勉強の時間 人類史まとめ1
『サピエンス』ユヴァル・ノア・ハラリ
ここ数年、勉強のためにいろんな本を読んできましたが、特に面白かったのは人類の歴史を振り返る、総まとめ的な本や、人間の本質とは何かみたいなことを考えさせる類いの本でした。
気候変動とか金融危機とかテロとか米中対立とか、21世紀に入って人を不安にさせることが色々と起きているので、人間とは何者で、どんな世界に生きていて、これからどこへ向かっていこうとしているのかといったことを、知りたいと思っているからかもしれません。
テクノロジーの急速な進化でも、インターネットが世界中に普及して、コミュニケーションから商取引まで、あらゆることがITでできるようになってきたり、AIやロボットが進化して人間を支配したり、人間の仕事を奪ったりするようになっていくみたいなことが言われるようになってきたり、生命科学の進化でクローン人間が製造可能になってきたりして、これまでの常識とか概念がゆらいでいるからかもしれません。
テクノロジーを使ってあっというまにビジネスを世界中に広げ、何兆円という桁外れの資産を手にするプラットフォーマーやハイテク企業の経営者たちを見ていると、誰にでもチャンスがある希望の時代が来ているようにも思える一方で、アジア・アフリカ・中南米の貧しい国だけでなく、先進国にも満足な食事もできず、ろくな教育も医療も受けられない人たちの層が広がっているのを考えると、古代や中世みたいな支配構造、支配層と被支配層が新たに形成されつつあるようにも思えます。
そういう従来の概念が通用しない時代だから、人類とか世界のあり方を再定義あるいは再点検できるような本が書かれるし、読まれるんでしょう。
人類の進化と
地球征服の歴史
たとえば世界で1000万部以上売れたと言われるユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス』もそうした人類や世界を総点検するタイプの本です。
私たち人類、ホモサピエンスの祖先が、アフリカから中東・ヨーロッパ、アジアへと広がり、先住民のネアンデルタール人や原人たちが滅びていく中で、唯一生き残り、発展を続けてきたのはなぜかを、原始時代から現代まで、かなり豪快かつ明快に圧縮してまとめた本です。
日本語訳ではタイトルに「全史」という言葉がついていますが、僕が読んだ英語版のタイトルは Sapiensで、副題が A Brief History of Humankind となっています。つまり「人類の歴史を短くまとめた本」という意味でしょうか。
この本は普通の歴史書にありがちな書き方、メソポタミア文明からバビロニアやエジプト、ギリシャ・ローマ、黄河文明から漢や魏・呉・蜀といったふうに、国家や民族の栄枯盛衰を語っていくようなことはしていません。
肉体的に原人やネアンデルタール人よりひ弱だった私たちの祖先が、知能の発達によって、技術や組織的な行動を進化させ、大型動物を補食できるようになり、地域の生態系の支配者になり、野生の植物を農作物化し、野生動物を家畜化することで飛躍的な食糧生産を可能にし、国家という巨大な装置を生みだし、さらに通貨や工業によって地球の支配者へと上り詰めてきたという過程が語られています。
著者の興味はひたすら、人類の進化が他の生物や地域、ひいては地球全体の支配を可能にしてきたプロセスと、進化のメカニズムに向けられています。
特に面白かったのは、サピエンスが10万年くらい前に一度アフリカ東部から中東、今のレバノンあたりに進出しようとして失敗し、一度撤退していることです。すでにそこには先住民のネアンデルタール人がいて、彼らとの競争に勝てなかったと推察されています。しかし、それから3万年後、サピエンスは再び中東へ進出し、今度はヨーロッパ、アジア各地へと生息地を広げていきます。
