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今、人類は、世界はどうなっているのか、私たちはどんな時代に生きているのか、どこへ行こう…

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今、人類は、世界はどうなっているのか、私たちはどんな時代に生きているのか、どこへ行こうとしているのかを、色々な本を読みながら勉強し、考えていきます。学術的にハイレベルなことは書けませんが、気楽に読めるようにしますので、楽しみながらおつきあいください。

マガジン

  • 勉強の時間  自分を知る試み全編

    人や社会、民族や国家といったものを、人はどんなふうに見ているのか、どう考えているのか、なぜそういう見方・考え方をするのかといったことをあれこれ考えています。

  • 勉強の時間  人類史まとめ全編

    「勉強の時間」で連載した「人類史まとめ」全編をまとめてみました。

最近の記事

三千世界への旅 縄文26 天武天皇と海の民つづき

天渟中原瀛真人の「瀛(おき)」とは もうひとつ気になるのは、先に紹介した天武の諡(おくり名)、つまり死後に付けられた名前「天渟中原瀛真人(あまぬなはらおきのまひと)」にも、海に関わる「瀛」(おき)という言葉が入っていることです。 あまり見ない字ですが、意味は海・大海だそうです。 小林恵子の『白村江の戦いと壬申の乱』によると、この字は「えん」とも読み、道教の神仙思想で東方海上にある聖地のひとつ、瀛州山に由来するとのこと。 つまり彼は幼児から海・海人と関連する名前で呼ばれ

    • 三千世界への旅 縄文25 天武天皇と海の民

      壬申の乱と大海人側の勝利 前回は白村江の敗戦から、中大兄皇子/天智天皇の唐に対する敵対的行動、天智の死について紹介しました。 そこから『日本書紀』の記事は、大友皇子・近江宮側の戦いの準備、危機を感じた大海人皇子の吉野脱出、不破関越えと美濃国での兵力集結、近江・奈良・吉備(今の岡山)などでの激戦、大海人側の勝利、天武天皇即位と続きます。 いわゆる壬申の乱です。 『日本書紀』の記述では、天智が病気で倒れた段階で、大海人を消そうという陰謀があったことをほのめかしたり、大友・

      • 三千世界への旅 縄文24 白村江の戦いと海の民

        消えた阿曇比邏夫 前回、ヤマト王権に仕えた海の民阿曇一族の大物らしい阿曇比邏夫連(あずみのひらぶむらじ)が、新羅に侵攻されて危機に陥った同盟国・百済を救うため、軍を率いて朝鮮半島に渡ったことを紹介しました。 彼は天皇の代理みたいな感じで、ヤマトから送ってきた百済の王子・豊璋を国王に即位させ、百済再興のために活躍する百済の高官・福信の労をねぎらいます。 遠征軍のリーダーですから、天皇に委任されて天皇の代わりを務めても不思議はないのかもしれませんが、彼は『日本書紀』では「前

        • 三千世界への旅 縄文23  ヤマト王権と海の民

          遠洋漁業から海賊、傭兵まで、多様な発展形 瀬川拓郎は『縄文の思想』の中で、海民の様々な変化・発展を紹介しています。 たとえば、沖縄の糸満を本拠地として活動した海民は、船や航行術の発達と共に活動範囲を大きく広げ、遠く東南アジアのフィリピンまで漁に出かけたとのこと。 また、北方のアイヌは寒い気候のせいか、農耕をあまり発展させず、寒冷期に発達した狩猟や漁撈による食料確保を続けましたが、並行して動物の毛皮や昆布などの海産物を量産して、本州や大陸との交易を行うようになりました。

        三千世界への旅 縄文26 天武天皇と海の民つづき

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        • 勉強の時間  自分を知る試み全編
          16本
        • 勉強の時間  人類史まとめ全編
          28本

        記事

          三千世界への旅 縄文22 海の民と弥生時代

          「海民」の誕生 瀬川拓郎の『縄文の思想』などの本によると、縄文の漁民が専業の「海の民」「海民」になり、舟によるモノの輸送や文化・技術の伝播に関わるようになったのは、弥生時代以降のことですから、厳密に言うと彼らはもう縄文人ではないわけですが、それでもその起源が縄文時代にあることは、けっこう大事なんじゃないかと思います。 弥生時代に農耕社会が形成され、川から田畑に水を引く権利が、農耕民によって管理されるようになったことはすでに紹介しましたが、水が農業のために管理されるようにな

