見出し画像

ふたりのうさぎ


はじめに

この寓話は全てが創作です。現実の世界とは一切関係ありません。
テキストは全て、当noteのURLを掲示して下さる条件で、転載や朗読等に使って頂いて構いません。印刷や製本はお断りしております。
その他はこちらの記事にまとめています。ご確認ください。


ふたりのうさぎ

序章

ある広い草原の真ん中での事です。
大きな切り株の上にふたりのうさぎが仲良く腰をかけて、のんびりと南からふく風を浴びて、
「ふわあ」
と大きなあくびをしながら、晩ごはんを何を食べようかを相談していました。
「なあエサウ、今朝見つけたニンジンは美味しかったなあ。甘いだけじゃなくてぷぅんとニンジンの香りがしてさ、あれはとってもなご馳走だったと思わないかい?」
「ヤコブもそう思ったのかい?いやぁ、あれはとかく美味しいニンジンだった。あんなに美味しいニンジンはめったに食べられるもんじゃないね。ぼくはなんたってさ、みずみずしくてしゃくしゃくとした歯ごたえがたまらなかったね。もちろん味だって、最高のニンジンだったな。」
「まったくまったくだ。近頃のニンジンときたら、なりだけ立派なのにまるで味はスカスカだ。中身のないニンジンばかり食べてたら、おれたちうさぎまで中身のないスカスカのうさぎになっちまう。なあエサウ、この草原はそろそろ限界なのかも知れないぜ。おれは思うんだ。おれたちがここでめしを食べ始めてからもう何年たつか、なんだかニンジンも草も背が低くなって、なんだか元気がなくなってきた。今朝のニンジンはこの草原で最後の美味しいニンジンだったかも知れない。どうだエサウ、おれたちふたりで新しい天国のような草原を探す旅に出ないか?」

もういつの事だったでしょうか。ふたりのうさぎはこの草原に連れられてやって来ました。パパのイサクはふたりがまだ小さなうさぎだった頃におなかをこわして天国にいってしまいました。パパが見つけてくれたこの草原は美味しい草もニンジンもいっぱいで、ふたりは何不自由なくここで暮らしていたのでした。

「そうだなあ、ぼくらのパパもどこか遠くの草原からここに引っ越してきたって言っていたよなあ。優しいパパだったな、ぼくは今もパパのことを夢に見るんだ。パパはちょっと匂いを嗅ぐだけで何でもわかる立派なうさぎだったな。ニンジンだってすぐに見つけちゃう、雨が降るのも嵐が来るのもなんでもくんくんしてわかっちゃう、ぼくらのパパは立派なパパだったね。」
エサウがパパを思い出しながら、左目からぼろっと流れた涙を手でぬぐい、ぺろっとなめた。それを見たヤコブも胸の中いるパパが懐かしくなってつい目に涙が浮かんだ。

「だからさ、ヤコブ。ぼくはこの草原で暮らしていたいんだ。パパの思い出がいっぱいあるこの草原でね。この切り株をみてごらん、ヤコブだってひとりの時は何度もここに来て、根本にあるパパの歯型を見ていたりするのは知っているんだぞ。ニンジンがいっぱいはえているニンジンの場所、四つ葉のクローバーしか生えない幸せの場所、野イチゴだってあるじゃないか。どうしてこんな素敵な草原から旅に出なければいけないんだい。」
ヤコブは切り株の根本に目を向けました。パパがふたりにかじり方を教えてくれた、ちからづよくて大きくりっぱなパパのかじりあとがしっかりと今も残っていました。たまにキノコが生えてくるので「けしからん」とヤコブはいつもそのキノコを食べてしまうのでした。

