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結局救いたいのは私自身でしかなかった
「誰か助けて、誰かここから連れ出してほしい」
そんな悲痛な叫びを胸に押し殺して過ごしている子供だった。
どれだけそう強く願っても、何回願っても、手が差し伸べられることはなく、1番辛い時ってひとりなんだな、と悟った。
救いを求めることは、誰かに期待していることなんだ。
相手のいないところに期待するだけ無駄なんだ。
1人で乗り越えていくしかないんだ。
まだ子供で無力だった私は、気持ち丸ごと心の奥
たまにどうしようもなく苦しくなることがある
愛すべき存在と暮らしている。
かけがえのない私の宝物たち。
どう考えたってこれ以上に大切な宝物には出会えない。
だけどたまに、どうしようもなく苦しくなることがある。
あなただけが足りない。
そのどうにもならない現実に、どうしようもなく、たまらなくなることがある。
だけど私は、今でも十分幸せだし満たされているんだ。
あなたがいないこと以外は、何の悔いもない。
好きなことに理由なんかいらない
同列で考えるなら、嫌いなことにも理由なんかいらない。
大人になってから、常にその理由に囚われてきた気がする。
誰かに好意を抱くのも、やってみたことのないことにチャレンジするのも、気持ちや行動の理由を探してきた。
それは、どこかで「きちんとした動機づけのできる」理由である必要があり、そこに矛盾が生じていると、どうしたものかと悩むこともあった。
なぜなら、その矛盾を解決できないと、自分の決断が「
変わりゆくものと変わらないもの
すっかり春だ。
満開になった桜の花びらが、ヒラヒラヒラヒラと通り過ぎる人の頭に降り注いでいる。
私の頭にも風が吹くたびに桜の雪が舞ってくる。
その隙間から垣間見える空は、潔きよく澄み渡り蒼い。
子供を乗せた自転車で急な登り坂を駆け上がりながら、春の短さと人生を重ね合わせてしまう。
子供を急いで預けた後に、やっと辿り着いた地下鉄のホームは、相変わらず人でごった返している。
仏頂面をした急ぎ足の女の
エレファントカシマシのこれから
前回のnoteで書いたけれど、やっぱりファンの心配を見透かすようなビッグニュースでしたね。
やっぱりエレカシの絆は強かった。
宮本浩次は自分からメンバーを切り離したり、ましてやエレカシ解散とかの選択をしないのは、これまでの経緯をみてもわかっていたし、石くん・せいちゃん・トミのみやじへの愛や敬意は、ファンにはきっと到底わからない次元のものなのだ。
彼とこれだけの長い間一緒にいられるのは、そもそもメ
ファンが感じる、宮本浩次ソロとエレファントカシマシへの想い
私は17歳の時にMステで「悲しみの果て」で衝撃を受けてエレファントカシマシを知り、20代後半にファンとして覚醒、以降30代後半まで足繁くライブに通ってきた、いわゆる、エビバデの一員だ。
レインボーツアーの時に、歌う宮本浩次を見ながらなんとも苦しい気持ちに襲われ、「私は私の道を模索しないといけない」ことに気づき、そこからエレカシ断ち・宮本浩次断ちをして、自分の人生に勤しんでいた。
そして、子供が5歳