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読書記録:神様の定食屋 (双葉文庫 著 中村 颯希

【憑きっきりの指導で、料理に対する真心を知る】 


【あらすじ】

両親をバス旅行の事故で、失った高坂哲史は、妹と共に、両親が営んでいた定食屋「てしをや」を継ぐ事になる。

しかし、料理がてんで出来ない哲史は、妹に罵られてばかり。
嫌気が差して、ふと立ち寄った神社で。

「いっそ誰かに体を乗っ取ってもらって、料理を教えて欲しい」と愚痴をこぼしたら。

なんと、神社に祀ろう神様が現れて、亡くなった魂を憑依させられてしまう。
魂に料理を教わる代わりに、その魂が望む相手に料理を振舞って、後悔を晴らしてやって欲しいと告げられる。

母親から息子へ。店主から常連へ。姑から嫁へ、夫から妻へ。 

神様はそんな願いと祈りを拾い上げて、その因果の糸を絡め合わせていく。

作られた料理には誰かの想いが宿っている事を哲史は知っていく。

あらすじ要約

両親が不慮の事故で定食屋を継ぐ事になった哲史と志穂。あまりに料理が出来ない哲史は神社で神頼みする事で、未練がある魂に憑依され、料理のイロハを学ぶ物語。


本当に美味しい料理とは一体どういう物なのか?
食べる人の趣味嗜好で変わってくるし、作り手の情熱とセンスで千差万別だ。
ただ、一つ確かに言えるのは食べる人の事を真剣に考えて作られた料理は美味しいという事。
料理は人を想う真心である。
時江に魂が憑依された哲史は、熱烈な指導を身体を張って体験するしていく。

両親が残した「てしおや」の由来は手塩にかけた子供達に美味しい料理を食べさせたいという真心から作られた。
料理のイロハを知らない哲史は、店を継いだものの、妹にどやされてばかり。
「料理がもっと上手くなりたい」
神社で神頼みした事で様々な魂と交流を深める哲史。

初めに取り憑いた時江は、親切でいささかお節介な幽霊であったが、両親と同じバス旅行で亡くなったどこか縁のある人だった。
時江は、自分が今世に残してきた息子の敦志の事を、親ながらに心配していた。
哲史は、そんな彼女の心残りを解消してあげたいと思った。
そこで、彼女の得意メニューであるチキン南蛮を作ってあげる事にした。
彼は会社の飲み会で酔った姿で、「てしおや」に訪れた。
そこで、共にチキン南蛮を食する中で、敦志はポロポロと涙をこぼしながら、嗚咽し始めた。
いなくなった母親への寂しさと感謝の気持ち。

引きこもりだった自分がなんとか就職出来たのに、その立派な姿を母親に見せられなかった悔しさ。
母親の懐かしい料理を味わう中で、そんな感情が自然と溢れ出してきた。
今は、見えなくなってしまった時江の魂に代わって。
哲史は、いつも敦志がご飯を残さずに食べてくれた事が嬉しかった事を伝えてあげた。
彼は救われた思いで、ご馳走と言って、「てしおや」を旅立っていく。

両親と別離を迫られて、もう会えなくなってしまってどうしても自分の心のわだかまりがあったとしても。
こういう形で、親子の愛を交信させる事が出来た哲史は自分に対して、自信が少しだけ湧いてきた。
そして、関わる事になり様々な魂。

天ぷら屋を営み、弟子を見守っていた師匠の銀次。
義娘に辛くあたっていたが、慈しんでもいた姑の梅乃。
素直になれない彼女を、それでも愛していたフランス人のジル。
彼らはそれぞれの理由で、この世に未練を残していた。

そんな様々な魂に憑ききっりの熱烈な指導を仰ぎながら、修行した事で。
料理に関する知識やスキルがめきめきと上達していく哲史。
両親が健在である時は、妹は喧嘩ばかりが絶えなくて、折り合いが悪かった哲史。
しかし、人間的に成長した彼は、素直に妹に助けを求めた。
妹の志穂の協力も借りた事で、「てしおや」は、お客様の足が途絶えない、大盛況ぶりを見せる。
しかし、急にお金を稼いで儲かるようになると、必ずと言っていいほど、トラブルが舞い込んでくる法則がこの世の中にはある。

妹の志穂に好意を抱いて、彼女を狙って来店するお客がやってくる。
下心丸出しで、下世話な話しをもちかけて、なんとか彼女を口説こうとしてくる迷惑なお客。
しかし、哲史はそんなお店の雰囲気を壊すお客に毅然と言ってのける。

