女性性と男性性のバランスはどうしたら整うのか
前回、前々回と、自立系武闘派女子のキーワードを使って男性性の間違った使い方と女性性の開放について記事を書きました。
(毎度のことながら、スキをつけて頂いた皆様に感謝です🙏🥰)
前回の記事で
と書きました。
ただ、
自分を幸せにするってどうやって?
どうしたら自分の中の男性性と女性性のバランスが整うの?
ということについて深く書けなかったので、今回はそのことについて書こうと思います。
そもそも、今の私自身が実家暮らしで自分を自分で養うことができておらず、
という、自分の中の女性性の願いを男性性が叶えられていない状態となっています。
私自身、ずっとモラハラな父と、暴言を受け続けた母の姿をそのまま自分の中の男性性と女性性に取り込んでしまっていたので、
何かしたいなと思うこと(女性性)があっても、
お金のムダ
時間がもったいない
非生産的
と、ことごとく抑圧してしまう癖(男性性)がついていました。
たとえ女性性の感覚を尊重したとしても、うまくいかない(思った結果にならない)と
“ほらね、やっぱり、あなたの言うことはいつもあてにならないし、何もならない。”
と、最終的には否定し、さらに差別するという構図になっていました。
最近、男性性と女性性の仲直りが必要だと感じ、自分なりに奮闘する中で、
そういえば過去にこんな悲しい思いをした、寂しい思いをした、と
まるで、抑圧されてきた女性性が今になって謝罪する男性性に反抗するかの如く、過去の嫌な記憶が夢に出てくることがあり、
地味にメンタルが削られる中で、思ったよりも自分の中の男性性と女性性の溝が深いということに直面させられています。
そこで、
男性性と女性性の仲直りってどうすればいいの?
どうすれば自分を幸せにできるの?
という問いの答えなのですが、私自身が実感しているのが、
自分の感覚(気持ち)をないがしろにしない
ということです。
…はい、当たり前なことですね。けれど、これが結構難しいんです。
たとえば、私は混雑した駅のホームなどでかかとを踏まれたときに、いた!と思っても、我慢してやり過ごしてしまうことがあります。
もちろん、後ろにいる相手を睨んだり舌打ちすることが良いこととは思えませんが、
少なくとも、後ろを振り返るなり痛い!と叫ぶなり、“痛い思いをした”ということを表明してもいいのではないかと、最近感じるようになりました。
これまでは、女性性で感じた「痛い」という気持ちを、男性性が「トラブルになるのはやだから」「たまたま踏まれただけで相手に悪意はないから」
などとやりすごして、“痛い思いをした“と表現することを放棄してきました。
けれど、痛いものは痛い。びっくりするし、なにより屈辱的な気持ちになります。
そういった自分の感情を、もっと大切にする必要性を感じたのです。
また、私は海外サイトから個人輸入したものをメルカリで販売しているのですが、
たまたま熱帯雨林系の某大手通販サイトを見ていたら、自分が過去に販売した商品の画像が無断で使われている商品ページを発見したことがありました。
調べたらよくあることらしく、無在庫物販の商品ページに無断で私がメルカリで出品した際の画像が転載されていました。(しかも約2倍の値段)
知恵袋で調べると、クレームを入れてもまともに相手してもらえないらしいと書かれていて、対策する手立てがないように思えました。
しかし、そこで私は同じような被害にあった人のブログにたどりつき、そのページを参考に異議申し立てを行い、
後日、無事その商品ページから無断転載されていた私の画像を削除してもらうことに成功しました。
今までの私だったら、おそらく
“面倒だから”
“ろくに対処してもらえないらしいから”
と、行動に移すことをしなかったと思います。
それも、女性性の“腹立つ!許せん!”に、男性性がきちんと対応できた出来事でした。
自分を幸せにすると聞くと、なにか大それたことを想像してしまいますが、
自分の感覚(気持ち)を尊重し、自分の権利を侵害されないように守ることが重要な気がします。
それ、おかしくない?
間違ってない?
私の権利侵害してますけど?
すごい刃で傷つけてきてますけど?
なんであなたはそんなに平気なの?
と不愉快に感じたら、迷うことなく傷ついた女性性を守るために男性性が立ち上がる必要があります。
間違っても
トラブルになるのが嫌だから
穏便にすませたいから
我慢するのが大人
嫌われたくないから
自分が悪いから
と女性性で感じたことを男性性がないがしろにしてしまうと、当然のことながらメンタルのバランスは崩れてしまいます。
男性性は、女性性の望みや願いを叶えるために存在しています。
自分の感覚を信じて、それを実行に移していいのです。
我慢してまでまわりに合わせる必要はありません。
私たちは守られて当然の存在だし、そもそも本来は一人ひとりが自分から愛されている存在なのです。
本来人は生まれながらに自分を愛することができているのですが、家庭環境や社会の影響で、女性性と男性性のバランスが偏ってしまうことがあります。
気づけば過去の私のように、自分の中の男性性が女性性を抑圧し、“自己内DV”のような状態になってしまうこともあります。
まずは、簡単なことでいいんです。
あのとき寂しかった、悲しかったと思ったら、
寂しかったね、悲しかったねと、寄り添ってあげる。まずは、それだけでもいいんです。
おいしいチョコが食べたいと思ったら、多少値段が高くても買ってあげる。
興味がわいたら、満足するまでお金と時間をかけてあげる。
また、服や日用品など、肌触りの違和感や使い勝手が悪いなどの不快感があるのに、
“高かったから”、“もったいないから”などと、自分の感覚を無視して無理に使おうとするのはやめる。
“変に思われるから”、“怪しまれたくないから”などという理由で、自分の欲求を打ち消すこともやめる。
つまり、
自分<お金、他人の評価
をやめて、
自分の中の
あ~嬉しい
あ~楽しい
を何よりも誰よりも最優先する。
過去記事でも引用しましたが、性別関係なく私たちの女性性は、本来は“弁天様”なのです。
とあるように、女性性は本来“女神”なのです。
女神をないがしろにしたら鬼婆になる。私のように、恨めしや~と夢に出てくるかもしれません。
しかし、きちんと向き合ってあげれば、鬼婆は美しく豊かな弁天様になるのです。
どうか、あなたの中の感覚(気持ち)を一番に大事に考え、あなたの女性性を誰よりも何よりも思いっきり愛してあげてください。
🎁おまけ
これこそ女性性と男性性の理想的なモデルだ!と思った動画を最後にご紹介します。
それがこちら。
ぼる塾の田辺さんは生粋の亀梨さんファンなのですが、この2人のやりとりが見ていてまぁ癒されるし、可愛いんです。
田辺さんは推しに会えてキラキラしているし、亀梨さんも飾らず自然体で、何より田辺さんと話していて嬉しそうなのです。
コメント欄に、“アイドルは愛されている瞬間が一番輝く”的なことが書かれていて、たくさんのいいねがついていたのですが、
私はこれこそ、女性性と男性性の理想の姿だと感じました。
田辺さんが動画の中で言っていた、
というセリフを、勝手ながら自分の男性性が女性性に対して言えたらどんなに幸せだろうかと考えてしまいました。
自分の中の男性性が自分の中の女性性の一番のファンになれたら、きっとどんな夢だって叶えていけるんだろうと思います。
ということで、無条件に愛されるアイドル(女性性)と一途に愛を捧げるファン(男性性)像を自分の中に取り込んで、
完全な男性性と女性性の相思相愛を目指していこうと思います😊💓
ここまでお読みいただき、ありがとうございました🍀
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