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『エモい』論 ~文学性は現代人を動かせるのか~

*これはJAAA(日本広告業協会)の第49回懸賞論文・新人の部 に応募した論文です。

0.現代人も古代人も共感する「エモい」という感情

 ここ数年、若い世代で「エモい」という言葉が流行っている。「エモい」は若者の SNS 文化を通じて波及したジャンキーなイメージの強い言葉だ。しかし、私はこの「エモい」という言葉は文学性を内包する美しい日本語であると感じる。
「エモい」は三省堂 辞書を編む人が選ぶ「今年の新語 2016」で 2 位に選ばれて以降、 確固たる社会的地位を築き上げた。その選評には次のようにある。

「エモい」は、感動・寂しさ・懐かしさなど、漠然としたいろいろな感情表現に使われ ます。古代には、これとほとんど同じ用法を持った「あはれ」ということばがありまし た。「いとあはれ」と言っていた昔の宮廷人は、今の時代に生まれたら、さしずめ「超 エモい」と表現するはずです。(1)

 言葉が有限である以上、人間には普遍的に言葉にできない感情や衝動がある。それを言 い得た一つの言葉として「エモい」は浸透していったのではないだろうか。どうやら、私たちは「エモい」を通して 1300 年前の宮廷人と同じ感情を共有しているらしい。
 さて、現代社会に目を戻すと、私たちは様々な場面で言葉にできない感情に突き動かされている。何気なく物を買ったり、人を好きになったりする時、その理由を明確に言語化できることのほうが少ないのではないだろうか。勿論、それらを言語化するのが我々広告 人の務めだが、言葉が有限である以上、言語化する際にどうしても零れ落ちてしまう感情 があるのもまた事実である。
 私は大学で 4 年間人文学を学び、文学及び諸芸術が人間の普遍的な感情を刺激してきた 事実に関心を抱いてきた。本論文では、「エモい」という感情が持つ文学性を解き明かし、 人間の普遍的感情を突き動かすコミュニケーションのエッセンスを発見したい。

1.物語がアトラクション化するとき、人々はどこで文学する?

 そもそも文学性とは何なのか。それを解き明かすために踏まえたいのが、上田久美子氏 (注1)の言う「物語のアトラクション化」である。上田氏は宝塚歌劇団座付き演出家であり、私が文学的表現の巧みなクリエイターとして尊敬して止まない人物だ。
 そんな上田氏が昨年行った講演会の内容で非常に印象的だったのが「物語のアトラクション化」である。従来の物語とアトラクション化した物語の違いを彼女は以下のように説明している。

ストーリーテーリングでは普通、主役に障害を設けてそれが解決することを観客に期待 させる。観客はなかなか主役が障害を乗り越えられない長い時間にストレスを感じてう ずうず見守り、やっと解決した時に期待が満たされ解放感を感じるようになっている。 ところがこれら最新のエンタテイメントにおける障害は障害とも言えない小さな悩みが 多く、解決するまでの時間もとても短い。小さな期待→すぐ達成→また小さな期待が現 れる→すぐ達成という細かい繰り返しが続き、ストレスの時間が少ない。最後にやっと 決着した時の感動というのはないかわりに、これらの作品は、こちらが見たいことや知 りたいことをもったいをつけず素早く展開していくテンポ感が絶妙でどのタイミングで も快感をかき立ててくる。(中略)言い換えれば、従来のエンタテイメントは、娯楽でもある程度の文学性があり、ストーリーを頭で読み解く観念的な要素が大きかった。最新のエンタテイメントからは、文学的な物語構造がなくなり、ストーリーに込められた テーマを読み取らせることよりも、断片的な『萌え』という名のリビドー刺激剤をコラ ージュして理屈でなく生理で人を興奮させる体感的なものになっている。(2)

