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自分の中に居場所を作るにはどうすればいいか


よく、生きづらさを感じたときの対策として、

“自分の中に居場所を作りましょう”

という言葉を聞きます。

そこで、『はて、自分の中に居場所を作るとは?』と思ってしまいます。

言っていることはわかるんだけど、自分の中に居場所ってどうやって作るの?

そもそも自分の中に居場所を作るって、どういう意味?


ということで今回は、私が思う自分の中に居場所を作る方法について、書いていきたいと思います。

自己否定の起源は親の“内在化”だった

私が抱えていた生きづらさを振り返ってみると、それはズバリ“自分嫌い”でした。

学生時代の私は、容姿から内面からとにかく自分のことが嫌いで嫌いで仕方なく、

ずっと自分で自分を見下した精神状態でいました。

自分を愛していないということは、(中略)大きい人が小さい人に対して、「あんたなんかダメ。あんたなんか生きる価値ないのよ」と、厳しい批判や否定的なものばかり向けている状態と言えるでしょう。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用

しかし、人間は本来、このような状態で生まれてくるはずはありません。自分自身を愛するということは、何も特別に訓練して獲得されるものではなく、生まれながらに出来ているはずのことです。それを、何かが歪めてしまっただけなのです。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用

どうして人は自分嫌いに陥ってしまうのでしょう。

生まれながらに出来ている自分を愛するということが、何によって歪められてしまうのでしょうか。

そこには、こうあります。

幼い子どもにとって、親は絶対的存在です。ですから、ほぼ神に等しい存在です。子どもからすれば、神である親が自分に向けてくることに、間違いや気まぐれがあるはずがありません、、、、、、、、、、、、、、、、、、、。親が自分に対して力による支配を行っていれば、それはそっくりモデリング(模倣)され、内在化されます。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用


私は、自分嫌いで自己肯定感の低い両親に育てられました。

自分が嫌いな人は、他人も嫌いです。自分の中の嫌いな部分を、他人に見出してしまうからです。

自分自身が火事のようなものなので、他人の火事を消したり防いだりする余裕がないのです。

そうやって否定されて育てられたことによって、私は自分が自分を否定してしまうようになりました。


自分が“敵”であるほどこの世で苦しいことはない

生きづらさの根源には、自分嫌いがありました。

自分が自分の“敵”なのです。

なにかうまくいかないことがあると

  • いつも失敗ばっかり

  • たまにはちゃんとやれないの?

  • なんでそんなこともできないの?

