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華やかな世界の裏側

大学生時代に映画研究会に所属したことがある。早稲田の映画サークルは有名な俳優や監督を多数輩出している名門である。

そのため、プロの世界を目指す人間も何人か在籍していた。私はそんな事前情報は知らず、ただ単に創作の世界に興味を持って来たのだが、自分で作品を撮ることになって現実を思い知ることになる。

脚本、演出、出演者のスカウトなど、映画制作に必要な諸々のタスクを全部自分でやらなくてはいけない。私が考え込んでしまうと現場が止まってしまう。

それまで段取りを組み立てた経験のなかった私は、先輩にひたすら怒られ、仲間からは要領の悪さを叩かれ、散々な思いをしながらもなんとか作品を仕上げた。

当時、同級生で作品を撮っていた人間は10名ほどいたが、予定していた構想を最後まで作り切ったのは私含めて3名ほどだった。作品制作というのは学生にとってそれだけハードなことだったのだ。

先輩たちはみんな授業の単位を落としまくっていたが、たしかにこんなに大変なことをやっていたらそうなるな、と納得した。

「このままでは自分も単位を落としまくって卒業できないかもしれない」と、私の生真面目な性格が発動し、結局半年ほどでサークルには通わなくなった。

サークルのつてでプロの映画制作の現場を見せてもらったこともあったし、今思い返すととても良い経験だったのだが、「肌に合わない」という直感に従って離脱したのは正解だったと思う。

その人の特性的に、どうしても馴染めない環境というのはあるのだ。(むしろ、定着した人間はごく一部だったので、それが普通だったのかもしれない)

ちなみに、社会人になってから、所属のプロモーションビデオ作成する機会があり、動画編集の経験は生きることになった。

今はYouTubeやTikTokなど、編集技術が重宝される場面が増えている。今後は動画編集技術を標準装備する若い人も増えるかもしれない。

映画研究会とは別に演劇サークルを見学に行ったこともあったが、演劇のステージを押さえて場所代を払い、チケットを手売りしなくてはいけない。当然、無名の学生がやる演劇など身内以外は買ってくれるはずもなく、基本赤字の取り組みだ。

演劇に心血を注ぐ人間であれば、成り上がるためのという通過点として捉えられるのかもしれないが、リスクを取ることを知らなかった当時の私は怖気付いてしまった。

どこの世界も似たようなものだが、特に創作の世界は生活必需品ではない分、個人がとることになる経済的リスクが大きい。

ほんのいっときでも作り手の側に回ったことで、舞台裏のさまざまな苦労を知り、作品へより敬意を持って接することができるようになった。

今思い返すと、ものごとを知らない若いうちに、映画の撮影のような無謀とも思える取り組みをやってみてよかった。短かったが、今でも脳裏に刻まれている青春の1ページだ。

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