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【外的評価と内的評価を統合する】

今日は『外的評価と内的評価を統合する』
についてお伝えしていきます。

人は何かしらの基準に基づいて
価値を判断をしています。

その基準が「外的評価」
もしくは「内的評価」
呼ばれるものです。


外的評価とは
他者、数字、データ等
外部の評価基準によって
自分の価値を決める事
です。

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反対に内的評価とは
自分の満足度や達成度によって
主観的に決める価値の事
です。

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どちらかに優劣があるのではなく
相対的に評価基準が存在する
という事だけです。

ただ自分が想像している以上に
外的評価を気にしすぎています。

例えるなら

会社で同期より成績が悪い

俳優のように魅力的ではない

大富豪みたいに富を築けていない

etc

周りと比較してどうかに
執着している状態です。


恐らく「カッコ悪い」と
認識している状況は
殆ど外的評価に
よるものです。

こと日本においては
常識、世間体、学校教育等
集団組織が強いこともあり

周囲の目を気にしやすい
風潮が見られます。
注)全てがそうではありません。


社会や世論が提唱していて
お墨付きや権威性があるので
間違いないと信じ込むのも
無理はありません。

私もある程度信じていました。

ロバート・B・チャルディーニ氏の著書
「影響力の武器」である
「社会的証明」「権威性」
どっぷり浸かっています。

ものすごく悪く例えると
供給側は洗脳支配として扱い
需要側はカモ・餌食にされています。


しかし、昨今の感染症や歴史問題に
おかしな矛盾点が多々表れています。

ここでその真偽はしませんが
外的評価を鵜呑みにするあまり
疑問視する事が
失われているのです。


「メディアやお偉い専門家が
 伝えているから絶対に正しい!」

「公的機関が嘘をつくはずがない!」

「黙って言う通りにしているほうが
 確実にかつ安全に保障される!」


是非はともかく
自分で見聞きして
確認もしないのに
即信用できるのでしょうか?

冷静に客観視すると
不思議で仕方ないです。

信じ込む理由としては
同調圧力が強くなるゆえに
周囲から村八分にされる
恐怖心があると思われます。


外的評価を否定しているのではなく
メタ認知する事が必要です。

内的評価とのバランス加減です。

内的評価も行き過ぎると
単なる自己満足を強引に
主張する事に偏りやすいです。


自信を持つ事は重要ですが
節度をわきまえる事です。

自信の落とし穴として
「過信」「慢心」「傲慢」
があります。

『盲点を洗い出す』参照


「過信」とは自分に対して
自信を持ちすぎている状態です。


「慢心」とは他人に対して
自分自身を自慢したい状態です。


「傲慢」とはおごり高ぶって
人をあなどり、見下して
礼儀を欠く態度です。


3つの落とし穴に
陥らないように
外的評価を活かします。

他者と比較競争するのではなく
自分軸をしっかりと保ちつつ
客観的、鳥瞰的に俯瞰するための
参考材料とします。


自分の認識や価値観を
アップデート
していくのです。

弁証法的に言えば
外的評価と内的評価を統合し
調和の取れたバランス感覚を
養っていく事です。


評価も自分がどう扱うかで
大きく変わってきます。

いつまでも流されて生きていくのか
主体性を持って生きていくかは
自分で自由に決められます。

他者や周囲を尊重しつつ
自分の軸はブレずに保ち
人生を歩んでいきましょう。

今日も読んでくださって
ありがとうございます。

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