東京芸術中学に通った話 2年後
子育てにおいて、その時々で良いと思える教育機関や環境を選択してきたが、それらは子の成長にどのように影響しているのだろうか。
2021年度、娘は中学1年生の時に渋谷PARCOのGAKUで開催されている東京芸術中学に1年間通った。編集者の菅付雅信さん主催の中学生向け週1回のアートスクールで、その第1期生である。
教育の影響は長期的に調査しないとわからない。2024年の今春娘が高校生になった区切りとして、中学生生活において大いに刺激を受けた東京芸術中学修了後2年間の様子を親目線で書き留めておく。また、単発で1講義受講したのでその記録。
講義の記録 建築家の田根剛さん
2021年にはコロナで叶わなかった、パリ在住の建築家田根剛さんの講義が2022年11月に実現するということで修了生にも声を掛けてくださった。田根剛さんといえば、個人的には2014年の表参道スパイラルでのCITIZENのインスタレーション「LIGHT is TIME」が印象に残っていた。講義の日を迎える前に何か予習をということで、田根さんが空間コンセプトと設計をされたGYRE.FOODに娘を連れて行くなどして当日を迎えた。会場はいつもの渋谷PARCOのGAKUではなく、南青山のTOTOギャラリー・間にて行われ、企画展「How is Life? ― 地球と生きるためのデザイン」を見学、田根さんが展示を一点一点丁寧に説明してくださった。いわゆる建物を設計して物理的に建てるといった話とは異なり、人々が地球上でどのように暮らしていけば良いかというコンセプチュアルな話が中心で、中学生達が想像する建築家という職業へのイメージが拡張したと思う。課題はなく2回目の講義はGAKUにて、田根さんが建築家になられた経緯からはじまり、パリの仕事場のこと、エストニア国立博物館から個人住宅まで、手掛けられた建築物などについて説明してくださった。娘が通った2021年の東京芸術中学は建築ジャンルの講義がなかったので新たな視点ができたし、日本から飛び出して世界で活躍されていることも中学生達の視野を広げてくれた。田根さん設計の帝国ホテル建て替えが完成する予定の2036年、28歳の娘は何をしているだろう。
修了後も勝手に続編
東京芸術中学修了後も講師陣の活動は追いたくなる。展示もあれば本も出版され、街でテレビでネット上で、至るところで作品に出会え、改めて第一線で活躍されているクリエイターの皆様だったと実感する。修了しても、受講しないと得られなかった日々が続いていくのである。
2022年秋には武田鉄平さんの個展へ。菅付さんが代表を務められているユナイテッドヴァガボンズから画集が出版され、個展も大賑わいだった。娘が受講した翌々年から東京芸術中学の講師を務められることになった。
2023年3月、色部義昭さんの講義を受けてからずっと行きたいと思っていた、市ヶ谷の杜 本と活字館を訪れた。館内ではワークショップも開催されていて人気のため2ヶ月越しで予約、〈印刷所ツアー 文選・植字編〉に参加して活版印刷について学んだ。フォント好きの娘も興味津々で見学していた。色部さんによるアートディレクションで館内は美しく整い、居心地が良くて予想以上に長居した。
2023年秋、「宇川直宏展 FINAL MEDIA THERAPIST@DOMMUNE」が練馬区立美術館にて開催された。普段のどかな練馬があからさまにざわざわしていた。東京芸術中学の宇川直宏さんの講義で生徒達はDOMMUNEに出演させて頂いたが、展示を見て改めて大変貴重な経験だったと感じる。
同じく2023年秋、歌舞伎町の王城ビルにてChim↑Pom from Smappa!Group によるアート展「ナラッキー」へ。東京芸術中学の卯城竜太さんの講義では、中学生に現代アートをとても身近に感じさせてくれた。今回は娘の都合がつかず、私だけ歌舞伎町へ。東京芸術中学は保護者観覧も可能、大人も存分に触発されるのである。
2024年2月号の芸術新潮で会田誠さんによる「新しい美術の教科書」が特集された。現代アートに特化し、学校の教科書に載っていない重要な作品が載っていて切り口も明快である。東京芸術中学の講義でもらった会田誠さん手書きの美術史のプリントとともに、我が家の手に取れる所に置いておこう。