「エサウ、それはさっき話したニンジンの話だよ。ほら、今日のニンジンは本当に美味しかっただろう。でもエサウ、こんなに美味しいニンジンが見つかったのはとても久しぶりじゃないか?パパがいた頃はどのニンジンをほったって美味しくて最高のニンジンだった。もうこの草原のニンジンは美味しくなくなってしまったのかも知れない。四つ葉のクローバーだってそうだ。パパがいた頃は本当にそこのクローバーはみんな四枚の葉っぱがついていた。それが今ではどうだい?そりゃ他の場所よりはちょっとは四つ葉が多いかも知れない。でも10株に1株の四つ葉があればいいほうだ。野イチゴだって、よしてくれよエサウ。おれたちもう何日も野イチゴなんて見つけてすらいないじゃないか。おれは思うんだ。おれたちもパパみたいに旅に出て、天国みたいなすごい草原をみつける必要があるんじゃないか?」
ヤコブは身振り手振りをつけて大きな声でエサウに説明しました。

エサウはしばらく草原を眺めて考えていました。ヤコブは続けました。
「それにエサウ、大事な問題を忘れているよ。この草原にはおれたち以外のうさぎがいないじゃないか。おれたちはもう立派な大人になった。でも見てみろ。ここにはお嫁に来てくれるかわいいうさぎがいないじゃないか。パパだって言ってただろう、おれたちは大きくなったらかわいいうさぎを探しにいって結婚して、いっぱい赤ちゃんを作って幸せになるんだよって。忘れたとは言わせないぞ。」
そうです。この草原はとても不思議な場所でした。神様の祝福はたくさんあって、ふたりが暮らすには一切不都合のない場所でした。しかしここには他のうさぎがいないのです。それどころか誰ひとりいないのです。あるのは広い草原、ただそれだけでした。

「エサウ、それは確かに君の言う通りだよ。でもエサウ、考えてもみろよ。こんなにたくさんパパの思い出が詰まったこの草原を捨てるなんて、あまりにつめたくないか。それに美味しいニンジンって言ったって、ここより美味しいニンジンがある草原なんて本当にここの外にあるのかい?こんなに素敵な草原なんだ、いつかかわいいうさぎが引っ越してくる事だってなくはないじゃないか。ぼくはこの草原でそれを待つべきだと思うよ。」
エサウは大きく首を横に振って答えます。

「ヤコブ、それは違う。考えてみろ、かわいいお嫁さんがもしもらえても、おれたちはそのお嫁さんや生まれた子どもたちに、いつも食べているような美味しくないニンジンをあげるのか。そんなの能無しうさぎだ。お嫁さんだって美味しくないニンジンばかり掘ってくるおれたちを嫌いになって、子どもたちと一緒にどこかに引っ越してしまうかも知れない。最初はおれも考えたさ。ニンジンをおれたちが食べすぎたせいでニンジンが美味しくなくなったんじゃないかってね。でもそれは違うんだ。ニンジンだけじゃない、クローバーだって野イチゴにだって変化があらわれている。四つ葉のクローバーが減ってきているのは、神様からのメッセージだよ。もっと別の素敵な草原へ、もっといっぱいの幸せがある草原へ引っ越しなさいってね。」

その後ふたりは引っ越すか引っ越さないかでちょっとしたけんかになってしまいました。
もちろんいつものように仲直りをして草のベッドに入ったのですが、なんだかその夜はふたりとも落ち着かなくて、細い月が東からのぼってくるまで眠る事ができませんでした。


「うわあ、なんだこのニンジンは!」
ある日の事です。日課のニンジン堀りをしていたふたりのうさぎ。ヤコブの後ろで一所懸命ニンジンを掘っていたエサウが大きな声をあげて腰をぬかしているので、ヤコブまでびっくりして腰を抜かしてしまいました。
「なんだなんだエサウ、ニンジンがどうしたってんだい?」
「ヤコブ見てくれ、このニンジン!」
ヤコブは腰をさすりながらエサウの持っているニンジンを見ました。そしてエサウまで
「うわあ!」
と、また腰を抜かしてしまいました。
エサウが掘り出したニンジンはあちこち食い荒らされて、そしてニンジンの周りには見たこともない黒いイモムシがいっぱい。掘り出された後も夢中でニンジンを食べていました。
「気持ち悪い!そんなもの放り出せ!」
ヤコブに言われてびくっとしたエサウは、今まで掘っていた穴にニンジンを投げ込みました。ふたりは食欲もなくして「うわあ!」っとその場から走っていつもの切り株の場所へと逃げ出しました。

