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居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るのか分からずに—名門音楽学校にぎりちょんで入って、落ちこぼれた話—

(最後まで無料で読めますがなんとなく投げ銭制にしてみました)

「あの学校をお出になられたなんて、優秀ですね!」
出身校を言うと、音楽にちょっと詳しい方からは
こんな風に言っていただく事がある。
ええそうなんです、大変優秀なんです。私以外の方々は。

あの学校を出たたくさんの優秀な方々のおかげで、私も優秀だと勘違いしていただけるのですが、私はなぜか運良く、いや悪く?首の皮一枚のぎりちょんで入ってしまい、莫大な学費と引き換えに絶望と劣等感を手に入れただけの落ちこぼれです。という話を書こうと思う。

この話を書くにあたり当時の事を回想していた時に浮かんだのは
『居場所がなかった』という言葉。
そういえばそんな歌詞の歌なかったっけ?と調べてみたら
浜崎あゆみの『A song for xx』だった。
偶然にもちょうど私が落ちこぼれ音楽学生をやっていた頃にヒットした曲だ。

居場所がなかった 見つからなかった
未来には期待出来るのか分からずに

当時から曲の存在自体は知っていたけど、
自分の状況と重ねてどハマリしたとかいう思い出はなぜかない。
(当時は、コンビニとかにたむろする若者を歌詞から想像してたかも)

けれど今振り返ってみて
この歌詞ほどあのころの気持ちにドンピシャなものはないな、と思うので歌詞をそのままタイトルにしてしまった。
家庭環境は悪くなかったし、コンビニにたむろする若者でもなかったけど、それでもあの頃の私には居場所がなかった。

私は6歳からヴァイオリンを始めて、
気がついたら名門の音大付属の音楽教室で高校進学を目指していた。
中学2年の時に受けた教室の試験の面接で教室主任の先生からは
「アナタには受からないわよ!」と高圧的に言われたけれど、
師事していた先生は
「私だって受かる見込みのない人には今の時点ではっきり言う。
余計な望みは持たせない。
でもあなたは受かると思う」
と太鼓判を押してくれて一生懸命指導してくださり、
受験に間に合うように楽器の選定までしてくださった。

そして多分色々ギリちょんだったと思うのだが、私は本当に合格した。
その知らせを聞いた時は、本当に嬉しかったし、両親も大喜びしてくれた。

だけど、入学してすぐに、私はつまづいた。
ソルフェージュの成績は結構良かったはずなのにクラス分けテストでしくじってしまい、下から2番目のクラスになってしまった。
そのショックとムシャクシャからか、小学生の頃から同じ音楽教室でずっと仲良くしていた友人たちと、私がつまらない悪口を言ったばっかりに仲たがいしてしまい、学校に行くのが怖くなってしまった。
正直もうやめてしまいたかった。
辛くてたまらなかったけど、親が払った莫大な入学金と学費を考えると、行きたくないとかやめたいなんて恐ろしくて言えなかった。
ただ毎日、オドオドしながら学校へ行き、小さい頃から一緒に勉強して来た仲間たちからは無視され、授業にも面白みを見出せず、バイオリンの練習にも身が入らず、日々をやり過ごしていた。
何を目的にこの学校で過ごしたらいいのかわからなくなってしまっていた。

自分なんか価値がない、必要のない人間なんだと思い始めた。
学校には才能あふれる人たちがひしめきあっていた。

楽器が上手いのは当たり前で、容姿端麗で勉強もできて他言語操れて頭の回転が速くてお父さんはどっかのお偉いさんでお母さんはプロの音楽家で由緒ある家柄とか、どこの出来すぎたマンガの登場人物だよっていう、いやマンガですら『出来すぎてるからボツ』って言われるだろって感じの、音楽の才能だけでなく、あらゆる方向に能力の高い人たちがザラにいた。

私は登校するたびに気圧されてしまっていた。
朝、校舎に一歩入ると、上の階の廊下から

プロのリサイタルかっ?!

というような音色が聞こえてくる。
(練習室争奪戦にあぶれた人が何人も廊下で練習している)

でも弾いてるのは同級生だったりする。
楽器を持ってない時はフツーに同い年の女の子として食べ物とかファッションの話とかしていても、演奏を聴くと途端に相手が手の届かない存在に感じた。
私と同級生の間にはすでに見えない格差ができていた。

そんな同級生と一緒に弾かなければいけない週一回の弦合奏の授業と、オーケストラは一番憂鬱だった。
弦合奏の授業は少人数のクラスで、
配られた課題を初見で弾いて合わせたりする授業だったのだが、
もうとにかくすでに別格の同級生たちに自分のバイオリンの音を聴かれたくなかったし、自分より格段に上手な同級生たちの演奏も聴きたくなかった。
カルテットの課題とかで1パート1人ずつ、何グループかに分かれて順番に弾く時など公開処刑すぎて死んでしまいたかった。

私は思った。
あれ、これ、無理なんじゃね?