「うちは、定食屋であって、店員はメニューじゃないんだ」と。
「純粋に食事を楽しんで食べる気がないなら、もう帰ってくれませんか?」と。
それは、両親から受け継いだ信念と、料理に真剣に向き合うからこそ生まれたプライド。
それをよこしまな想いで汚されたくなかった。

なんとか、その場はことを荒立てずに、迷惑客を帰宅させる事が出来た。
しかし、人には些細な事を根に持って、恨みをぶつけてやりたいという黒い感情がある。
お店の些細な対応の機微を、自分が面白くなかったから、仕返ししてやろうと。
簡単にクレームをつけるような狭量で嫌な時代になってしまった。

その客はSNSで、「てしおや」の評判を下げるような悪評をツイートしてきた。
そういう悪い噂ほど、世間に浸透しやすくて、ネットのレビューサイトに書き込まれよう物なら。
一生残り続ける厄介な風評被害である。

その影響によって、「てしおや」は再び、閑古鳥が鳴くようなもの寂しい店に成り果ててしまう。
一体、これからどうすれば良いのだろうか?
頭を抱えて、思い悩んだ哲史は、考えた末に一つの答えに辿り着いた。
藁にもすがる想いで、志穂を連れ立って、再び神様の住まう神社に訪れて。
亡くなった両親と再び会わせて欲しいと祈願する。
神様はそれに応えて、両親を子供達の身体に憑依させてくれた。

そこから、両親から看板メニューの唐揚げ定食を教えてもらって。
何故、唐揚げ定食が、「てしおや」の看板メニューなのか、その由来を垣間見ていく。
それは、両親達が一番、子供達の好物であった料理を店で出して喜んでもらいたいという親心から来る物であった。

哲史と志穂は、そんな優しくて暖かい親の愛情を知って、居なくなってしまった感情も相まって。
涙が自然と溢れてきた。
本当は、両親が生きていてくれている間に、日頃の感謝の気持ちや、労いの言葉をかけてあげたかった。

そして、家族が一丸となって、絶品の唐揚げ定食を完成した頃に。
哲史に憑いていた様々な魂と、縁とゆかりのある人々が、心配していてお店に訪れてきてくれた。

確かに、簡単にお店にクレームをぶつけるような嫌な時代になってしまったが。
心の狭い嫌な人間ばかりではない。
他人を思いやって、なんとか力になれないかと助けようとしてくれる優しい人も存在するのである。

そんな器が広くて優しい人々に囲まれながら、失った笑顔を徐々に取り戻す兄妹。
両親は、魂の中で、眼を細めながら、そんな二人を安心して見守ってくれる。
何度でも、苦しい状況に追い込まれながらも、再び活気を取り戻した「てしおや」。

結局、迷惑客の悪評のツイートは自作自演であった事が世間に露呈して。
逆に迷惑客が非難やバッシングを受けるような決着を見せて。
この事件はようやく片がつく。
インターネットに転がっているような、まことしやかな情報は、根拠のない憶測であったり、見る者を個人的な信条に誘導する為のバイアスがかかっている物がある。
だからこそ、安易に鵜呑みにするのではなく、実際に現地に足を運んで、自分の眼で確かめてみる事が大切なのだろう。

「誠実に生きていれば、人と人との繋がりとは、いつの時代になっても、簡単に切れる物ではない」
まさに、神様が言った通りの現象であった。
哲史は魂に憑きっきりの指導を受ける中で。
料理の知識や技術だけではなく、料理人としての心構えも教わっていた。

飲食店は、お客様の奴隷なのではけしてなくて、美味しい料理を食べてもらって喜んで欲しいから。
人々を喜ばせたいというホスピタリティが一番大切なのだと。
様々な魂に励まされながら、ようやく理解した。
一生懸命に頑張ったとしても、報われる事ばかりじゃない。
こんなに努力しているのに、なんで自分の思うようにいかないのだろうと項垂れてしまう事もある。
しかし、頑張っている姿は必ず誰かが見ていてくれる。
その他人の為に心を砕く懸命さに、ささやかな反応を返してくれる人だって確かにいるのだ。

だから、絶えず同じ事を繰り返していく事。
一度決めた信念は簡単に曲げない事。
結果や、やる意味ばかりを求めない事。
自分が好きだから、単純にやりたいという気持ちを優先にして、大切にする事。

そうやって愚直に信じ続けて、やり続ける中で、応援してくれる人達の温かいエールを受けて。
それを素直に嬉しいと感じられる自分がいる事が、何よりも素敵な事なのだろう。
未練を残した者と、この世に残された者が、料理を通して、それぞれの後悔を晴らした先で。

両親が居なくなっても、支え合える兄妹が営むこの定食屋は、末永く続いていって欲しいのだ。












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