「はあ、はあ、ああびっくりした。ヤコブ、君はあの黒いイモムシを知っているかい。」
切り株の上に腰掛けたふたりは息をはずませながら、今までの事をいやいやながらも思い出すように話し始めました。
ヤコブはしばらく口を開きませんでしたが、息が整ってくるのを待つと、やや目を細めてエサウに話し始めました。
「ああ、もしかしたら、の話だけどな。エサウ、君は覚えていないかい。パパがここに引っ越してきた理由を話した事があったろう。」
「あの話か、もちろん覚えているさ、とても怖い話だった。パパが暮らしていた草原での話だろう。黒いあくまがやってきて、にんじんも野いちごも、根っこを持った全ての食べ物が少しずつ死んで…ママはあくまに負けて天国にいってしまったんだ…」
「そうだエサウ、黒いあくまだよ。たった今おれたちが見た気持ちがわるいい黒いイモムシこそ、黒いあくまじゃないのか?」
「なんだって!」
ふたりのうさぎはしばらくお互いの目を見つめ合い、うなずきました。あれはとても気持ちがわるい、そして恐ろしいイモムシでした。いつも大好きでお腹いっぱい食べてたニンジンがあんな姿になってしまうなんて。ふたりには今のヤコブの話がきっと間違いではない、そんな気がしていました。

「エサウ、話はかんたんだよ。ここの草原を出よう。まだ食べられるあんまり美味しくない草だってしょうがないよ、食べられる間にいっぱい持ってさ、旅に出よう。天国には行ってみたいけど、まだおれたちには早いところだよ!」
「え……ぇ……」
ヤコブがあまりに力強く言うものですから、エサウは困ってしまいました。エサウはこの草原を捨てて旅に出る事が怖くてしかたありませんでした。
「でもさ…でもさ…まだあのイモムシが黒いあくまだなんて決まったわけじゃないよ。それにさ、草原を出てすぐ嵐が来たらどうするんだい。草原を出てすぐに天国への階段が待っているかもしれないじゃないか。」
ヤコブはそこまで聞いて、今までよりもっともっと声を強くしていいました。
「エサウ、あれを見てまだそんな事が言えるのか。君だっていちもくさんに逃げて、今の今まで恐ろしくて息をととのえるのが大変だったじゃないか、おれは見ていたぞ。君だってわかってるんだ、あれが黒いあくまだって。違うかも知れないなんて言ってて、それで君はまんぞくなのか?パパは言ってたじゃないか、根っこのある生き物はみんなやられてしまったって。おれたちまで死んでしまうぞ!」
エサウはもう涙が目に浮かんできてただ両手両足の震えをなんとかおさえるので精一杯でした。
「じゃあヤコブ、ぼくたちがこの草原を出て、生きていけるという証拠が君にはあるのか!もうこの草原の周りだってもう黒いあくまにやられてしまっているかも知れないじゃないか。いや、もっとひどい状態でもうニンジンだって生えていないかも知れない。そんな所にきみは旅をしに行くっていうのかい!」
ヤコブはそれを聞くと、今までエサウに向けたことのない大きな声でこう言いました。
「おれたちが生きていける証拠なんて今ままでだってないさ!これからだってない!だから頑張って生きるんじゃないか!お前はおくびょう者だ、ひきょう者だ!もういい、おれは1人でだってこの草原を旅立って生きてみせる。」
しかし、ヤコブも怖かったのでしょう。エサウのように手足がふるえて仕方ありませんでした。そしてそのこうふんをぶつけるように、ふるえをごまかすように、二人はとっくみあいのけんかをはじめたのでした。

