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堕落の美が花開く時 〜NHKドラマ「STRANGER 上海の芥川龍之介」より〜

私が好きな映像作品の四大条件

1.悪人ではなく業の深い人間のドラマ
2.徹底された時代考証
3.計算し尽くされたシナリオ
4.圧倒的映像美

それら全てを満たした私的神ドラマが、この年末、レコード大賞の裏でひっそりと放送されていた。

NHKスペシャルドラマ「STRANGER 上海の芥川龍之介」

放送当日は友人宅でレコ大を観ながら酒を飲んでおり、それから約1ヶ月も録画を温めてしまったが、本日ついに鑑賞することができた。

…よかった。それはもう本当に。

まず、理路整然とした台詞と混沌としたシナリオ・映像の対比が素晴らしい。

物語の大半の台詞は松田龍平演じる芥川龍之介の独白で淡々と進むのだが、シナリオとそれに伴う映像はカオスを極めている。
自死する4年前に大阪毎日新聞の特派員として上海を訪れた芥川の紀行文「上海游記」が原案とされているが、一部芥川の短篇創作「アグニの神」が混じっており、現実と架空が入り交じって物語は進行する。

このリアリティが凄いと思う。
というのも、人間、精神が崩壊し始めると、無意識レベルでの異常思考の侵入を脳が許してしまって、明らかに日常生活に支障が出てくる。
にも関わらず、本人は自身の内面的危機を直視せず、世の中のことなんかを論理的に批判する。
そうやって、自分自身と世の中との双方から距離を置いて、この世界とのバランスを保とうとすることが、人間には往往にしてある、と思うので。

そんな風に世界とのバランスをギリギリのところで保っている芥川は、自分のことは完全に棚に上げて中国人の堕落を糾弾する。

阿片・売春・強姦・物乞い・暴行…

しかし、その堕落のひとつひとつを描き出す映像のなんと美しいことか。
この作品で堕落は常に甘美な香りを放っている。

そして、口では堕落を糾弾する芥川も、阿片の煙の充満した部屋でこっそり口もとのハンカチを外したり、物乞いに神性を感じたり、大罪人の元愛人と夜を共にしたりと、堕落の美にとりつかれていく。

その際たる象徴が、男娼ルールーである。

耳が聞こえず、口も聞けず、しかし聡明さを感じさせる美しい男娼の魅力に芥川は取り憑かれていく。
小遣いを渡したり、団欒から2人外れてひっそり筆談したり、本を買ってやったり。
その行動のひとつひとつは、芥川自身も気づいていない無意識下で、ある種の恋が芽生えていることを物語っている。

先に述べた「アグニの神」が原案となっているシーンは芥川の超自我を表している。
このシーンで芥川が救い出そうとしていた香港の少女はいつの間にか男娼ルールーに入れ替わる。

しかし、彼を救い出そうとした芥川の行動は皮肉な結末を迎える。
その経験を通じて、芥川は時代遅れで堕落していると糾弾した支那らしい野蛮な愛の示し方、
「愛するものの血を自らの身体に取り入れて共に生きる」
ことを受け入れる。

誰の言葉だったか定かでないが、
国が傾き、ひとつの時代が終わろうとするときに、文化は花開くそうだ。

芥川が訪れた100年前の中国は、眠れる獅子を起こしてみたら子猫だったという状態で、秩序を取り戻すには毛沢東らの出現を待つ必要があった。

では、現代の日本はどうか?

戦後急速な高度経済成長を遂げ、世界のNo.2に躍り出た日本だが、
IT革命に遅れを取り、GDPを中国に抜かれ、電子機器市場も韓国に奪われてしまった。
それどころか、少子高齢化ばかりが進み、政治は混沌としている。

私は決して政治にも経済にも明るくないが、それでも分かる。
この国の行末は暗い。このままでは暗すぎる。

バブル世代のおじさんたちの昔話を聞きながら、灰色のビルにこもって日付が変わるまで働く日々の中で、
小さな堕落を重ねながら、そのセンチメンタリズムを噛みしめている私は、
世の中の舵を切る力も気力も欠けたちっぽけな人間なのだと思う。

日本が消えゆく星の最後の煌めきのように堕落の美を花咲かすのか、
奇跡の復活を遂げるのか、
その瀬戸際で私たちは2020年を迎えた。

「STRANGER 上海の芥川龍之介」の見逃し配信情報は下記リンクにてまとまっています。


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