          三千世界への旅 縄文22 海の民と弥生時代

          三千世界への旅 縄文21 「海の民」

          廊下に置かれた丸木舟のレプリカ 加曽利貝塚遺跡の博物館には、丸木舟のレプリカが展示されていました。 実物ではないからか、廊下に地味な感じで置かれていました。 解説も小さなパネルで簡単に説明してあるだけです。 それでも木を削って造ったものらしく、素人の僕にはけっこうリアルに見えました。 出土した状態を忠実に再現しているからか、前後が破壊されたみたいになっていますが、現役で使われていたときはちゃんと舟のかたちをしていたでしょう。 真ん中より少し後ろに座席みたいな隆起があ

          三千世界への旅 縄文21 「海の民」

          三千世界への旅 縄文20 魂の地域交流 加曽利貝塚遺跡訪問その2

          多様な加曽利式土器 加曽利遺跡は「貝塚遺跡」と銘打っていることからわかるように、貝塚の展示が充実しているのですが、土器の展示もそれに劣らず充実しています。 前回の冒頭でちょっと触れましたが、関東を代表する縄文土器の様式に「加曽利式土器」の名前がついていることでもわかるように、この遺跡ではすごい量とバリエーションの土器が出土しています。 博物館の中は、去年の秋に西東京郷土資料室で見た「加曽利式土器」を思い出させる土器がたくさんあります。 加曽利式の定義がまだいまひとつ理

          三千世界への旅 縄文20 魂の地域交流 加曽利貝塚遺跡訪問その2

          三千世界への旅 縄文19 貝塚はゴミ捨て場ではない 加曽利貝塚遺跡訪問その1

          関東有数の縄文遺跡 先週、千葉の加曽利貝塚遺跡に行ってきました。 「加曽利式土器」という、関東を代表する縄文土器の様式名の由来になっていることでもわかるように、出土した土器の特色やバリエーション、遺跡の規模な大きさなど、関東屈指の縄文遺跡です。 重要遺跡であるにもかかわらず、出土品が展示されている博物館は入場無料です。 これまで訪ねた縄文博物館や展示室同様、入場無料で写真撮影OK、SNSやブログへのアップも、商用目的でなければOKとのこと。 ありがたい。 お言葉に

          三千世界への旅 縄文19 貝塚はゴミ捨て場ではない 加曽利貝塚遺跡訪問その1

          三千世界への旅 縄文18 山梨・釈迦堂遺跡博物館

          縄文の感触 少し前になりますが、山梨県の釈迦堂遺跡博物館に行ってきました。 縄文関連の本を読んで、縄文人や縄文文化のことを考えたり書いたりするのも楽しいですが、やはり時々は縄文の土器や土偶などを見たくなります。 縄文人の価値観とか世界観とか美学といったことは、近代以降の概念でとらえたものですから、縄文人が感じていたこと、考えていたことそのものではありません。現代人である自分の理解のために、便宜上設定したゲームみたいなものです。 あまり概念上のゲームにだけ関わっていると

          三千世界への旅 縄文18 山梨・釈迦堂遺跡博物館

          三千世界への旅 縄文17 世界観の変容

          農耕民の世界観と平地の出現 弥生時代以降に縄文時代の信仰がかたちを変えて生き残った一方で、弥生時代以降の農耕社会には、世界観にある大きな変化が起きたと瀬川拓郎は言います。 それは海と山という二元的な世界観が、平地と山という二元的な世界観に変わったことです。 そして、農耕民の山の神は、春になると里に下って田の神となり、秋には収穫を祝う祭りを終えて山に帰るようになります。 つまり山と海ではなく、山と平地を往復する神になったわけです。 特に注目すべきなのは「海の神が失われ

