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卒業生と振り返るイー・エージェンシーの歴史 Vol.1 三田村 忍さん

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イー・エージェンシーは、1999年の創業からこれまで、数多くの仲間に支えられてきました。仲間と一緒にいくつもの成功や失敗、その喜びや苦労を積み重ねて今日まで成長してくることができました。そこで、過去に在籍していた人たちとともに当時を振り返り、そうした歴史の先に今のイー・エージェンシーがあることを再認識しつつ、今後の活動に繋げていきたいと思っています。
 
第1回目は、元取締役の三田村 忍さんに、熱気をはらんだ創業時の想い出や、2007年の中国進出の裏話などを聞きました。
 
もともとはFacebookのライブ配信で、一緒にお酒を飲みながらざっくばらんにお話をするという企画ですので、みなさんもぜひリラックスしてご覧いただけるとうれしいです。また、動画の会話だけでは意図が伝わりにくいこともありますので、記事(テキスト)もぜひお読みください。


※動画中、映像や音声が乱れる部分があります。また、動画の記事化にあたり、表現や内容をより伝わりやすく編集しています。

三田村 忍さん(現 株式会社PMA 代表取締役)
イー・エージェンシーおよびグループ会社での略歴

2000年 グループ会社(2010年統合)のドラゴンフィールド株式会社入社
2001年 イー・エージェンシー転籍
2003年 取締役就任
2007年 中国赴任
2014年 取締役退任。株式会社PMA設立


三田村さんの近況 

甲斐:三田村さんの近況はどんな感じですか?

三田村:もともとイー・エージェンシーの創業当時は新しい事業を立ち上げたり、そこから中国、シンガポール、インドネシアへの海外進出など、どちらかというとビジネスデベロップメント(事業開発)の仕事が多かったので、今はそのスキルを活かして、大手企業には新規事業創出のお手伝いをしたり、スタートアップの企業には出資を通じて成長支援したり、そんなことをずっとやってますね。
 
イー・エージェンシーにいた頃は、もともと検索エンジンを作っていたくらいですから、世の中に新しい技術やビジネスをインプリ(実装)していくような仕事を15年間一緒にやらせてもらったわけですけど、その当時と比べると、今でこそSDGsと言われるようなこともしています。
 
たとえば、僕たちが海外に進出したときに、どの国も親日的な感じで現地の人が接してくれてすごく楽しかったんですけど、翻って、日本にもアジアから多くの人が来て働いてくれていますが、当時の僕たちのように楽しいと思ってくれているかというと、ちょっとわからないところがありますよね。やっぱり、そういう人たちにも、日本に来て良かった、と思ってもらいたいので、在留外国人の生活水準向上支援を行っている企業に出資して一緒に育てていこうとしています。
 
また、精神的に病んでしまった方の社会復帰ってすごく難しいんですが、そういう人たちの社会復帰支援をしている企業にも出資したりというように、どちらかというと技術的なことよりはソーシャルイシュー(社会的な問題)に寄った企業へのお手伝いを今は多くやっていますね。
 
最近はAI、Web3やブロックチェーンといった話がそろそろビジネスになりそうなので、久々に技術寄りのことを仕掛けてもいいかな、と思いつつ、一方でどうせ同じ時間とお金を使うなら、社会的な問題に使った方がいいのかな、と思ったりもしています。

企業の社会貢献のカタチ

甲斐:その考え方はとても大事だと思ってて、何か商売になればいいや、くらいの気持ちで取り組むのではなくて、世の中の問題を解決することに紐づいたサービスを手掛けないとダメなんじゃないかな。
 
日本の経営者って、世の中良くしたいと思っている人も多くて、SDGsという言葉が無いときから、SDGs的なことを考えて経営をしてきた人が多い印象があるよ。
 
三田村:甲斐さんは、イー・エージェンシーに来てくれた人の雇用を守ることに100%コミットしようとしているので、そのスタンスで十分素晴らしいと思いますし、SDGs的なものにも通じてるんじゃないかと思います。
 
何人ものスタッフやその家族の生活を支えるというのが企業にとって一つの重要な社会貢献のかたちですし、その上で、スタッフがそれぞれいろんなかたちで自己実現していけば、さらに社会貢献につながるんじゃないかと思いますしね。
 
