記事一覧
『おくのほそ道』を詠む⑬
宮城野
名取川を渡て仙台に入る。
あやめふく日なり。
旅宿をもとめて四五日逗留す。
ここに画工加右衛門といふものあり。
いささか心ある者と聞きて知る人になる。
この者、年比さだからぬ名どころを考置きはべればとて、一日案内す。
宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるる。
玉田・よこ野・つつじが岡はあせび咲ころなり。
日影ももらぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。
昔もかく
『おくのほそ道』を詠む⑫
武隈の松
武隈の松にこそ、目覚る心地はすれ。
根は土際より二木にわかれて、昔の姿うしなはずとしらる。
まず能因法師思ひ出づ。
その昔むつのかみにて下りし人、この木を伐て、名取川の橋杭にせられたることなどあればにや、「松はこのたび跡もなし」とは詠みたり。
代々、あるは伐、あるひは植継などせしと聞くに、今将、千歳のかたちととのほひて、めでたき松のけしきになんはべりし。
「武隈の松みせ申せ遅
『おくのほそ道』を詠む⑪
飯塚の里
その夜飯塚にとまる。
温泉あれば湯に入りて宿をかるに、土坐に筵を敷て、あやしき貧家なり。
灯もなければ、ゐろりの火かげに寝所をまうけて臥す。
夜に入りて雷鳴り、雨しきりに降りて、臥る上よりもり、蚤・蚊にせせられて眠らず。
持病さへおこりて、消入ばかりになん。
短夜の空もやうやう明れば、また旅立ちぬ。
なお、夜の余波心すすまず、馬かりて桑折の駅に出づる。
遥なる行末をかかえ
『おくのほそ道』を詠む⑩
佐藤庄司が旧跡
月の輪のわたしを超えて、瀬の上といふ宿に出づ。
佐藤庄司が旧跡は、左の山際一里半ばかりにあり。
飯塚の里鯖野と聞きて尋ね尋ね行くに、丸山といふに尋ねあたる。
これ、庄司が旧跡なり。
梺に大手の跡など、人の教ゆるにまかせて泪を落とし、またかたはらの古寺に一家の石碑を残す。
中にも、二人の嫁がしるし、まず哀れなり。
女なれどもかひがひしき名の世に聞こえつるものかなと、袂を
『おくのほそ道』を詠む⑨
安積山
等窮が宅を出でて五里ばかり、桧皮の宿を離れて安積山あり。
路より近し。
このあたり沼多し。
かつみ刈るころもやや近うなれば、いづれの草を花かつみとはいふぞと、人々に尋ねはべれども、さらに知る人なし。
沼を尋ね、人に問ひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかかりぬ。
二本松より右にきれて、黒塚の岩屋一見し、福島に宿る。
信夫の里
あくれば、しのぶもぢ摺の石を尋ねて、忍ぶ
『おくのほそ道』を詠む⑧
白河
心もとなき日かず重なるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。
いかで都へと便り求めしもことわりなり。
中にもこの関は三関の一にして、風騒の人、心をとどむ。
秋風を耳に残し、紅葉を俤にして、青葉の梢なおあはれなり。
卯の花の白妙に、茨の花の咲きそひて、雪にもこゆる心地ぞする。
古人冠を正し、衣装を改めしことなど、清輔の筆にもとどめ置かれしとぞ。
卯の花を かざしに関の 晴着か
『おくのほそ道』を詠む⑦
殺生石・遊行柳
これより殺生石に行く。
館代より馬にて送らる。
この口付きの男の子、短冊得させよとこう。
やさしきことを望みはべるものかなと、
野を横に 馬ひきむけよ ほととぎす
殺生石は温泉の出づる山蔭にあり。
石の毒気いまだほろびず。
蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
また、清水ながるるの柳は蘆野の里にありて田の畔に残る。
この所の群守戸部某のこの柳みせばやな
『おくのほそ道』を詠む⑤
那須
那須の黒ばねといふ所に知人あれば、これより野越にかかりて、直道をゆかんとす。
遥に一村を見かけて行くに、雨降り日暮るる。
農夫の家に一夜をかりて、明くればまた野中を行く。
そこに野飼の馬あり。
草刈る男の子になげきよれば、野夫といへどもさすがに情しらぬには非ず。
「いかがすべきや。されどもこの野は縦横にわかれて、うゐうゐしき旅人の道ふみたがえむ、あやしうはべれば、この馬のとどまる
『おくのほそ道』を詠む④
仏五左衛門
卅日、日光山の梺に泊まる。
あるじのいいけるやう、「わが名を仏五左衛門といふ。よろず正直をむねとするゆえに、人かくはもうしはべるまま、一夜の草の枕もうとけて休みたまへ」といふ。
いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめてみるに、ただ無知無分別にして、正直編固の者なり。
剛毅朴訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質も
『おくのほそ道』を詠む③
草加
ことし元禄二とせにや、奥羽長途の行脚ただかりそめに思ひたちて、呉天に白髪の恨みを重ぬといへども、耳にふれていまだに目に見ぬ境、もし生て帰らばと、定なき頼みの末をかけ、その日ようよう草加といふ宿にたどり着きにけり。
痩骨の肩にかかれるもの、まずくるしむ。
ただ身すがらにと出で立ちはべるを、帋子一衣は夜の防ぎ、ゆかた・雨具・墨筆のたぐひ、あるはさりがたき餞などしたるは、さすがに打捨がたくて
『おくのほそ道』を詠む②
旅立
弥生も末の七日、あけぼのの空朧々として、月はありあけにて光おさまれるものから、富士の嶺かすかに見えて、上野・谷中の花の梢、またいつかはと心ぼそし。
むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。
千じゆといふ所にて舟をあがれば、前途三千里の思い胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそそぐ。
行く春や 鳥啼 魚の目は泪
これを矢立の初として、行く道なを進まず。
人々は途中に立ち
『おくのほそ道』を詠む①
俳句は、ほとんど詠みません。
ですが、松尾芭蕉(江戸時代、三重生まれ)はやはり気になる。
古池や 蛙飛びこむ 水の音
これは、やはり凄いと思った!
何回詠んでも面白いし、芭蕉のユーモアが伝わってくる。
芭蕉のエッセンスを少しでも掴む為に『おくのほそ道』を詠んでいきます。
序文
月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり。
舟の上に生涯をうかべ、馬の口とらえて老いをむかふるもの