          三千世界への旅 縄文17 世界観の変容

          三千世界への旅 縄文16 生き残った世界観

          精霊から神々へ 道具や食料調達手段から見た縄文時代と弥生時代の違いについてはすでに触れましたが、今度は価値観・世界観、信仰の面から、縄文時代と弥生時代の違いを考えてみましょう。 世界史では一般的に、狩猟採集の旧石器時代から農耕牧畜が開始された新石器時代への移行で、信仰や価値観・世界観に劇的な変化が起きたと考えます。 狩猟採集民は日々自然界のあらゆるものと接していて、そこから自分たちも自然界の万物にも精霊・魂が宿っているというアニミズムの信仰・世界観が生まれました。 そ

          三千世界への旅 縄文16 生き残った世界観

          三千世界への旅 縄文15 ガラパゴス的文明

          渡来系文化に呑み込まれる ガラパゴス的な環境のおかげで、縄文人は石器時代の価値観・世界観を残す独自の文化を維持し続けたとしたら、それはどう評価すべきでしょうか? 世界の進歩・発展から取り残され、時代遅れになってしまったということでしょうか? たしかに、約3000年前に朝鮮半島から渡ってきた人々によって水田耕作がもたらされると、彼らの文化は九州から本州へと広がり、今の北海道・沖縄を除いて縄文時代は終わりを告げます。 前にも紹介したように、多くの縄文人が水田耕作を受け入れ

          三千世界への旅 縄文15 ガラパゴス的文明

          三千世界への旅 縄文14 世界史から見た縄文時代

          前回は縄文人の世界観・価値観と、それが彼らの生活・行動でどんなふうに機能していたのかについて考えてみました。今回はそれを踏まえて、縄文人の社会がどんなものだったのかを考えてみたいと思います。 贈与が機能する社会 以前、柄谷行人の『世界史の構造』やマーシャル・サーリンズの『石器時代の経済』を紹介したときに触れたように、贈与によって霊魂を結びつけるという行為は縄文時代だけでなく、広く石器時代に見られた社会的・経済的行為です。 そこには、人間も含めた万物に精霊的な生命体が宿っ

          三千世界への旅 縄文14 世界史から見た縄文時代

          三千世界への旅 縄文13 縄文人の価値観

          売買ではなく、贈与にこだわる この数ヵ月、縄文遺跡や博物館を訪ねながら、何冊か縄文に関する本を読んでみました。その中で一番ためになったのは、瀬川拓郎の『縄文の思想』です。 他の本が主に考古学的な発見から見えてきたことについて書かれているのに対して、この本は考古学だけでなく、縄文人の文化を色濃く継承しているとされる、アイヌやいわゆる海の民などの活動の痕跡、古代日本の神話などの分析を通じて、縄文人の世界観や価値観がどんなものだったのかを考察しています。 たとえば、アイヌの人

          三千世界への旅 縄文13 縄文人の価値観

          三千世界への旅 縄文12 「日本人とは何者なのか」

          東南アジアから日本列島にやってきた旧石器人 新潟の縄文博物館訪問から帰って、縄文についてnoteに書き始めるまでのあいだに、NHK-BSチャンネルの『フロンティア』というシリーズ番組の第一弾として、「日本人とは何者なのか」が放送されました。 日本人のルーツについて、最新の人類学やDNA技術など、色々な分野の専門家が証言していました。 それによると、最初に今の日本列島にやってきたのは、東南アジアにいた旧石器時代の人類だったとのこと。その人類は、約7万年前にアフリカからユー

          三千世界への旅 縄文12 「日本人とは何者なのか」

          三千世界への旅 縄文11 縄文の多様性と変化

          長岡・馬高縄文館 11月に十日町市立博物館を訪ねた翌日、長岡市のやはり火焔土器で有名な馬高縄文館を訪ねました。 この博物館も、十日町市博物館や西東京市の資料館同様、営利目的に使わなければ写真撮影やSNS・ブログへの掲載OKとのことなので、ありがたく紹介させていただきます。 復元された馬高遺跡の建物 縄文館の敷地には、ふたつの建物が復元されていました。 ひとつは地面を何十センチか掘って草葺きの屋根をかぶせた、いわゆる竪穴式住居です。 竪穴式住居は西東京市の下野谷遺跡

          三千世界への旅 縄文11 縄文の多様性と変化