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協働は自治と表裏一体

学生時代の友人(学部と研究室が一緒だったんですが、勝手に課題意識が似通った同志と思ってたりします)がfbで「協働」という言葉についてあげていました。

そこにインスパイアされて、その投稿のアンサーとして、note書きます。

さて、そもそも、「協働」という言葉自体が、友人がいうように、昨今出てきた定義です。僕の感触的には、自治基本条例関連で民主党政権下で出てきて、震災以降の地方創生ブームで一気に一般化したようなイメージです。

友人もいうように、定義のはっきりしない言葉です。法令で定義されているわけでもありません。友人は、こう語ります。

理想の地域社会を一緒につくる、そのために互いに得意なこと・できることを持ち寄る、そういう考え方が「協働」なんだと私は思ってた。

なるほど。確かに、その定義ぐらいが一般的な理解で十分だと思います。

ただ、それが上手くいかない。友人の問題意識は非常にわかりますし、僕もとても共感する点です。僕が思う、この問題の根本は、理想の地域社会のためのコンセンサスが全く作れなくなっているということです。

例えば、NPOは課題解決型の組織が多く、ゴミ問題や環境問題など、特定のテーマにフューチャーします。ただ、地域に存在する問題は多種多様なわけで、それぞれの団体が抱く、理想がぶつかり合うことは間違いないですし、場合によっては、それぞれの課題がトレードオフな場合もあります。

そのような状態の調整をする必要が出てきます。そのディスカッションを行い、地域社会を描いていくことが「自治」にあたるわけです。「自治」の目的は、課題解決ではなく、社会の存続です。社会をいかに存続させていくかという点において、利害を調整し、ベターな結論を導いていくという、「自治」が機能していないからこそ、協働も機能しないのです。

あえて、2人が共通している学生時代の経験を例えるならば、学生のNPOなどの活動団体や勉強会が雨後のたけのこのように乱立しても、どこにいっても似たような人しかいないという状況と似通っていると思います。結局は、「自治」の意識がある人間が、どこにいっても、金太郎飴で活動している。

私の持論は、「100人が課題を発見したら、そのうち10人が行動に移し、3人が継続する」というものです。この3人が「自治」の担い手になっていくのだと思っています。ただ、人口減少社会が到来した日本においては、このコンバージョン率では旧来の制度は成立しなくなります。

そして、継続するには、ビジネスにしていく必要があります。「自治」の担い手を育てながら、ビジネスを育てていくという難題に直面している私たちはどこに向かっていくべきなのか。そうして、先に挙げた3人が立場や場所を超えて、手を取り合っていくことが、現状、最もベターな「協働」なのかもしれません。

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