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3Dプリンターは生き物なのか―「明日、機械がヒトになる」

 創作している時には創作を読めないし、なんなら創作じゃない本も読めない。一時的なスランプというよりは年中スランプ――ということはスランプではないのだが――、もとい、心身の不調で書けないので、とにかく排出・筋トレの為のnoteと、読書をしている。書けないなら読む。浴びるように。

 2016年刊行。子供のために科学っぽい施設に行ったとき、そこに貼られていた電力会社のポスターで紹介されていた本だ。

 生物の定義の一つとして、自己複製できるというものがあるが、3Dプリンターが自分の交換用部品を生成したら、それは自己複製なのか。RepRapという3Dプリンターのプロジェクトがある。3Dプリンターで3Dプリンターを作ると、同じものが作れないそうだ。全く元のままのプリンターではなく、改良が加えられたものが生まれる。これまで「生物」と言っていたものと、3Dプリンターの境目は曖昧だ。

 また、AIロボットのプログラムと、人間の心の違いについて。

 アンドロイド研究で有名な石黒浩氏は、「人の気持ちを考えなさい」が分からなかったという。「人」も「気持ち」も「考える」も何一つ分からない。心とか体とか、本当は分からない問題に、テキトーな折り合いをつけてわかったふりをするのが大人だ、というカズオ・イシグロの小説の一節を引用する。分かる。そんなに人の気持ちを皆理解しているの? しているわけなくない? と思う。だって見えないんだもん。自分の気持ちですら、どこにあるか分からないことがあるのに。自分が空気読めないとかそういうことじゃなく。

 会議に同席したアンドロイドが、ふっと「これってどういうことですか?」と言う。ドキッとする。これは前もって自分がプログラミングしたことだと我に返る。自分の隣にいる、生身の人間が言う、「これってどういうことですか?」と、アンドロイドのそれは、どこが違うのか。私達はただ、生身の人間に心があると推定しているから、心があると思っているに過ぎないのではないか。心の定義ってなんなんだろうか。人間の定義とは。

 科学と文学は、どこかで接続してしまう。

 そういう話のオンパレードで、とにかく脳のスイッチを押されまくっている。すぐに読み終わりたくなくて、ちまちま読んでいる。新品があるなら買うのに。入手できなくなるのは嫌だから、著者にも取材対象にも還元されないなと思いつつ、取り急ぎ中古本を買った。今手元にあるのは図書館の本なのだ。kindleは持ってないし、絶対紙の本で欲しかった。お願い、再販してください。

 ところで、海猫沢めろん氏の著者近影が、髪型のせいかまるで女性のようで、思わずWikiで性別を確認してしまった。そういうところでも、なんだか枠を外されるような経験をさせてもらっている。

 これが自分だ、と思っている何かの枠が、この本でちょっと外せると面白いかもしれないなと思う。自分の中で動いているプログラムをアップデートするかのように。


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