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テレワークを多用する人間はなぜ仕事への貢献度が低くなるのか?

私は現在エンジニアとユーザーの橋渡し役として、システム設計の方向性を定める、いわゆるシステム企画という仕事をしている。システムを作る過程ではたくさんの人と話をして、大量の検討事項を決めなくてはいけない。チームワークが必要な仕事である。

テレワークにより自宅でドキュメントを読むことはできるし、資料作りや関係者とのやりとりはオンラインでもできるので、一見テレワークでも支障なくできそうな業務内容に見える。

ところが、テレワークばかりで全然出社しない人間と、高頻度で出社している人間では組織への貢献度に明らかな差があることを実感している。

チームワークが求められる仕事で、出社しない人間はなぜ貢献度が低くなってしまうのかを掘り下げてみたい。

サボりの誘惑に勝てない

これが最大の要因だ。テレワーク経験者の話を聞いていても、大なり小なり業務外のことをやったことがある人ばかりである。子供が部屋に来たので適当にあしらって追い返すぐらいならまだいいが、横になって寝るなど、出社してる時にはできないことを必ずといっていいほどやる。

ちなみに、「私はテレワークでも効率的に働いている、テレワークじゃないと集中できない!」と声高に主張する人ほど、「実は通知音を最大にして、寝ててもすぐ飛び起きれるようにしてるんだよね」とプライベートではポロッと本音をこぼしてたりする。(上の人はちゃんと見透かしているが、立証できないので言わないだけ)

テレワークでも成果を出せる人というのは、もともと個人で仕事を完遂してしまうぐらいの能力を備えており、「無能な人間が間に挟まらなくて快適だわ」と言える人物である。貢献度に疑義が生じ、「テレワークじゃないと働けない」と主張する状況に追い込まれたりはしない。

そして、私自身を含めて多くの人はスキルの習得途上であり、「単体で仕事を完遂できる」ほどの能力を身につけてはいない。ある日を境に私は己の弱さを痛感し、ほぼ出社する生活に切り替えた。

緊急事態の時に即座に動けない

システムトラブルで業務が止まり、早急に立て直さないと人材を遊ばせてしまう(賃金が無駄に溶けてゆく)。こんな時、出社していれば言葉を交わさずとも「空気感がいつもと違う」「上の人たちがザワザワと騒いでいる」と気づく。

ところがテレワークの人たちはメールやチャット、電話などをしないとこの温度感を共有できない。わざわざ連絡を取って説明する時間すら惜しいので、結局出社している人間に呼びかけて事態の収拾にあたることになる。

テレワークしている人たちに情報が渡るのはある程度対応の目処が立ってから。緊急時の初動対応はここでしか学べないにも関わらず、学習機会を逃しているのである。

さらに、ピンチの時に活躍した人間は注目を浴びる。上司の覚えが良くなって出世候補に近づくのは自然の摂理である。

移動時間中の振り返り機会を喪失する

今のビジネスシーンにおいて、事業所とテレワークの人間をオンラインで繋ぎミーティングする機会は多いだろう。

では、ミーティングが終わった後、出社した人間たちは会議室から自席に戻る際にどのような行動を取るだろうか?

多くの場合、今やったミーティングの振り返りをしながら移動するのではないだろうか。全体ミーティングでは他人の時間を奪うので遠慮していた個人的な疑問をぶつけたり、会議の回し方全般のアドバイスを受けたり。

わざわざ席に行って「今お時間よろしいですか?」と遠慮がちにする必要もなく、自然な流れで話を聞ける数分間がそこにはある。これはメチャクチャデカいことだ。私はこないだ戻る際の会話で、「役員の方から想定外の質問を呼び込まない言葉選び」を教わった。

移動時間の話を持ち出すと、「でもテレワークは通勤時間の短縮になりますよ」という反論が聞こえてきそうだ。

そこに関しては「この記事で挙げた学習機会の喪失と、往復の通勤時間を天秤にかけて、コスパが合わないならテレワークを貫けば良い」というのが私のアンサーである。

たとえば子育てのために通勤時間の省略が死活的に重要なのであれば、学習機会を放棄してでもテレワークを多用することは選択肢としてありだ。

出社必須の仕事は先を読める人間しか振れなくなる

テレワークでできる仕事とは「事業所外でもできるように環境が整備された業務」である。全ての仕事がそこまで整備されている会社はまず存在しない。

では、出社必須な仕事はどのように割り振られるだろうか?仕事の性質を2パターンに分けて考えてみよう。

事前に予測ができる出社必須の仕事
数日先、1週間先を見通せる人間であれば、テレワークを多用する人間に「この日は出社してもらえないか」と打診をすることができる。これなら予定を調整する猶予日数もあるので、引き受けてもらえる可能性は高いだろう。

ところが前日になって、「ヤバい、これもやらなきゃ」と気づいて仕事を振ろうと思っても「その日はテレワークにする必要があるので無理です」と断る余地が生まれる。むしろ、「あの人は高頻度でテレワークにしてるから、前日の依頼は無理だろうな」とはなから諦める場合も多い。

テレワークをしている人間は「仕事があまり振られなくて暇だな」と思う一方で、先を見通せなかった人間は「普段から出社してれば頼む余地が生まれたのに」とフラストレーションを溜める。

「先を見通せなかった人間が仕事を振る機会を逸したんだから自業自得でしょ」という意見はごもっとも。しかし、1週間先の見通しと人の活用方法まで考えを巡らせられるのは超優秀な人材だ。他責思考にならず「今度から先を見通すようにしよう」と反省できるのも優秀層である。

逆にいうと、直前になって仕事の割り振り先を慌てて探す他責思考の人間が多数を占めるので、テレワークの多用は仕事を身につける実践機会の喪失を意味するのだ。また、負の感情を抱く同僚が増える側面もある。

突発的に発生した出社必須な仕事
こちらは事前の見通しが不可能なので、超優秀/優秀な人間であってもテレワークを多用する人間には頼みづらい。

このゾーンはあらゆる人間が「普段から出社してたら頼めたのに」と不満を抱くことになる。

こういったマイナス感情は「困った時に手を差し伸べてもらえない」という形で返ってくる。もちろん、仕事をする機会の損失も発生する。


さて、テレワークはスキル習得にあたってマイナスな側面が多いという話をここまで書いてきたが、デメリットを分かった上であえて選択するならば別に問題はない。

「仕事は細々とやれればよくて、スキルアップは求めていない」「今は子育ての優先順位が一番なのでスキル習得は後回し」など、考えがある人にとっては素晴らしい選択肢だろう。

特にスキルアップを目指すキャリア志向の若手は、テレワークの多用が後々自分の首を絞めかねないので、デメリットはちゃんと意識しておいた方が良い。

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