と、自分を責める言葉が流れるように出てきてしまい、

うまくいったとしても

  • たまたまに決まってる

  • これは何かの間違いだ

  • 自分の思い違いだ

と自己否定してしまい、なかなか負のループから抜け出せません。

自分が頑張って何かを成し遂げて、自分自身という世界で一番近い存在と喜びを分かち合いたいのに、

できて当たり前
そんなんで満足しちゃだめ

と否定され、

自分が何かうまくいかなくて落ち込んでしまったときも、

あんたが悪い
もっと頑張らないとダメ

とさらに追い詰めてきます。

こんな状態では、精神疾患を抱えてしまうのも頷けます。

事実私は、鬱っぽくなってしまったり、パーソナリティ障害に近いものを抱えてしまっていました。

また、これまでパニック障害や社交不安障害を経験してきました。

自分が“敵”になってしまうと、それだけ深刻な弊害があるのです。

この世で最も罪深いことは、自分を嫌いになってしまうことではないかとさえ私は思っています。

自分で自分を傷つける行為ほど、悲しいことはありません。

自分を嫌うということは、世界で一番大事な存在である自分自身の尊厳を踏みにじり、裏切る行為なのです。


自分の中に居場所を作るとは

私は、自分嫌いの反対が、自分の中に居場所を作ることだと思っています。

自分が自分として生きていて心地いい。

できない自分も弱い自分もまるごと全部受け止められていて、そんな自分に満足している状態。

例え人前で恥をかいても
人から評価されなくても
自分の感情がコントロールできなくても

それが私なのだ、と胸をはって堂々としていられる。

それはまるで、ふわふわの雲の上にいるような安心感があります。


だから、例えば失敗したときなどは

どうして失敗したんだろうね?と、自分の中で作戦会議が始まる。

あくまでも、できなかったことよりもできたことに目を向け、

次はこうしてみようか、と前向きに再チャレンジしようと思える。

また、あまりにも落ち込んでしまったときには、

うんうん、つらいよね。だってこれまでにたくさんつらい経験をしてきたんだから。

と自分に寄り添うことができる。

間違っても、落ち込んでいる自分を罵倒したり、傷つけたりすることはありません。

反省することはあっても、決して自分を否定せず、

よしよし、よくがんばったね。えらいね。

と、いつでもどんなときでも自分を迎え入れてあげることができる。

それが、自分の中に居場所を作ることであり、

私たちが本来あるべき、生まれたままの姿なのではないかと思います。


失敗を“罪”や“悪”ととらえない

では、どうすれば自分の中に居場所を作ることができるのでしょうか。

私自身が長い間、本当に長い間かけて一つわかったことは、

失敗を“罪”や“悪”ととらえない、ということです。


私は転職経験が3回あり、今現在無職です。

大学卒業後は、5年間ひきこもっていました。

はたからみたら、転職回数が多いこともひきこもっていたことも今の状況も、マイナスに思えてしまいます。

けれど、自分の中で失敗したなと思うことでも、当時の自分はそれなりに頑張っていたのです。

私はサークルにも入らずぼっちで過ごしていた大学時代、心理相談室を利用したり、バイトをしたり他大学のサークルに参加したりして、

自分なりに社会と接点を持とうとしていました。

結果的にひきこもりになってしまいましたが、当時は自分なりにもがいていたのです。

転職回数が多いことも、それだけ“前向き”にいろいろなことに挑戦してきた、と言い換えることができます。

そして無職になってしまった今、自分はどうして働けないのか自分なりに考え向き合おうとしています。

結果的にはうまくいかなかったことでも、そこに至るまでにはちゃんと自分なりに努力しているのです。

ここで、自分は努力なんてしていない…と思われるかもしれませんが、失敗や挫折にはかならず正当な・・・理由があります。

一見非常識で逸脱した行動のようでも、それは結果的に自分を守るためだったり、本当の自分の気持ちに気づくためだったりします。

もちろん、自分は十分なことをしてきたと言うつもりはありませんが、

自分の中でうまくいかなかったことだけを切り取って、“罪”や“悪”と決めつけてしまうことは、

“あんたは無能で用なしだからいらない”

と、自分を自分の心から締め出すことになってしまいます。

それよりも、


頑張ったんだけど、うまくいかなかったんだよね。

つらかったね。悲しかったね。

少しずつゆっくりでいいから、できることを一緒に考えて行こう。

次はきっと、もっとうまくできるよ。


と、失敗や挫折をただネガティブなものとしてとらえるのではなく、

自分をより理解し、よりよい人生を送るためのヒントとしてとらえることが、自分の中に居場所を作ることだと私は思います。


自分の中の飢餓感に気づく

また、自分の中の飢餓感に気づくことも、自分の中に居場所を作る上で重要だと感じます。

人は、欠けたものに対して取り戻そうとする心理が働きます。

満たされなかった欲望を、他で埋めようとするのです。

適切な愛情をもらえないまま育ってしまった人は、別の人や物や場所などから、本来得られなかった愛情をもらおうとしてしまうのです。

これは、なにより自分自身に当てはめて言うことができます。

私は、癒されたいという願望から福祉の現場で働いていました。

しかし、人から優しくされたい、癒されたいという思いが強すぎて、うまくいきませんでした。

(※↓詳しくは以下の記事をどうぞ)

自分が抱えている飢餓感は、きちんと自分で気づいてあげないといけません。

そうでないと、探し物がわからないのにいつまでもうろうろと探し回っているような、無駄で無意味な状態になってしまいます。

傷が深すぎて動けずにいる自分に、動け動け!と鞭を打っても意味がないのです。



自分の中の飢餓感に気づくには、相当の勇気がいります。

なぜなら自分の中の飢餓感に気づくということは、“自分は弱い人間に過ぎない”という事実を突きつけられることになるからです。

自分には何の落ち度もないのに、“あなたの負け”と、否応なしに判定されたような気になってしまうのです。

けれども、その耐え難い屈辱感を乗り越えた先には、もっとずっと幸せな未来が待っているのです。


おわりに

ここまでいろいろと書いてきてなんですが、正直に言うと自分自身がまだ十分に自分の中に居場所を作れていないなぁと思います。

未だに自分を責めてしまったり、思うようにいかない日々に焦りや苛立ちを覚えてしまいます。

けれど、三歩進んで二歩下がるのように、少しずつでも自分の中にありのままの自分がいられるスペースが増えていけば、

これ以上ないくらいの安心感を自分にもたらしてくれる居場所が、自分の中にできるのではないかと思っています。




上記で引用した本の著者である泉谷閑示氏によると、

自己愛の問題を抱えた人は、“生まれつき感性が敏感で思考力の高い人が多い印象があります”とした上で、こう綴っています。

セラピーが進んでいくにつれて、その人が人並みはずれた高い能力やエネルギーの持ち主であることが見えてきて、最終的にはその能力が本人によって尊重され生かされるようになり、「普通」とは一味違った充実した人生を切り開いていくようになることもしばしばあります。

泉谷閑示著「『普通がいい』という病」より引用


自己愛の問題を抱えた人は、本来まじめで優しく自分やまわりを大切にできる人だと私は思っています。

けれど、まじめで優しいぶん、自分をないがしろにしてしまうところがあるのです。

感性が敏感で思考力が高いゆえに、いろいろなものを背負ってしまうのです。

そのぶん、きちんと自分の中で自分を認め、自分で自分に愛を注ぐことができたら、

人一倍そのパワーを発揮して「普通」を越えた次元で、自分やまわりの人を幸せにすることができると、私は思っています。




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