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嫌いな人の幸せを祈ってみることにした

発達障害を抱えている私にとって、電車に乗ることは最難関なこと。

けど自分が発達障害であることを理解する前は、そこまで難関ではなかった。

自分のストレスが電車に乗ることではないと思っていたから。

発達障害のことを勉強していき、

「ここで感覚過敏になっていたんだ」

「ああうまくそのストレスから避けなければならない」

と思い、以前よりも用心して電車に乗るようになった。

電車に乗るといろんな人に出会う。

私はヘルプマークを外出の際はつけている。

優先席を見てみると、

座っている人は、

居眠りしたり、

食べ物を食べていたり、

写真を撮っていたり、

化粧をしていたり、

優先席で驚くべきことをしている人もいる。

本来なら座るべき人が座りずらい状態になっていることが日常茶飯事だ。

例えば妊婦さんなど体調が非常に悪いのに座れない人を見かけたことがある。

優先席でのマナーを守れない人が私にとって嫌いな人だ。

けど嫌いな人をとことん嫌うのは果たしてどうだろう?

「嫌い」というレッテルを貼ってしまったので、

私はその嫌いな人の人生に責任を負えない。

けどその嫌いな人には良き運命の相手が訪れて、

その運命の相手が優先席のマナー含めその人に明らかに足りないことを言ってくれるかもしれない。

「あの人嫌い」

という感情を持ち続けることは、精神衛生上明らかによくない。

けど「あの人にとって本当に大事に思ってくれる相手と巡り合うことができますように」と

願うことができたら、不思議といい気持になれる。

「嫌だ嫌だ」は感情を押しつぶす。

けど

「幸せを祈る」

ことは心に自然と余裕が生まれる。

自分にとっての運命の相手のことを考えられる。

嫌いな人のせいで、自分の運命を逃したらもったいない。

だから私はきょうから

嫌いな人の幸せを祈ってみることにした。

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