甲斐:もちろん世の中全体が良くなっていったらいいな、という思いはあるけど、まずは一緒に働いている仲間や家族、友達など、身近な人を良くしていきたいという思いは強いかな。
 
三田村:身近な人から幸せにしたいっていう姿勢は、当時も今もすごく共感しています。そういう仲間にも恵まれて、すごく良い環境でした。
 
甲斐:そうはいっても、当時はどんどん大変な状況になっていって、言ってることとやってることが違ったりしたんだけど、でも、その思いはすごくあったよ。

企業のカルチャーを伝える

甲斐:最近、TwitterとFacebook両方やってるんだけど、Twitterは比較的新しい人との繫がり、Facebookは古い繋がりなんで、Facebookはユーザーも増えてないし、最初はTwitterに力を入れていこうと思ってた。
 
でも、いざFacebookをやってみると、昔の繫がりがまた沸き起こってきて、それでよくよく考えたときに、この会社というのは何かというと、昔の人たちが作ってきた歴史そのものじゃないかなと。その繋がりを確認していくことが、この会社の言語化されていないカルチャーを確認していくことになるんじゃないかと思い、Facebookをやっていこうと。
 
そして、Facebookをやればやるほど、あらためて、昔、お世話になったことが甦ってくる。いまは創業当時とは、随分、事業も変わってきて、今の事業に合わせて新しい人も入ってはきているけど、こうやって仕事があるっていうのは、今の人たちももちろん頑張ってくれているけど、昔お世話になった人たちのおかげでもあるので、これを伝えていくのが大事だとほんとに思う。
 
僕は創業者だから創業時からの繫がりを全部把握してるけど、そういう立場の人間が歴史や文化を伝えていかないといけないなと。
 
三田村:イー・エージェンシーは20代から在籍していましたけど、一流化粧品メーカーが当時いちばん力を入れている最先端のプロダクトに関わったり、大手都市銀行のWebサイトを任されたりというようなお仕事もよくいただきました。自分たちが手掛けた仕事が世の中に与えるインパクトが体感できたし、その分ちゃんと会社も成長したし、自分たちの生活も当然よくなっていったし、最強に楽しかったですね。
 
20代でこういう貴重なチャレンジが経験できたのは、当時のインターネット業界ならではというか、すごくラッキーでしたし、30代になって中国に行った時も、とてもタフでしたけど本当に楽しかったです。(イー・エージェンシーは2007年に中国に進出し、翌年に現地法人を設立。)

中国進出裏話

三田村:その当時の中国は、日本の高度成長期もこうだったんじゃなかな、というくらいの熱気をはらんでいて、中国人だけではなく、現地にいる日本人も外国人も含めて全員が、明日は今日よりもきっと良くなる、と信じていました。
 
ただ、中国に渡った当初は、言葉も分からないし、日常生活でイラッとすることも多いし、本当にしんどかったです。でも、そんな頃から、たくさんの友人・知人が上海を訪問してくれましてね。みなさん数日しか滞在しないので、楽しいところ、美味しいところを選りすぐって連れて行くわけです。そうすると「中国はこんなに楽しいし、食べ物も美味しいね」って言って日本に帰っていくんです。それを聞いているうちに「あれ? ここってそんなに楽しいところだったかな?(実は楽しいところなのかもしれない!)」と思うようになってきましてね。さらに時を同じくして、現地の日本人・中国人・外国人の仲間も増え、言葉も少しずつわかるようになってきて、だんだんと現地の環境やビジネスに前のめりになっていきました。
 
甲斐:中国に行って半年くらいはくすぶっていたのは覚えてるよ。そこから何かスイッチが入って、むちゃくちゃ勉強しだして、知らない単語は全部メモに取って後で調べたり、とかやってる内に、半年後くらいには中国語で会話しだしたのは驚いた。
 
三田村:中国をはじめ、東南アジア各国には2007年から2014年くらいまで行ってたんですけど、ほんとに超楽しかった。そのおかげで、中国語も話せるようになったし、英語・中国語が出来れば、世界中の大体の人と仕事ができますからね。楽しいですよ。
 
「できなかったことができるようになる」「知らなかったことが知れる」という機会を、僕はイー・エージェンシーに入社してからずっと提供してもらえました。そういう機会って、何歳になっても自身が成長し続けるために必要なことだと思うんですよね。それに、仲間にも恵まれましたし、今、楽しく働けているベースを作ってもらった、という思いはあります。とにかく楽しかったですし、感謝しています。