 彼女のこの発言から、文学性の持つ二つの要素が読み取れる。
 一つ目の要素は「長い溜め→発散→余韻」という物語構造である。この余韻というカタルシス(注 2)が、先述した言葉にできない感情の一つに当たる。しかし、上田氏も指摘している通り、大きなカタルシスを生むために長いストレス期間を設けるという構造が現代人には受け入れられなくなっているのだ。
 総務省の調査によると、平成 8 年から平成 18 年までの 10 年間で人間が処理可能な情報 量は約 37 倍程度の推移である一方、人間が受け取る取捨選択可能な情報量は約 530 倍と爆発的に増加している。膨大な情報の中から本当に有益な情報のみ選択し処理の対象とす るためには、開始数秒で不要だと判断した情報はすぐにスキップして次の情報の吟味に移行していかなければならない。したがって、作品の 8 割がたを溜めに使うような旧来の文学的ストーリーテーリングでは、冒頭の時点で観客を離脱させてしまうのである。
 では、上田氏の発言から読み取れる、もう一つの文学性の要素とは何か。それは、彼女 の言葉を借りれば「ストーリーを頭で読み解く観念的な要素」である。言い換えれば、受 け手が自らのクリエイティビティを持って作品を咀嚼し意味を再構築するという能動的な 鑑賞態度を、作品側が求めるということである。そのために、作り手は直接的な表現によ って手の内を全て明かすことを避け、あえて婉曲的な表現を用いたり、想像を掻き立てる余地を残したりする。
 一つ目の「長い溜め→発散→余韻」という物語構造は、時間的拘束力を持つため現代人 に受け入れられなくなった。一方、受け手による能動的な意味の再構築を求めるという文 学的要素は時間的拘束力を持たない。この後者の文学的要素こそ、私が「エモい」に感じる文学性なのである。

2.本当に「エモい」って文学的?

 「エモい」という感情と受け手による意味の再構築という文学性は、具体的にどう結びついているのか。それを示すべく、「エモい」の火付け役となったコミュニケーションプ ラットフォームである Twitter /Instagram の中から『エモい』という単語を含むものを合 計 100 件無作為抽出し、使用される文脈毎にグルーピングを行った。その結果、「エモい」 という感情は主に以下の8タイプに分類できることが分かった。

①心象風景エモ
実体験の有無に関わらず風景に懐かしさを感じる穏やかなノスタルジー。時期、性別、媒体関わらず多くの投稿がある。

②忘れかけていた感情エモ
ある事をきっかけに過去の幼少期・青春時代に熱中していたものに対する感情を呼び覚ます強いノスタルジー。1とは違い実体験を伴うのでより熱量の高い投稿が目立つ。

③元祖音楽系エモ
「エモい」の語源であるエモーショナル・ハードコアもしくはそれに類似するジャンルのバンドの演奏から得られる高揚感。2016 年頃の Twitter で多く見受けられる。

④青春真っ盛りエモ
 現在進行形で青春を謳歌する若者のときめき。女性の投稿が多く媒体は Instagram に偏っている。グループで写っている写真と併せて投稿することが多い。

⑤オタク系エモ
マニアックな趣味に対する高揚感。誰にも理解されなくても構わないが、自分はこれで感情が高ぶるという事を潔く語る文脈で用いられる。媒体は Twitter にかなり偏っている。

⑥推しカプエモ
こちらも⑤と同じくアニメやアイドル等への愛を語る文脈で使用されるが、⑤が自分自身とコンテンツとの関わりによって得られる高揚感であるのに対し、これはコンテンツ内の 好きな虚像同士(推しのカップル)の関わりを第三者的視点から眺めて得られる高揚感を 表現している。媒体は Twitter にかなり偏っている。

⑦ポートレート系エモ
Instagram で、ストーリーを想起させる様なポートレートを投稿する際にハッシュタグとして使用する。幻想的な写真が多く、カメラマンがモデルを撮影している場合が多い。