修了後の様子
東京芸術中学を修了して以降、ピンポイントで展示を見に行ったりはあったものの、高校受験を控えた娘は家と学校と塾のトライアングルをひたすら周回していた。単調な生活に、大切な何かが失われていく気がしながら、それでも娘の根底に息づく何かを探していた。日常生活のふとした言動に現れることこそ、娘の中に真に根を下ろした概念や感覚である。
中学2年生のある秋晴れの日に、娘は学校から帰るなりスマホを掴んで家を飛び出して行った。私は、早く早くと誘われるままに、まっすぐ伸びる坂道を駆け上がって行く制服の後ろ姿を追いかけた。娘は坂道の先に広い開けた空間があることを知っていて、丘の上でひとしきり写真を撮った。刻一刻と変化する夕暮れの瞬間を捉えたかったのだろう。学校と塾だけの平凡で忙しい日々に突然沸き立った衝動のままに走っていく姿、息苦しいほどに美しかった。東京芸術中学の瀧本幹也さんや片山真理さんの講義で写真に触れたからだろうか、数回同じようなことがあった。撮った写真を見せてもらったが、空が中心の写真ではなく電信柱や建物の影と反射する光の写真だった。
娘が音楽を聴いていて、私が「この曲好き」と言うと、娘「なぜ、どこが好き?」すかさず聞いてくる。「何となく…」と曖昧に答えると、娘「好きなものがある時は好きな理由をとことん考えろって芸中(東京芸術中学)で菅付さんが言ってた。歌詞?リズム?展開?」と会話は続いていく。「芸中だったら」と持ち掛けてくる時はいつもこんな調子である。
中学3年生のある日「今日さ、」ニヤニヤして話しかけてきた。「英語の授業中に何気なくワークノート見てたら表紙デザインgroovisionsって書いてあって1人でわーってなった。」英語のワークノートデザインがgroovisions?確かに裏表紙に小さく書いてある。これを発見してわーっとなった中学生はなかなかいないだろう。1年生の時は全体が〇〇色でモチーフの色が〇〇、2年生の時は〇〇色などと詳細に覚えている。3年生が最も好きな配色だそうだ。groovisions の伊藤弘さんはもとより、上西祐理さんの時はパッケージデザインを、矢後直規さんの時は広告デザインを、片山正通さんの時は店舗デザイン、森永邦彦さんの時は服のデザインを、色部義昭さんの時は施設のサインや様々なアートディレクションを、デザインについて考える機会が多々あった。東京芸術中学修了後、日常に潜むデザインが目に留まる。
娘は感情がすぐに顔や態度に出てわかりやすい。食事も美味しかったら勢いよく沢山食べるし、口に合わなければ淡々と食べて切り上げる。その日は口に合ったようで、よく食べた。私が、どこで買い物をして、どんな食材で、何を考えて料理をしたかをこと細かに説明すると、「その人が今ここでそれを作る意味」娘が言う。どこかで聞いた言葉。「ほら、確か卯城さんの講義の時にそう言ってた。料理もクリエイティヴでしょ?」。娘が料理をそんな風に捉えていて、作る側としてはとても嬉しかった。
あまりにも単調な受験生活、お楽しみとして2023年秋にCOLDPLAYのライブに行くことになった。バンドTシャツを発注するからデザインを選べと夫に言われた。決断力のある娘と夫は早々に決定している。私はというと、バンドは好きだけれど、ざっと見てもピンとくるものがなく、メッセージTみたいなのは趣味じゃない。暫くしてバンドのロゴがあまり好きじゃないことに気付いた。そこへすかさず娘が口出しをしてきた。「世界的なバンドだから誰にでもわかりやすいロゴなのではないか。」なるほど、ロゴのわかりやすさも世界的なバンドたらしめているのだろうか。芸中ではデザインについて考えることが多かったので、そういう話になると食いついてくる。初期から同じロゴのような気がするが、正しい正しくないは別として、妙に腹落ちした。