創業時から変わったコト

甲斐:今は、創業時の人と人の距離感ではもうないから、社内のスタッフにお願いすることも、「そういう役割だから。そういう部署だから、この仕事をお願いする」っていう感じになっているね。
 
でも当時は、信義則”というか“情”や““思い”を中心に置きながら仕事をお願いしていたから、今の仕事のお願いする範囲よりもドバッと何歩か先までの仕事をお願いできた時代だったね。
 
今、そういうことをしたらブラックだって言われるけど、当時はお互いが支え合うような精一杯の中で仕事していたかなぁ。
 
三田村:今でもそういうステージの会社はそんな感じだと思いますよ。イー・エージェンシーの組織のフェーズはだいぶ変わっていると思いますが、手掛けているビジネス自体も、Web3.0時代になるにあたって色々変化の時を迎えるじゃないですか。そうなると、そこには新しい市場があって、チャレンジできない環境ではないですからね。
 
甲斐:今はみんな賢いから、仕事の範囲が決まっていると大体やれるんですけど、逆に、その範囲をはみ出して動くことのできない人が増えているような気がする。もちろん、どちらが良いという話ではないんだけど、枠をはみ出して動くことで、人の心を打てるんじゃないかなぁと思うんだよね。当たり前のように決まり切ったことだけをやっているだけではだめなんじゃないかなと。そうじゃないものを持っている人たちの強みみたいなものも必要かなと。
 
三田村:今はイー・エージェンシーのやってきたことに対して魅力を感じて入社してくる人が大半だと思うんですけど、当時はほとんどの人がコネというか、誰かの知り合いが入社する感じだったので、変人・変態とか言われるような人がいっぱいいましたよね(笑)。
 
甲斐:昔の人の方が動物っぽかったね。今はそういう人が入りにくくなっているのかな。おかげで、ある程度予定通り動くわけだから、どちらがいいかということではないんだけれど。
 
ただ、抽象的なものになればなるほど答えが出ないけど、答えが無いものに対して自信を持って、「こうだ!」って言えるのは、単純に仕事ができた延長にあるものではないのかな。表面的に正解を出しているだけ、ではなく、生きることにきちんと執着するとか、世界観をしっかり持ってないと、そこの答えには辿り着けないのではないかと思う。
 
三田村:当時は、明日、所持金が0円になっても何とかなるよねというくらいの限界ギリギリのところで働いていましたからね。組織のフェーズが変わってくる中で、求められる人材が変わってくるのは当然だと思います。でも一方で、そんな新しいことを始めたんだ、と驚かせてもらえるのをちょっと期待していますけどね。
 
甲斐:僕はどっちかっていうとやっぱり五感で感じることは大好きだから、うまくいかないことも大好きだし、一方で、うちの会社はやっぱりデジタルの会社なんでメタバースの方にきがちなので、そうではなくリアルな方の世界も作って、そういう会社を経営したいな。
 
三田村:「おもてなしを科学」するわけですからね。
 
甲斐:「おもてなしを科学する」はほんと見事な言葉だよね。あのコピーでこの会社に入りたいと思いましたって人も多いんだけど。じゃあこのコピーの意味はと聞かれても言語化できない人の方が多い。説明できないけど惹かれるって意味でもあのコピーはすごいなと思う。

最後に

三田村:イ-・エージェンシーで15年働いてる間、おかげでずっと超楽しかったです。本当にお世話になりました。
 
甲斐:僕もハラハラドキドキだったよ(笑)。
 
三田村:いやいや、「楽しかったです。お世話になりました」「いえいえ、こちらこそありがとうございました」の流れじゃないの? ハラハラドキドキってどういうこと?(笑)
 
でも、当時は毎日限界ギリギリのところまで働いていましたよね。いや、働いていたというか、飲みに行くのも遊びに行くのもほとんど会社の仲間でしたし、そのあたりの境界がなかったですよね。ああいうカオスな状況は楽しかったです。そんな20代を生きてきたことが、今もこうやって楽しく仕事ができていることにつながっているんだと思います。本当にお世話になりました。ありがとうございました。
 
甲斐:うん、みんな限界で生きていたよね。こちらこそどうもありがとうございました。


▼今回Facebookライブで対談を始めてみた実感を、甲斐がコラムにしていますので、ぜひご覧ください。

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