翌朝、まだたいようが眠そうな顔をちらりと見せたあたりの時間です。ヤコブは一晩かわかしただけの草をいっぱいもって草原を旅立とうとしていました。昨日エサウとケンカしたばかりの傷を顔につけて。
「ヤコブ、本当に行くのかい。」
隣でしょんぼり立っているエサウもまた、まぶたに大きなあざを作っていました。エサウの強い足がぶつかってしまったのでした。
「おれは行くよエサウ。なあエサウ、おれは昨日一生懸命考えたんだ。おれたちはきっとこうなる運命だったんだ。わるい運命じゃない。パパの命をおれとエサウで分けて、しっかりこの先につなぐための運命だったんだ。もしかしたらおれは旅の途中で倒れて先に天国に行くかもしれない。もしそうなったなら、旅に出なかったきみが正解だったんだ。その時はエサウ、君がなんとかお嫁さんを探して子どもをふやして、生き残ってくれ。そしてその時こそ、兄弟ヤコブはこの草原以外に生きる道がない事を証明したんだと子どもたちに話してあげてくれ。」
「ヤコブ…そんな…。」
「しかしエサウ。もしもおれが美味しいニンジンのある草原を見つけたとしたら、きっときみを迎えにくるよ。もしかしたらおれはお嫁さん探しに忙しいかも知れない。そんな時は空の鳥に頼んで葉っぱの手紙で君に伝えようじゃないか。もしそこが、その時のこの草原よりも幸せそうな場所だと思ったら、きみもおれの所に来て欲しい。そしたらそこで一緒にお嫁さんを探して、みんなでいつまでも幸せに暮らそう。」
「ヤコブ…きみはそんな事まで考えていてくれたんだね。わかった、ぼくはやっときみに大賛成できるよ。ぼくはこの草原で黒いあくまについていっぱい勉強して、いつかここで暮らせるようになってみせる。そして5年だ。5年経ってまだヤコブから便りが来なかったら、ぼくはきみを探しに旅に出よう。ヤコブ、きみがうまくいってもぼくがうまくいっても、ぼくたちは必ず助け合うために再会しよう。」
ふたりのうさぎは涙を流しながらお互いを抱きしめ、5年後の再会をやくそくしました。ヤコブは別れがあまりにも辛くて、さよならも言わずに強く抱きしめたエサウの体を突き放し、たいようの出る方向へと思いっきり走っていきました。

破章

ひとりのうさぎが大きな川のほとりに座り、お弁当の痩せたニンジンを食べていました。眺めていると川のまんなか辺りでうさぎよりも大きそうな魚がばちゃんこと跳ねています。
「あんなに大きいんじゃ、鳥さんだって食べられやしない。ああ、あの魚を捕まえてお腹をいっぱいにすることができたなら。でもどうやらおれたちうさぎは根っこのあるものしか食べられないのさ。でもまてよ、魚だって…」
彼の名はヨセフ、別の草原を探して旅に出たヤコブの子どもの中でももっともかしこくてゆうかんなうさぎでした。どんなこともすぐに勉強をして、どんなことでもすぐに出来るようになってしまうヤコブ族のリーダーでした。どんなに時だってヨセフはなんでもよく見て考え、そしてとてもかしこい答えを出すのでした。
「もう少しだな、エサウ叔父さんが暮らしているという草原は。もしも彼らが知らなければ教えてあげよう。黒いあくまは、鳥があくまを食べると、体の中にある卵が鳥のうんちと一緒に運ばれてどこか遠くの地に運ばれるようになっているんだ。黒いあくまに勝つためには、黒いあくまをいっぱい食べてくれるひな鳥がたくさんいる場所を見つければよかったんだ。でも父ちゃんは言ってたな。エサウ叔父さんは黒いあくまにやられた草原に残って勉強をしているんだって。父ちゃんはいっぱい働きすぎたからな、おなかにわるいできものができて死んでしまった。でも、でも、とっても楽しみだ。エサウ叔父さんと会って、おれは黒いあくまに勝つだけではなくこの世界をうさぎにとっての天国にしてやるんだ!昔はあったっていう美味しいニンジンだって、おれはうさぎを全員集めても食べ切れないほどいっぱいつくってやるぞ!」
まだ少し残ったニンジンをかかえると、ヨセフは川を渡る手段を探して上流へと走っていきました。