私の親は、練習しないからみんなより下手なだけだ、と思っていたと思う。
真面目に練習すればみんなそんな大差ないよ、
みんなの方が楽器は高いかもしれないけど。そこはごめんだけど楽器のせいにするのは努力してからにして。
音楽の世界に疎いうちの両親は簡単に言っていた。

でも、私にはわかってしまう。
確かに練習は大事だ。練習すれば今よりマシにはなると思う。
でも、違うんだよ。そういう次元じゃないよ。
毎日毎日、学校で耳にするみんなの演奏。
あんなの私がいくら練習したって出せる音じゃないんだよ。
落ちこぼれとはいえ、親より耳は肥えてるし感受性だって鋭いからわかっちゃうんだよ。
もう無理だよ。努力なんて無駄だよ。
才能あふれる優秀な人がさらに努力してる場所で、
私が努力したところでハナクソ以下だよ。

入学して最初の1学期が終わる頃には、
もうすっかり無気力になってしまっていた。
でも私にいくらかかってるか知っていたから、
やめたいなんて言えなかった。
でも親は大して練習しようとしない私に時々ブツクサ言うだけだった。
実技の先生も、自主性を重んじるタイプだったので、やる気のない私にはあれこれ言わず淡々とそれ相応のレッスンをしていた。
優秀な同級生たちは夏休みにどこのセミナーに行くかで盛り上がっていた。
日本語なのに異言語の会話に聞こえていた。

虚ろな気持ちで学生生活を消費し、
自分のバイオリンに意味を見出せなくなった私は
すごくくだらない恋愛に手を出した。
相手の中身に惹かれて切磋琢磨し合えるような恋愛ではなく、
『とりあえず誰かと付き合ってみたい』同士で
全然盛り上がらないお付き合いをした。
親にはますます怒られた。
練習もしないでくだらない男と付き合って、と。
そんなこと私だってわかっていた。
だけどもう、どうしようもなかったし、親にも気付いて欲しかった。
あなたの娘は、あんなくだらない男と付き合っちゃうほど、
自分に価値を見出せなくなってしまったのだと。
あの学校では、私は全然必要とされていないけど、
あのくだらない人はとりあえず私を必要だと言ってくれてるから
そっちに行くだけ。
「勝手にしなさい!!」と言ってほしくなかった。
本当は助けて欲しかった。でも反抗して、喧嘩ばかりしていた。

それでも学校を休学したりやめたりすることはなかった。
別に歯を食いしばって頑張ったわけではない。
やめる勇気すらなかっただけだ。
他の道を模索したって、この学校を出る以上の肩書きは得られないだろうという打算的な気持ちもあった。
多分親も同じ気持ちだったのだと思う。
「肩書きなんていらん!やる気がない奴に出す金はない!」
と言っても良かったような状況だったが、
そう言えるほどうちの親もストイックではなかった。
その結果、非常に受け身で消極的で後ろ向きな姿勢で学校に通い続け、
私は大学を卒業した。

嫌なことばかりだったわけではない。
入学当初に仲違いしてしまった友人たちとは
時間が経つにつれて普通に話せるようになっていった。
下から2番目だったソルフェージュのクラスは、大学卒業までにそこそこ良いレベルまで這い上がることができた。
新しい友人たちとの出会いもたくさんあった。
昼休みにバカ話で爆笑したり、示し合わせてなんちゃって制服で登校して
学校帰りにプリクラを撮ってはしゃいだりした。
大学のオーケストラでは世界で活躍しているマエストロが振りに来てくれて感激した。
演奏旅行に行った時は、ホテルで夜な夜な飲みながら恋バナに明け暮れた。
そんな楽しい瞬間もあった。

それでも、いつでも自信のなさと、劣等感はついてまわった。
自分は何にもなれないのではないか、という不安と諦めに似た感情も常にあった。

でも教える立場になった今、当時を振り返ると
『じゃあ、あの時どうすれば良かったんだろう?何かもっとやりようがあったはずだよね?』という気持ちになる。

過去は取り戻せないし、
「あの時ああしていれば」という後悔はしても仕方ないけれど
もし今、同じようなことで自分自身や身近な人が悩んでいるとしたら、
微力ながら役立つかもしれないので、このエピソードをふまえて
また別の記事で考察を書いていきたいと思う。

(一応つづく・・・はず)

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