受験勉強中、娘は数学が最も苦手だった。寂しがり屋の娘の住処はリビングのため、何をしているか丸見え、勉強していると思ったらいつも決まって数学の問題と向き合っていた。見ていると、1問に1時間以上かけることも多く、図を懇切丁寧に描いている。美しい図が書けたときにはその美しさに惚れ惚れしながら満面の笑みで報告してくれ、また、夫と永遠に素数がどうとか数字の話を夜中まで楽しそうにしていた。数学が得意というほどにはなってはいないが、どこかに美しさを感じていたと思う。私は東京芸術中学で森田真生さんの講義を受けたことを思い出していた。数学からはじまる講義を京都の鹿ヶ谷から、Zoom越しにも純粋でキラキラした世界が伝わってきて、数学が苦手な私も興味をそそられたのだった。
将来の夢
東京芸術中学は本気でクリエイティヴ業界で闘いたい人が対象である。運営の皆様も保護者も、子供達が若いうちからその道に進んで活躍することを期待されているような雰囲気だ。我が家はというと、クリエイティヴ業界に限らずクリエイティヴィティは重要だという考えのもと、不確かな世界を生き抜くために大切なことを学ぼうということで受講を決めた。
物心ついた時から娘には具体的な将来の夢はなく、それなりの大学に入ってそれなりのところに就職して、死なないように暮らすことを希望していた。娘にとっては死なないこと、生き延びることがとても重要なのだ。進路の話も避けられない中学2年生の秋頃、もう何度も同じ質問をしていたが、将来どんな仕事をしたいかを改めて聞いてみた。娘は少し考えて、「AIにできる仕事じゃないとしたら人間にしかできないこと、クリエイティヴなことかなあ。」と答えた。AIについては石田英敬さんと渋谷慶一郎さんの講義でも触れた。その後、AIによるクリエイションなどへと会話は発展したのだが、それはさておき。芸中で作品提出に苦労したからか、クリエイティヴの世界を敬遠していた娘がここへきてはじめて「クリエイティヴなことかもしれない」と言ったのでとても驚いた。とはいえまだ明確な道が決まっておらず、選択肢を沢山持ちたいのと、誰にも文句をいわれずに安心して好きなことに没頭できる環境に進学したいそうだ。盲目的に塾と学校を行き来していたわけではなく、目的意識はあったようだ。そして、芸中修了生目線で世の中を見渡し始めた時、今まで見えなかったものが見え、将来何をするにせよクリエイティヴィティが重要だと思うようになってきたのかもしれない。
2024年春、娘は受験生活を乗り切って希望の環境を手に入れた。今となっては受験勉強よりも東京芸術中学のほうがよっぽど難しかったと言っている。受験勉強で解く問題には明確な答えがあるが、芸中の課題には答えがなく、更に錚々たる方々の前での課題発表というプレッシャーもプラスされて、それはもう大変だったそうだ。東京芸術中学で学ぶことは、日本で進学を重視した勉強をするのとは全く違う脳の使い方である。正しい知識を身につけることも重要だが、既にある正解をなぞっているだけでは新しい世界は切り拓けない。
先日、東京芸術中学の1期生と2期生が集う同窓会があった。修了生達には明確な目標があり、既にクリエイティヴな活動をしている人達も居て眩しかったようだ。久しぶりの菅付さんの言葉、刺激を受けられる機会を設けて頂いてありがたい。娘は受験勉強一辺倒の生活から開放されたものの、突然自由が手に入って手持ち無沙汰な様子だ。ぼんやりしていたら高校生活もあっという間に過ぎゆくだろう。そろそろ目を覚ます時である。菅付さんが繰り返し仰っていた言葉を胸に、家庭環境もクリエイティヴィティを刺激するように整えなおそう。
受講のすすめ
東京芸術中学のカリキュラムは正気の沙汰ではないクオリティだ。現役最前線で活躍する様々なジャンルのクリエイターを講師陣に、編集者である菅付さんが1年間を中学生向けに編集してくださり、多角的な視点を養うことができる。インプットとアウトプットの繰り返し、年間で(娘の時は)約45回の講義は超濃密なスケジュールである。本気で次世代を育てようとされているからこそ、ここまで密度高い丁寧な内容なのだ。
今年で4期目の東京芸術中学、敷居が高そうに感じるかもしれないが、中学生はまだまだとても柔軟、すぐに環境に馴染んでいく。一歩踏み出して飛び込んでみると世界が大きく広がるだろう。中学生時代、毎週土曜日の夕方に渋谷PARCOへ集い、本気でクリエイティヴと向き合うことは人生において特別な意味をもつことになる。東京芸術中学が5期、6期と継続し、多くの修了生達によって良い未来が築かれることを願っている。