最終的にネアンデルタール人は滅んでしましました。遺伝子解析によると、ネアンデルタール人の遺伝子が多少は後の人類に引き継がれているようなので、一部はホモサピエンスと交配したようですが、サピエンスが進出してくる前は中東からヨーロッパに広く分布していたネアンデルタール人はいなくなってしまったわけです。
それがなぜなのかということについては、食糧の調達競争でサピエンスに負けたのではないかという説や、気候変動にサピエンスが適応できたのに対して、ネアンデルタール人はできなかったのではないかという説があるようですが、著者のユヴァル・ノア・ハラリは、前者に近い考え方のようです。
人類が絶滅させた生物
ネアンデルタール人だけでなく、アジア・オセアニアに分布していた先住民もサピエンスが進出してきた頃に姿を消しています。類人猿・原人系に連なる先住民だけでなく、いろんな大型動物も、サピエンスの進出からしばらくすると、各地域で絶滅しています。
これは偶然だろうか? と、ユヴァル・ノア・ハラリは問いかけます。
気候変動による絶滅の可能性もあるので、確たる証拠があるわけではないようですが、彼はサピエンスの乱獲による絶滅の可能性を強調しています。
私たちは近代に起きて今も拡大している環境破壊への反省から、原始人とか昔の人類は環境との調和を大切にして、獲物の乱獲をしないようにしていたと想像しがちです。地球のあちこちに残っている先住民に、「獲物を乱獲してはいけない」という教えが伝えられているといったことも紹介されています。
しかし、もしかしたらそうした事例は、現代の環境保護意識のバイアスがかかった上で収集・紹介されているのかもしれません。
というのは、原始の人たちが必ずしも自然と融和的だったわけではなく、動物を乱獲して絶滅させたのではないかと思われる痕跡が、あちこちで見つかっているからです。
たとえば北米では、ものすごい量のマンモスの牙や骨を積み重ねた遺跡が発見されています。氷河期頃の人類は、槍で大型動物をより深く刺すことができる補助的な器具を発明していたし、集団で組織的に獲物を追い詰め、崖から転落させて殺すといったテクニックも持っていたと言います。
狩猟採集時代の人類は武器や狩猟の技を進化させて、大量の動物を仕留めることができるようになったおかげで、人口を増やし、生息地を広げながら地球の隅々まで広がったと考えることも可能です。
もしかしたら近代まで生き延びた先住民の、「獲物を捕りすぎてはいけない」という教えは、かつて祖先が乱獲でマンモスをはじめいろんな大型動物を絶滅させてしまって食糧が減り、飢餓や栄養失調による病気などで死ぬ仲間がたくさん出たといった悲惨な経験をしたために、乱獲をいましめるような教訓が伝わっているということなのかもしれません。
進化と引き替えに
自分を束縛しだした人類
その後、約1.2万年前あたりから人類は定住を始め、農業革命が起きて穀物の栽培が始まり、動物の家畜化も進んで、人類は狩猟採集時代より飛躍的に大量の食料を得ることが可能になります。人口は増え、集落から村や町が生まれ、国家へと発展していきます。
しかし、農業はいいことばかりもたらしたわけではなく、労働は長時間になり、腰をかがめた姿勢をとり続けることで苦痛なものになっていったとユヴァル・ノア・ハラリは言います。
栄養についても、摂取できるエネルギー量は増えたものの、大部分を小麦や米、とうもろこしなどそれぞれの地域で単一の穀物からとるようになったことから、狩猟採集時代より偏りがちになったようです。
神官や王や貴族などの支配階級が生まれ、大多数の人類は農民として隷属的な地位に甘んじるようになります。組織が比較的フラットだった狩猟採集時代にくらべると、これもネガティブな変化と言えるかもしれません。
色々ネガティブな変化が起きたのに、どうして人類は狩猟採集から農業への進化を受け入れ、ブレーキをかけなかったのでしょうか?