エサウの子エドムもまた、反対側から川の上流を目指すうさぎのひとりでした。
「やれやれ、くたびれた。まだかなあ、パパとお兄ちゃんたちが作ったっていう橋がある場所は。しかしとんでもない所に橋を作ってくれたもんだよ。いくら川のそばにたまたま生えていた木をみんなでかじり倒してかけた橋っていったって、水が流れてくる方向に半日も走らないといけないなんて。これじゃあ今日は川を渡ったところでお昼寝をして一日が終わってしまうじゃないか。パパはママが天国にいったら寂しくて後を追いかけていっちゃった。しかし本当に困った役目をおおせつかったもんだよ。もう何年も前に旅に出た英雄のヤコブ叔父さんを探しに行くだなんて。それも助けに行くんじゃない、もうぼくたちには結婚するお嫁さんがいないから、お嫁さんを探しにいくだなんて。しかしそれは自分のためでもあるんだ、どうだいぼくだって美人のお姉ちゃんやかわいい妹に囲まれてはいるけれども、その中の誰だって結婚相手にするわけにはいかないんだ。だからみんなのお婿さんだって探さないといけない。そうだ、ぼくの使命は重大なんだ。」
走るエドムの遥か向こうまで川は続いています。上流からのんびりと水が流れ、たえることがありません。その流れにさからってエドムは走りました。川はまるで上流に向かっていることがわからないくらい、いつまでもはばか変わる事がありません。
「おや、あれかな?」
エドムの走る先に、川に倒れて横たわった大きな木が見えてきました。橋です。
「やあやあ、これで向こう岸に行けるわけだ。さあ、ヤコブ叔父さんは元気かな。」

出会う事ができたヨセフとエドムは、お互いの群れかわいいうさぎに選ばれて結婚し、子どもをたくさんつくりました。
うさぎたちは黒いあくまを食べてくれる歌う鳥たちをいっぱいつれてきて、いつしかこの辺り一帯からは黒いあくまがいなくなったのでした。

うさぎたちはどんどんと数をふやし、ヨセフとエドムはうさぎの王様になりました。そしてお互いにパパとママにいっぱい感謝をしながら、幸せに天国に旅立っていきました。

急章

「それっ!もう少しだ!みんなかじれかじれ!」
川の上流にかけられた橋の周りでの事です。
うさぎたちがたくさん、頭に草のはちまきを巻いて集まっていました。
「さあー!もう少しだ!がんばってかじるんだ!」
橋としてずっと使っていた木をみんなでかじって落としてしまおうとしています。橋の上にはひとりの大きなうさぎが頑張って立ち上がり、歌う鳥を肩にのせて、鳥からもらった古い羽のうちわを振り回して音頭をとっているのでした。
一度に10人のうさぎが木をかじり、疲れたらすぐ後ろにいるうさぎと交代しては代わる代わる歯医者さんウサギの所に行って、歯が痛くなくなる草の汁をぬってもらうのでした。

「なあお隣さん、おらたちなんでこんなにがんばって橋を落としてるんだい?おらはなんも知らないけど美味しいニンジンが配られてるっていうから来たんだべ。でもこんな大事な橋を落としちゃっていいんだべ?」
「え?あなたはどっちのうさぎさんなの?そんな事も知らないでこの橋を落とそうとしているの?おどろいたなあ、こんなのん気なうさぎもいるんだ。」
「いんやあ、おらたちはヤコブ族だけどんな、ヤコブ草原の一番南のあったかーいところでな、家族でのーんびり過ごしてただけのうさぎなんだあ。たまたまこの付近のともだちと歌でも歌うんべと思ってこの辺を歩いてたら迷子になっちまってな、そしたらあのかっこいい偉いうさぎに付いていけばニンジンがもらえるって聞いてな、おなかも減ったからきてみただけなんだあ。」
「あらあ、ずいぶんのん気に暮らしているうさぎがいたのねえ。じゃあよく聞いておきなさい。わたしたちはエサウ族のうさぎがもうひとりだってヤコブ草原に入ってこれないようにするために、こうして橋を落とそうとしているのよ。ほら見てごらんなさい、川の向こうで大声で反対反対と言っているうさぎたち。あれがずるくてひきょうなエサウ族のうさぎよ。」
「えええ!それは本当かい美人のうさぎさん。エサウ族がずるくてひきょうだなんて、おらそんな事いちども聞いたことなんかないだよ。」
「もちろん本当よ。そもそもエサウ族の最長老エサウはね、わたしたちの最長老のヤコブがゆうかんにも旅立とうっていう時に何の協力もせず、自分だけ情けなくエサウ草原で生き残っていただけのうさぎ族なの。それなのによ、今ではエサウがヤコブ長老よりお兄さんだったってだけでいばりちらして、ニンジンだってお勉強だってなんでも盗んでいくの。ほんとうにひきょうなうさぎよ。」

