2拠点生活のススメ|第55回|まぶたの裏に見える光の謎
毎朝の座禅で、目を閉じているとまぶたの裏に群青色の鮮やかな光が現れることがある。
窓から差し込む光が関係しているものと思っていたのだが、見える日もあれば、全く見えない日もある。また、群青から黄色の光に変化していくときもある。
すごく綺麗で印象的なので、気持ちいいぐらいにしか思っていなかったのだが、ひょっとしてこれは何か意味のあることかもと思い、ネットで検索してみた。
すると、驚いたことに出てくる出てくる。これは自分だけの現象ではないようだ。
今日のnoteは、そんなまぶたに浮かぶ謎の光について・・・。
それは丹光と呼ばれているらしい
そうした光について調べていると、どうやら「丹光」と呼ばれるものらしい。
丹光とは、人間の持つ生命エネルギーから発する光であり、色や光の見え方によって個人の能力や気質といった特徴が分かると言うのだ。オーラ的なものか・・・。
ただ誰にでも見えるというものでもない。
では、なぜ私には見える時があるのだろう?
丹光が見えるのは、リラックスしている証拠なのだとか。
どうやら、座禅によって、集中力が高くなったり、自分の内側に意識を向けられることで生まれているようだ。
では、私がよく見る群青色や黄色の光は、何を表しているのだろうか?
鮮やかな青は、直感力やひらめきが高まっているときらしい。
また黄色であれば、ポジティブな感情が湧いており、ネガティブな感情をはねのけられている状態らしい。
なるほど、コロナ禍で精神の安定を欠いているかと思っていたが、案外安定しているようだ。そうか、それは良かったな、素直に嬉しい。
金色に近い場合は、何か頑張っていることがあるなら、そのまま努力を続けるのが良いとのこと。続けているといえば、このnoteのことだろうか。何か良い出会いに繋がって行くと嬉しいな。
丹光は、心が純粋な時にしか見えない
純粋な心の塊である子供は、必ず見えるとのこと。身近にお子さんがいらっしゃったら、一度聞いてみてはどうでしょうか。
怒りで心がいっぱいの時や、不安や心配事で心がザワザワしている時には、丹光を見ることは難しく、見ようとして頑張ると、余計に見えないものらしい。
大切なのは、心が自分自身に向いていること。
どうやら、そんなに難しいことではなく、瞑想をして心を落ち着かせれば、簡単に誰でも見ることができるものらしい。
スピリチャルな話に嫌悪感を感じる方もいらっしゃるかも知れませんが、ガサツなアラ還オヤジでも見えている話ですので、一度心を静めて、まぶたの裏を見つめてみてはどうでしょうか。
暗いところで、試す方が見えやすいそうです。
光にはいろんな色があるようですし、場合によっては映像が見える人もいるそうです。何か光が見えてきたら、「丹光」で検索すると、色の意味などもたくさん出てきます。
興味のある方は、お試しあれ!
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