソウル空港に降り立つ。

乗り換えの飛行機が来る時刻を確かめると、まだ7時間もあるらしい。このまま待つのもなんだし、せっかくだからここで降りて韓国を満喫しよう。

そう考えた私は、早速円を韓国通貨のウォンに変えることにした。ところがである。ウォンを手にしたところで急激な眠気が襲ってきた。2週間を異国の地で過ごし、観光のために散々歩き回った疲れがここへきてドッと出たのだ。

私は眠気に負けて、バックを腕に抱えながら空港のベンチに横になり、そのまま爆睡。目が覚めた頃には間も無く乗り換えの飛行機が出発する時間で、私はついさっき換えたばかりのウォンを円にしてもらった。

為替担当の人は「この青年はいったい何をやっているんだ?」と思ったことだろう。私の体を張ったリアルFX取引。記憶は定かではないが確か損をした気がする。

人類の営みにはいろんなものがあるが、生産性がマイナスになる行為というのはなかなかない。お前は経済学科に4年間所属して卒論まで書き上げておいて、一体何を学んできたんだ、と教授に言われそうな話である。

大人になった現在、投資に回す余裕資金はできたが、FXには決して手を出さないと心に決めている。己の才能のなさを早めに知れたと考えれば、案外悪くない経験だったようだ。

苦し紛れで放った起死回生の一手

私は自他共に認める音痴である。中学生時代、音楽の定期テストでは実技で歌わないといけないのだが、力一杯歌ったらあまりにも下手すぎてクラスメイトの女子たちをドン引きさせてしまった経験がある。

しかも、クラスのトップ1位・2位に君臨する美女2人の顔を、同時に引きつらせてしまった。当時は遠くから眺めながら密かに憧れていただけに、多感な少年の心には結構な痛手である。

その後、就職して営業現場に赴任すると、仕事柄どうしても歌わざるを得ない時がある。仕事が一区切りつき、成果を挙げた人を労わないといけない場合だ。こんな時、若手の人間が場を盛り上げなくてはいけないのは昔から続く慣習である。

マイクを向けられた私は必死に思考を巡らせる。その後、意を決して私は曲を入れた。

選んだのは忍たま乱太郎の「100%勇気」

「みなさま、今回は本当にお疲れ様でした。これからしばらくの間、私の不協和音にお付き合いください。私は中学時代の音楽の成績が2でしたけれども、精一杯歌いますのでよろしくお願いします」

そう、音楽の合間に語りを入れることで、なんとかして盛り上がりポイントを作ろうとしたのだ。

私は普段だと声が低いのだが、なぜか歌う時には喉仏がなくなって金切り声になってしまう。外しまくった歌声を散々響かせた後、間奏でまた語りのパートになる。

「えーみなさま、私は今100%の勇気を振り絞って歌っております。営業の世界は大変なことも多いですが、明日からあらためて勇気を持って精一杯頑張ってゆきましょう」

無様な姿を散々晒しながら歌い終えると、私の破れかぶれな熱意が伝わったのか、同僚からは望外のスタンディングオベーション。しかも、後に続く人の歌うハードルが大幅に下がるおまけつきである。

計算なんて1ミリもしていなかったが、あの時の観客たちの笑顔は、少年時代の私の劣等感を癒やしてくれた気がした。

歌というのはあくまでコミュニケーション手段の一つである。相手を喜ばせたいという強い想いを込めて行動すれば、活路は開けるのだ。

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