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政治ではなく正義なのだ

いきなりステーキ並みに前菜を無視し、直球でメインディッシュに進めさせて頂く。
なんのこっちゃ…
で、改めてマーティン・スコセッシ監督『タクシードライバー』を鑑賞した。


若い頃に観た時は、率直に主人公トラヴィス(ロバート・デ・ニーロ)は「狂気」そのものだと思った。
次に三十代が過ぎ、四十代を迎える年に改めて鑑賞した感想は、「狂気」の次に「理不尽」とう文字が加わった。
その理由を述べると、トラヴィスは海兵隊を除隊した後、不眠症に悩まされ昼夜に振り回されない様に、真夜中を流すタクシードライバーとして勤務する。

特に夜の街は欲望のままに蠢(うごめ)く人間ばかりを観察できる。
昼とは違い売春婦、麻薬、多様性の人々、ポン引きなど、正義という視点で捉えるとトラヴィスはどれも不要の産物としか映らなかった。

丁度そのころ、次なる大統領を決める選挙運動が盛んであった。
おおよその有権者は候補者であるパランタインを支持する。
そのパランタインの選挙活動を支持する事務所に勤務するベッツィ(シビル・シェパード)をトラヴィスは意識する。


やがて二人はデートをするが、トラビスがベッツィーをエスコートした場所は映画館だ。
しかも映画の内容はポルノ映画だ。
戸惑いながらもベッツィーはトラヴィスに従う。
だが、激しい描写が続くのが耐えられないベッツィーは席を立ち映画館を出る。

ここまで話すとトラヴィスは自身の身勝手な行動、即ちベッツィーからの視点で考えると「理不尽」さ、または「傲慢」さが浮き彫りとなる。
当然ながら、最後まで鑑賞した上での結論である。

で、で、つい最近鑑賞した新たな感想はというと、当初はトラヴィスの謝った正義感というか、偏った正義感が示す不条理が続く物語であると解釈した。


何度も観ていたせいか、細かな物語を追わない代わりに人物像の在り方を観察する。
そして気付いた点が、マーティン・スコセッシ監督が伝えたかった埋もれたテーマを掘り出してしまったのだ。
それは「孤独」という点だ。

確かにここまで話すとあまりにも抽象的な表現で理解に苦しむ方々もおられる事であろう。
そう、安易に急がずに順序を追ってお付き合い頂くと幸いである。


客を降ろした後に少女が乗り込み助けを求めるかの様に、「早く出して!」とトラヴィスに対しか弱い声で訴る。
すると男が割って入る。
その男は少女を引き釣り出し、トラヴィスに何もなかった様に装い、「取って置きな…」と言わんばかりに皺くちゃの紙幣をトラヴィスの膝下に投げ込む。

社会にとって一瞬の出来事だったのだが、トラヴィスにとって一瞬ではなく真の日常として受け止める。

それ以降、トラヴィスは今まで経験をした事がない感情に左右される。

偶然を装いトラヴィスはあの時の少女と接触をする。
その前にポン引きであるスポーツという男を通さなくてはならなかった。

トラヴィスは少女は幼いながらも売春婦である事は理解していた。
それらを承知していたトラヴィスは売春婦を買う目的で接したと思わせ、実は少女と向き合おうとしていたのだ。

いずれにせよ少女と密接に近づくには、ポン引きの他にホテルの窓口にいる男を通し料金を支払わなくてはならなかった。
少女と遊ぶ時間により価格が異なるなどと細かな説明を受け、トラヴィスは承知すると少女と共に怪しげな部屋に案内される。

少女の名はアイリス(ジョディ・フォスター)。
家出をした後、スポーツと出会い売春婦としての稼業に徹していると明かす。
実年齢が13歳であると知ったトラヴィスは間違っていると感じる。
少女がではなく、ポン引きでもない。
率直に社会が歪んでいる事が許せなかったのだ。

この事が引き金となった訳ではないが、先ほど話に出たベッティーに嫌われた事はトラヴィスにとって痛い経験となるが、最も嫌悪感を覚えた事が、ベッツィーが次期大統領として支持するパランタインの矛盾と思える存在であった。

ベッツィーと会わなくなり、トラヴィスは偶然にもパラタインと出会う。
それはトラヴィスが運転するタクシー内だ。


トラヴィスはパラタインを支持していると告げると、喜ぶパラタインはトラヴィスに対し理想的な政策を訊く。
だが政治的な関心のないトラヴィスは率直に街を美化して欲しいと言う。
具体的に述べると、街中は汚れた人間で汚染されている。
できる事なら、どの様な手段を使おうとも一掃して欲しいと伝える。
しかしパラタインはトラヴィスの考えは時間を要し、そう簡単に物事は進まないと答える。
明確な案のない政策に対し失望したトラヴィスは自らが「政治」となり事実を訴えようと考える。

肉体を鍛え武器を用意し、パラタインを抹殺しようと計画する。


いざ、パラタインを支持する集会に出向いたトラヴィスだが、用意周到に計画したものが誤算となる。


失態を味わったトラヴィスは次なるターゲットを変える。

アイリスはポン引きであるスポーツに言われるがままに顧客を相手にする様に命じられる。
そしてトラヴィスは行動へと移す。




単純にトラヴィスは正義に従ったまでだ。

その後、激しい銃撃戦と生なしい描写が続く。

本来であれば、この様な作品であるとヌーヴェル・ヴァーグを彷彿とさせる最後が出来上がる。
例えるならば、全てが無惨な状態で終わる…とか。
だが、この作品は最後までのエピローグまで用意されている。


結果的に全ての人物が孤独なのだ。
主人公のトラヴィス然り、アイリスもベッツィーもパラタインもが。
孤独が連鎖し、それぞれの動きが不条理と化し、結果的に「お節介」へと繋がる内容なのだと改めて感じた。

そうそう、最後のシーンでトラヴィスとベッツィーがさ…

わーお!
ネタバレはご法度だな♪


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