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琥珀の夏(文藝春秋) 著 辻村深月

【あの夏に私達が取り零した記憶の扉が開かれる】


大人になる途中で、私たちが取りこぼし、忘れてしまったものは、どうなるんだろう――。封じられた時間のなかに取り残されたあの子は、どこへ行ってしまったんだろう。



かつてカルトと批判された〈ミライの学校〉の敷地から発見された子どもの白骨死体。弁護士の法子は、遺体が自分の知る少女のものではないかと胸騒ぎをおぼえる。小学生の頃に参加した〈ミライの学校〉の夏合宿。そこには自主性を育てるために親と離れて共同生活を送る子どもたちがいて、学校ではうまくやれない法子も、合宿では「ずっと友達」と言ってくれる少女に出会えたのだった。もし、あの子が死んでいたのだとしたら……。

30年前の記憶の扉が開き、幼い日の友情と罪があふれだす。



圧巻の最終章に涙が込み上げる、辻村深月の新たなる代表作。

カルト的な教育施設に夏の間、親から切り離された少年少女の琥珀のような真実が炙り出される物語。


理想と高尚さを掲げて子供の考察力を鍛える環境を整えたというミライの学校。

聖なる泉やのどかな自然の中で、子供達を外界から隔てて、のびやかに育てるという。

それに感銘を受けた親が自らの子供を預ける。

美辞麗句で語られるだけで見えなかった窮屈さを子供は実際に入ってから知る。

子供の為を思えばの教育、離れて暮らす選択。
教育と宗教とは本来似ている物。
子供を洗脳するという意味では同じ。
ただ、子供の為にする事は大人の勝手な都合なのだろう。
何を信じて何を信じてはいけないのか、子供にも選ぶ権利があるし、選ぶ力を養わせるのが目的なら大人が見本を見せるべきだろう。
しかし、この物語で出てきた大人は自らの保身の為に、子供達の琥珀のような居場所を汚した。
罪が隠蔽された土地でどうやって子供は成長出来るというのだろう?

子供に道を指し示す為にも、大人は模範たる姿勢を見せなければならない。
子供に真っ当に育って貰いたかったら、身近にいる親が見本となる生き方をしなければならない。
子供は、そんな生き方を見てないようで、意外と見ている。
自らの子供の教育を他人に委ねるという考えがそもそも間違っているのかもしれない。
子育て問題、宗教二世、女性の社会進出、男女の役割分担、子どもの世界、理想の教育など、この物語では沢山の命題が触れられるが。

一番大切なのは、いくら親がお膳立てしてあげても、子供達の未来は子供達にしかない。
一番、親が出来るのは傍で子供達が自分で考えて答を出すのを見守る事だろう。
自らの生き方を子供に投影するのは何処か歪んでいる。
完璧で正解な子育てなど無いから、子供と一緒に大人も成長しなければならない。


大人は理想を語るが、子供達の未来を奪っている事を忘れてはならない。




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