見出し画像

もしあのトラックが今また私の目の前を

とにかく蝉の泣き声がとにかくすごい。ミーン。ミーン。ミーン。蝉は何を思って泣いているんだろうとバカバカしいことを考えてみた。たまには、こんなどうでもいいバカバカしいことを考えたりするのもいいのかもしれない。

もう随分前、私が24歳の時。ちょうどmixiが流行り出した頃、オーストラリアにワーホリに行っていた。初めは、ゴールドコーストにインしてサーファーズパラダイスでひたすらstrongbowを飲んでいた。オーストラリアを一周現地ツアーで旅したりしながらワーホリを楽しんでいた。1人でなんでもできる気になっていた。どこだって行ける!なんだってできる。オーストラリアの圧倒的な自然と英語サラウディングに囲まれて半ば浮かれながらそんなことを思っていた。その後は、ケアンズに滞在して日本人の観光客が来るシーフードレストランで働いた。日本人相手の接客と言えど、一緒に働いているコたちはもちろんいろんな人種のコたちがいて、たまに外国人のオーダーも聞きに行かせてもらったりしてドキドキしながら、私は世界の中心で働いているんだってことがなんだかとても嬉しかった。なんだってできるような気がしていたし、一方ではしなかった。


あの頃は、自分の未来に少しの絶望いっぱいの期待ほんのちょっとの諦め今この瞬間の充実感。そんなものを感じていた。オーストラリアにいる。住んでいる。本当に自由なんだと感じていた。ある日、確かその日はシーフドレストランのバイトがお休みだったはず。海沿いのカフェでアイスコーヒー的なものを飲みながら全然進まない村上春樹のノルウェイの森の英語バージョンの本を読んでいた。どうせ読めないのに、進まないのにカッコつけて、そういう類の本を持っていく。そういう癖が私にはある。そしてどこにいても海沿いのカフェが私のオフィスになる私の1番好きな場所

画像1

わかっている。どうせ読めないってこと。それでも一応は目を通す。何とか3行くらい読んだらへんで、あーこの単語の意味わかんなくて、ん?だからこの文の意味がわかんない。はー。辞書で調べるのめんどくさーーーって思いながらふっと視線を前にあげると


「you can choose the color of your life」

目の前をゆっくり通り過ぎていくトラックの側面に大きくこんな言葉が。気がつくと私はそのトラックから目が離せなくなっていた。そのトラックが通り過ぎた後もずっとずっとその場所をただ眺めていた。




「あなたの人生の色はあなたが決められる」

人生の色って何だろう?どんな風に生きていたら自分の人生の色ってキレイになるんだろう。ワーホリから帰ってきた後、26歳の時オーラソーマカラーセラピストの資格を取った。色の勉強をして嫌いな色がなくなった。どんな色にも意味があって、どんな色も愛すべき愛されるべき色なんだって思えるようになった。

どんな色の人生を生きたいんだろう?

考えてみた。人生の色は自分で決められる。この世界は光なんだと思えば世界は光輝いて見える。この世界は暗闇なんだと思えば世界は暗く見える。

「ねぇあなたが決められるんだよ」

ってあのトラックが教えてくれた。どんな時も私が決めるんだ。アドラーの主体論もそうだし、7つの習慣の一つ目の習慣もこのことを言っている。あなたが決めるんだ。決めれるんだ。どんな色の人生を歩くのかを。

そんなことをぼーっと考えながら、気付いたら8月が始まってた。目黒の?港区の?品川区の?17時の音楽とセミの声。明日の原稿の用意と領収書の山、送らなきゃいけないメールとたくさんの資材、大切な人に囲まれている。今あのトラックが目の前を通ったら私はどんなことを思うだろう。そんなことをセミの声を聞きながらぼんやり考えている。セミがなんで泣くのかはもうどうでもいいと思った。






この記事が参加している募集

#習慣にしていること

130,458件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?