狩猟採集時代から食料を確保することが、人類にとって最重要課題だったので、より多くの食料をより安定的に獲得できる農業を捨てるという選択肢はありえなかったとユヴァル・ノア・ハラリは考えているようです。学者として合理的に考えるとそういうことになるんでしょう。
僕の感想としては、そもそも人類の脳には前進や拡大への衝動が組み込まれているんじゃないかという気がします。
狩猟採集時代の食糧確保は、獲物に出会える確率から、首尾よくそれを仕留めることができる確率など、時の運が大きく作用したので、たくさんの獲物を仕留めたり、たくさん木の実がなっている木や、蜂蜜をたっぷり蓄えた大きな蜂の巣を発見したりできたとき、我々の先祖は、大きな喜びを味わったでしょう。
出産が子供の親だけでなく、家族や親族にとってめでたいことなのも、自分たちが種族として命をつないで、増えていくことがよいことだという、生命の根源につながる感覚から来ているような気がします。
子供を産む女性にとって妊娠や出産は苦痛を伴う行為ですし、特に原始時代の出産は、命を落としかねないリスクが現代よりはるかに大きかったと想像できますが、それでも人類が子供を産み続けたのは、それが自分たちにとって大きな意味での命をつなぐこと、自分たちを拡大・発展させていくことだったからでしょう。
狩猟採集から農耕牧畜のように、より効率的な食料確保の手段を開発したのも、こうした拡大への衝動があったからでしょうし、労働時間が長くなって苦痛が増してもこのシステムを手放さなかったのは、獲得できる食料の増大がそれだけ魅力的だと感じられたからでしょう。
「コグニティブ革命」
意識・知恵の誕生
狩猟採集時代に起きた、人類にとって最初の革命をユヴァル・ノア・ハラリは「コグニティブ革命」、認知革命と呼んでいます。
この革命によって人類は言葉を生み出し、概念を操るようになり、神々や精霊、神話といった現実には存在しないものを共有することで、集団としてまとまった行動をとることができるようになり、情報を共有して道具や狩猟方法を進化させていったと考えています。
この革命によって、人類はネアンデルタール人を始めとする先輩たちに勝つことができたと言えるかもしれません。
10万年前に中東に進出しようとして挫折し、7万年前にもう一度チャレンジして成功したのは、この3万年のあいだに認知革命が起きたからということになるのかもしれません。
ネアンデルタール人は人類よりも大柄で力が強かったようです。石器もかなり精巧なものを作ることができました。しかし、人類がどんどん道具を進化させていったのに対して、彼らの道具は何十万年もほとんど変化しなかったと言います。
原始人の中で人類、ホモサピエンスだけが進化できたのは、認知革命のおかげだとユヴァル・ノア・ハラリは主張しています。
簡単な言葉は動物も使いますから、ネアンデルタール人も使っていたでしょうが、サピエンスはものごとを概念として抽象化することができたので、器具のようなハードウェアを改良するにも、それを活用するにも概念、つまりソフトウェアを通じて柔軟に変更したり、情報共有したりできたでしょう。
それによってサピエンスは先輩たちよりはるかにすばやく効果的に、道具や行動様式を進化させることができたということのようです。
精霊や神々といった超自然的な存在を創造して、みんなで共有することにより、集団としてまとまった行動をするようになったのも、認知革命のおかげです。農業が始まり、村が都市へと発展し、国家が生まれていく中で、宗教も発展し、メソポタミアやエジプトの神殿や塔など、巨大な宗教的建造物が建設されていきます。
意識、認知、知性と後に呼ばれるようになる領域こそ、人類にとって最大の武器でした。
さらに中世末期から近代にかけて、科学的な革命が起き、経済の飛躍的な進化・発展が進んだことで、人類はさらに人口や居住地域の拡大を加速させ、地球規模で資源を採掘・消費するようになります。
『サピエンス』は科学の進化だけでなく、商業の発展、マネーの普及から資本主義への進化といった経済の進化、大航海時代から始まる植民地の開拓・支配による統一世界の成立といった政治的な進化、宗教の支配から人間中心のヒューマニズムへの移行といった哲学・思想の進化など、人類が地球の支配者になっていく過程とその現象のメカニズムを、簡潔に豪快に語ってくれます。
そして今、科学や経済の進化はどんどん加速していて、インターネットやAI、ロボット工学、バイオテクノロジーといった科学技術は、グローバル化した経済の仕組みによって世の中を、人の暮らしをどんどん便利に、豊かにしていますし、病気の治療や健康維持の手段も進化して、人はより健康で長生きできるようになっています。豊かになっていくことで、人種や性などによる差別が意識されるようになり、社会はより平等になっていきつつあります。
しかし、そこには大きな罠が待っているとユヴァル・ノア・ハラリは言います。ここからはまた次回に。
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