大きな木の橋ではありましたが、うさぎたちが一斉にかじるものですから少しずつかたむき始めていました。それでもうさぎたちは止める気配を見せません。がんばれー!がんばれー!と周りのうさぎたちが応援を続けます。もう彼らを止める事はできないのでしょうか。
そして、間もなく橋は川に落ちようという時です。
大きくバキっと音がして橋が傾くと、上に乗っていた大きなうさぎはバランスを崩し、そのまま川へと落っこちてしまいました。
運のわるい事に、そこへ橋が
めしめしめしぃっ!
と音を立てて落ちていきました。大きなうさぎは川に落ちただけでなく橋に強く頭をうって、そのまま天国へと旅立っていきました。

「隊長ー!」
うさぎたちは何もできず、ただ大きなうさぎのなきがらから血が流れ、そしてそのままの姿で下流に流されていくのを泣き叫びながら見守るしかありませんでした。
するとその時です。
「やーい!ヤコブ族のおくびょううさぎたち!ざまあみろ、こんなわるい事をするから神様のバチがあたったんだ!」
エサウ側の岸の若いうさぎの声が悲しむヤコブ側のうさぎたちに聞こえました。
「なんだと!」
ヤコブ側のうさぎたちは怒りました。出せる限りの声を出してエサウ側に怒りの声をあげました。
そしてその時です。大きなうさぎの息子が
「よし、おれが退治してやる!」
と、落ちている石を拾うと大きく腕をふってエサウ側で最初に叫んだうさぎへと投げつけました。

石は真っ赤に染まりました。そして石とともに、真っ赤な涙を流したうさぎがまたひとり、天国へと旅立ちました。

うさぎたちはもう止まらなくなりました。
お互いに広場に集まると
「ゆるせない!」
「前からヤコブのうさぎは気に食わなかったんだ!」
「絶交だけじゃ我慢できない!エサウ草原を真っ黒に焼いて、うさぎ肉を新しいニンジンのひりょうにしてやれ!」

うさぎたちはありとあらゆる怒りと憎しみと、そしてどこに隠していたのかもわからないような残酷さで戦いました。戦い続けました。戦い、戦い、戦い、ひとり、ひとり、またひとり、天国へと送っていきました。
「天国にニンジンはいらないな。」
天国へ旅立ったうさぎがもっていたニンジンを拾って食べては、また戦いました。いのちを奪い、武器を奪い、ニンジンを奪い、戦いは40日、そして40夜休む事なく続きました。

そして全てが失われました。
もう、草もありません。ニンジンもありません。
きれいだった大きな草原は、黒い灰へと変わりました。そこら中に焼け焦げたうさぎのなきがらが落ちていて、まだ悲しみをたたえ続けています。

