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レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 〜ウィーンが生んだ若き天才〜 レポ


国立西洋美術館でのベルクグリューン展に次いで、同じく上野にある東京都美術館にて開催中のエゴン・シーレ展にも先日行ってきました!
 

夭折の天才、エゴン・シーレ…
10代から非凡な能力に秀でていた彼は、あっという間に才能を爆発させた。
そして才能は国を跨いであれよあれよと著名人達に見つかり、18歳にして初の個展を開くまでに。そのキャリアは華々しかった。
 
一方、生々しいヌード画を多く発表した彼は、猥褻画家の扱いを受け逮捕されたり作品を燃やされたりした経歴も持つ。
 
  
 
性、そして生死…
人間を、自分自身を通して見つめ続けたシーレの自画像はあまりにも有名ですが、今回あらためて彼の作品を観ていると、デッサンや風景画など、描いてきた作品の豊富さにも触れることができます。
(風景画ゾーンのみ写真撮影可でした!)
 

ゴッホやクリムトから大いなる影響を受けたシーレは、伝統的な価値観から離れた表現主義の道へ突き進み続けました。
 
 
今回の展示では、シーレの他にも同時期にウィーン分離派で活躍していたグスタフ・クリムトやオスカー・ココシュカらの作品も多数楽しめます。
 
 
 
 
私にとって、クリムトにしてもシーレにしても、どんなに煌びやかだったり、もしくは母子像などの本来は心温まるモチーフだったりしても、
どこか常に死の香りがつきまとうというか、恐ろしさを感じるのです。

今でこそ理解できる、
死を感じさせる表現こそが、生を感じさせる表現にもなるのであろう…

ですが子供の頃、私は彼らの作品が苦手でした。
 
モネやゴッホは純粋に好きだと感じたし、ムンクやピカソも少し怖いと思いつつ大丈夫だったのに

なんでかクリムトやシーレは…生理的にムズムズとした、近寄りたくない感覚を抱いていました。
 
まだ経験も感覚も幼く、良くも悪くもストレートに受け止める子供であった当時の私にとって、「死」は最も遠くて理解し難いものだったのだと思います。
だから、無意識のうちに死を強く感じさせるものを拒絶したのでしょう。
 

しかし時は経ち、私にとって死は特別なものではなくなりました。
肉親との死別を経験したり、天災やパンデミックの恐怖にさらされたり。
 
もはや拒絶はおろか、死というものを受け入れるための当然の理由を探し始めている。

  
死は、特別なものでも遠い別世界のものでも何でもない
誰にでも当たり前に訪れる、いつかは必ず受け入れなくてはならないもの。
 
そう思える理由が欲しいし、納得したいから。
それが、生を感じることに繋がり、今を愛せることに繋がるから。
 
やっと今の私は、真正面から死の香りを感じる作品と向き合える。
 
 
もしかして誰もが、こうして大人になっていくのでしょうか?
 
と同時に、私がようやく手に入れ出したこの感覚を、シーレはあの若さで表現していたのか…と衝撃も感じます。
 
 
さぁこれから、という人生の真っ只中、28歳の若さで亡くなったシーレ。
その3日前には、お腹に子を宿した妻も亡くなっています。
いずれも、スペイン風邪で…
スペイン風邪はよくコロナと引き合いに出されることが多いパンデミックですよね。
 
 
もしコロナ禍を経験していなければ、「あぁ昔は、流行り病で簡単に命を落としてしまうような大変な世の中だったんだな…」なんて
私はぼんやり遠い出来事のように考えていたのかもしれません。
 
 
シーレはどんなに無念だっただろうか。
 
彼がまだまだ表現したかったものが、きっとたくさんあったに違いない。
 
それでも、だからこそ、この少ないアーティスト人生の中でシーレが残した作品とメッセージを読み取りたい。
 
彼が芸術を通して伝えたかった哲学
 
人間とは。
性とは。
生とは。そして、死とは。
 
恐れずに見つめたその先に…
 
私の(あなたの)死生観が浮かび上がってくるのかもしれません。
 
 


 

https://www.tobikan.jp/exhibition/2022_egonschiele.html
 
 
 
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