⑧オシャレ系エモ
⑦と似ているが、被写体でストーリーを想起させるのではなく、自身がコンテンツ/作品 の一部となって世界観を作り上げるところが特徴的である。

 こうしてみると、人々が思わず「エモい」と発する文脈は実に様々であるが、その全てに共通する根源的な感情として、失われゆくものを留めたいという想いがある。①⑦⑧は カメラによって切り取られた一瞬の理想美であり、②③④は限られた時間の中でしか得ら れない高揚感であり、③⑤⑥は限られたコミュニティーの中でしか共感できない高揚感である。現実において長くは留めておけない感情や美意識を、何とか一つの投稿に込めて発信 したい。そんな想いがこれらの投稿の裏側に潜んでいる。そして、この想いが 140 字以内 の呟き、10 枚以内の写真というように、情報量の制限のある SNS に落とし込まれる際に、 必然的にそぎ落とされる。その部分が図らずも想像を掻き立てる余白となる訳である。
 そして、これらの投稿を見た人は、140 字以内の呟きからや 10 枚以内の写真から、発信者が込めた感情や、そこに至るまでのストーリー、世界観を作り上げるに至った美意識を想像して憧れや共感を抱く。まさに、受け手が自らのクリエイティビティを持って投稿を咀嚼し意味を再構築するという能動的な鑑賞態度をとり、一瞬にして「エモい」という感情を共有する。そして、「いいね」ボタンを押したり拡散したりに至るのである。これは文学で例えるならば、長編作品ではなく詩歌の鑑賞に近い。これこそが、1300 年の時を 超えて「あはれ」が「エモい」に転生したという事象なのだ。

3.「エモい」広告は記憶に溶け込む

 「エモい」投稿が個人の SNS から拡散されていくプロセスは先述した通りだが、「エモさ」は広告効果も生むのだろうか。
 広告研究の世界では、広告の中でも個人的に意義深いと解釈された一部分がテイクアウトされ長期記憶に蓄積されることが認められている。この選択性のことをクリエイティ ブ・マグニファイア効果と呼ぶ。SNS であれ、マス広告であれ、WEB 広告やダイレクトメッセージであれ、受け手が自らのクリエイティビティを持って広告クリエイティブを咀 嚼し意味を再構築する場合、それは個人的に意義深いと解釈されるに違いない。すなわち、 「エモい」広告は受け手の長期記憶に蓄積されるのである。
 私たちが広告人として意識すべきことは、プランニングの際に描き出した想いやストー リー、世界観を全て広告クリエイティブに落とし込むのではなく、あえてクリエイティブ の外側に取り残しておく勇気である。その勇気が人々の想像力を掻き立て、自らの中に意味を再構築させ、長期記憶蓄積を促すのである。
 ミロのヴィーナスは片腕を失ったからこそ人々の想像力を掻き立て、世界を魅了した。 敢えて不完全なものを世に出す。解釈を生活者に委ねる。その勇気こそ、人間の普遍的な 感情を刺激する「エモい」広告人への第一歩なのである。

●注釈
注1 上田久美子:宝塚歌劇団所属の演出家。京都大学文学部卒。2006 年入団。大劇場デ ビュー作『星逢一夜』で第 23 回読売演劇大賞・優秀演出家賞を受賞。その他、『翼ある 人々―ブラームスとクララ・シューマン』で鶴屋南北戯曲賞最終候補入り。
注 2 カタルシス:ギリシア語で「排泄」「浄化」の意。哲学と徳による魂のカタルシス を語ったプラトンの用法などもあるが,一般には悲劇の効果は恐れと憐れみによるカタル シスにありとしたアリストテレスの意味で使われる。その解釈には 2 説あり,感情を純化 するとするルネサンスからレッシングにいたる倫理的解釈と,感情のうっせきを瀉泄 (し ゃせつ) するとする解釈があるが,アリストテレス自身は『政治学』で,ある種の音楽の 効果としてヒポクラテスの医学にいう排泄と同様な意味でカタルシスを語っているところ から,後者のほうが有力。これを全芸術の効果と考えようとする試みもある。(ブリタニ カ国際大百科事典 小項目事典)

●引用
(1)三省堂,「辞書を編む人が選ぶ『今年の新語 2016』選考結果」, (https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/topic/shingo2016/2016Best10.html)2019/09/22 (2)上田久美子『, パンとサーカスの危ない時代に』京都大学未来フォーラム(2018/10/23), 講演会資料 P.14,15

●参考文献
・総務省,「平成 18 年度 情報流通センサス報告書」(2008/03) (http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/linkdata/ic_sensasu_h18.pdf),2019/09/29 ・C.フィル,S.ターンブル,森一彦,五十嵐正毅(2018),『マーケティング・コミュニケーシ ョン ―プリンシプル・ベースの考え方―』(白桃書房)
・三宅香帆「, 三宅香帆の文学レポート インスタ映えする詩人たち。世界の若者がいま『詩 集』を読む理由」(2019/02/07)(https://cakes.mu/posts/24334),2019/09/29

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