「なんてこったあ、おらたちはこんな事をするために橋を落としたのか」
生き残った家族と力の抜けた手をつなぎ、ところどころまだ火の消えない野原に立ち尽くすうさぎがいました。名前をノアといいました。
「父ちゃん、どうしてこんなことになったんだ。」
かわいい子うさぎたちはノアのそばから恐ろしくて離れられませんでした。
「あなた、わたしたちはどうしたらいいの…。」
ノアのおくさんはがんばって子どもたちを励まし、かわりばんこに抱きしめていました。しかしその唇はがくがくと震え、未だにこの光景が信じられない様子でした。
「わかんね。でもな、おらたちにはエサウとヤコブ両方の血が流れてんだあ。おらは思う、これは神様からのおらたちうさぎへの罰だあ。エサウとヤコブ、そしてそのおっとうのイサクの事なんかも全部忘れ、ただ一方的な恵みでここまで広い草原で幸せに暮らせていたことも忘れたんだあ。おらみんなを見て思っただよ。誰がもってるニンジン畑が美味しいとか、どこの嫁さんうさぎが美人とか、子どもの頃はこうじゃなかっただあ。でもな、いつの間にか変わっちまっただ。おら聞いただよ。自分の畑のニンジンが美味しくないのは、別のうさぎが美味しいニンジン畑を持ってるからわるいって言ってるうさぎがいたんだあ。一方的な恵みなんてぜんぶわすれて、うさぎたちはあいつがわるいこいつがわるいってそんな話しばっかしてただよ。」

ノアは自分の立つその場所をアララトの地と名付け、焼け野原で同じく行き場をなくした動物や鳥たちと一緒にもう一度やり直そうと祈りを捧げました。

エピローグ

ニンジンで作った酒を飲みながら、ノアはのんびりと川のほとりで眠っていました。
歌う鳥と名付けられた鳥がピーヒョロと鳴いています。ノアはますます気持ちがよくなって、もう一口ごくりと酒を飲みました。
「うむ、今年のニンジン酒はいいぞお。ニンジンと土の匂いがぷうんとするでねえか。こりゃあ今年もまた豊作だ、ありがてえありがてえ。」
むくりと起き上がると、ノアはまるで愛しいうさぎを撫でるかのように眠っていた大地をなげた。たいようの笑顔で温まった大地のぬくもりが手に心地良い。
「ああ、こんなことをしている場合ではなかった。朝はどこまで書いたっけなあ。あんまり思い出したくもねえが、橋を落としに行ったあの日の所からか。」
歌う鳥からもらった古い羽と、枯れ草を焼いた灰を溶かして作ったインクで、ノアは書き物をはじめました。
「そうだそうだあ、おらはあそこで始めて嫁さんに出会ったんだ、めんこいうさぎだったなあ。」
子どもたちも今ではすっかりたくましくなり、歌う鳥たちが集めてきた枝やタネを植えてはお世話をする仕事をしていました。今では立派なニンジンの畑もできて、ノアたちはのんびりと暮らす事ができるようになりました。
「父ちゃん、うまそうな草がはえてきたぞ。」
一番上の子どもセムは、なんだかつやつやとして長くて立派な草をノアのところにもってきました。そのきらきらした目と整った顔立ちは、まるでついこの前に天国へと旅立ったノアのおくさんそっくりでした。
「おうおうセムかいセムかい。どれどれ、またうまそうな草がはえてきたって?ありがたいことだあ。みんなほれ、土と風とたいように感謝して、頂いてみようじゃないか。」

土には風とたいようがよく似合いました。
ノアの祈りが結んだそれがいつまで続く事ができるのか。それは子どもたちに託された大きな夢となりました。
夢を流れ星が祝福し、月は静かに眠りを奏でました。

解説

ここまで露骨だとわかる方が多いかも知れませんが、聖書からたくさんの名前を拝借しています。実際名前の通りの兄弟関係であったり時間軸であったりするわけではないのですが、ノアはヤコブは旧約聖書に出てくる登場人物の名前です。

聖書を伝道する目的でこの物語を作ったわけではないのですが、聖書を意識はしています。人間の罪、人間の愚かさ、そしてそれが招く悲劇について考え、時に悲しみ、時に絶望し、どうしたらいいのかを自問し、もちろん聖書を開いて読み、作者のわたし自身も悩み苦しんだ悲劇の原因についての考察を物語したいと思って書きました。

あまり多くを作者が語るも野暮な事と思い、読んで下さった皆様へ感謝をして終わります。

2024/5/13 みゆき


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?